
この地震がきっかけで若かりし頃、青春を共にした友人を招いた、こんなことでもなければ今日の晩餐は永遠に無かったかもしれない。
14日の最初の地震発生時lineで熊本に住む旧友の安否を確認、中々既読にならない、多少心配していたものの彼の性格上スマホを持ち歩かないことも考えそのばは放置、2時間ほどして既読に、しかし返信は無し、これも彼の性格上有り得る。
その後どうしているか?の再申メールと何か此方でやれることや手伝うことが有るか?のメールを打つも次の日まで既読にならず。
ところが今日の午前中そちらは大丈夫か?食べ物は売っているか?との電話がくる。
何しているどこにいると問いただすと熊本市内から菊水までトイレさがしに来ているが
コンビニもスーパーもしまっていて食べ物も手に入らない
熊本に帰るにも渋滞で帰れないし家もライフラインが止まっていて昨晩は余震が怖くて家族と外で寝たとの事。
じゃあ今からこちらに来いよと住所を告げた。
①受け入れ準備
②友人の到着
③必要品の買い出し
④温泉へ行く
⑤更に買い出し
⑥食事の準備
⑦食事
昔話
エピソード1…馴れ初め
2勤務状況
3暮らしぶり アパート溜まり場
4学園時代
5車両部品の横流し…時効今だから話せる
6勤務先での働きぶりサボりぶり…半端ない今なら首どころか解雇レベル
7日本刀事件、硝子箱で熟睡、リフト車での相撲、雨の日のドリフト、牽引車でのレース転倒事件 etc
8署での成人式
9ぼったくりバーでの大暴れ
10航空際を好きになった理由
彼は今立派な弁護士なんです。色んな昔の面白エピソードを話せました。今後時間があれば一つずつ
書き留めて行こうと思います。