今日は、時々発作的にまわっている蒲原観音札所の18番旧水原?浮州多賀社の観音堂へ行ってきました。
夏らしいジリジリ暑い今日は神社のお祭りだったらしく境内は子供たちで大賑わい。
ここは神社の隣に十一面観音を祀る観音堂が立っています。お忙しいところ神主さんに納経帖にご宝印を頂き少し話を伺うことができました。
今は神社ですが、江戸時代までは山伏であったそうです。観音堂はその名残なのでしょう。江戸時代に火災にあって資料は残っていないが、山伏である先祖が観音像を担いでここにやってきた、ということらしいです。
観音堂では法螺で法楽をあげさせてもらいました。観音堂にいた地元の世話役の方がうちにも法螺があるから、と言って持ってきてくれました。
こんな所で法螺貝に出会えるとは・・・ついてるなぁ。
つい、ニンマリ。
午後から獅子舞があるとのことでしたが、ちょっと時間があるのでまた戻ってこれたら来たいということで神社を後にしました。
そう言えば今日は?とふと思い、出湯方面へ車を走らせます。
観音堂は数年前に新しく立て替えたそうです。写真撮ってくるの忘れました。。。
観音堂となりの多賀神社では祭礼の神事が執り行われています。
後ろに見えるのはマイ法螺。手前が持ってきてもらった法螺。42,3cmはあります。
いい味出てますね~。吹かせてもらいましたが、高音までいい音が出ました。
法螺のオーナーのアロハシャツにとても合っています。
夏らしいジリジリ暑い今日は神社のお祭りだったらしく境内は子供たちで大賑わい。
ここは神社の隣に十一面観音を祀る観音堂が立っています。お忙しいところ神主さんに納経帖にご宝印を頂き少し話を伺うことができました。
今は神社ですが、江戸時代までは山伏であったそうです。観音堂はその名残なのでしょう。江戸時代に火災にあって資料は残っていないが、山伏である先祖が観音像を担いでここにやってきた、ということらしいです。
観音堂では法螺で法楽をあげさせてもらいました。観音堂にいた地元の世話役の方がうちにも法螺があるから、と言って持ってきてくれました。
こんな所で法螺貝に出会えるとは・・・ついてるなぁ。
つい、ニンマリ。
午後から獅子舞があるとのことでしたが、ちょっと時間があるのでまた戻ってこれたら来たいということで神社を後にしました。
そう言えば今日は?とふと思い、出湯方面へ車を走らせます。
観音堂は数年前に新しく立て替えたそうです。写真撮ってくるの忘れました。。。
観音堂となりの多賀神社では祭礼の神事が執り行われています。
後ろに見えるのはマイ法螺。手前が持ってきてもらった法螺。42,3cmはあります。
いい味出てますね~。吹かせてもらいましたが、高音までいい音が出ました。
法螺のオーナーのアロハシャツにとても合っています。
進みました今後頑張って出世して終点の東京を目指します(笑)
何だかアロハシャツの模様で法螺って探せばありそうで怖いですよね~
それにしてもよく甲音まで出ましたね!
ってことは吹き口がズッポ抜けのモノではなかったんですか?
この法螺ずっぽ抜けでした。そして当たる部分で口が切れそう・・・。さらに口金の一部隙間があいてます。よく切りすぎの貝がありますが、これは大丈夫。隙間を押えて息が洩れないようして。
なかなかよい貝なのでした。
ポスターを見た気がします
こちらの神社もお祭りだったのですね
それにしても、どれくらいの年月のものなのでしょう
なんだかとっても立派な法螺ですね
写真撮ってもらってる方の満面の笑みが思い浮かびます
「うちにもあるから持ってこようか??」
とオーナーのおじいさん。
法螺の渋さと人柄の渋さ、粋なアロハシャツがとてもマッチしてました。
瓢湖もお祭りだったとは。前を通らなかったのですが暑くて白鳥も夏バテしてそうな日でした。
神社が拝殿。観音堂が本殿?
神様は観音さま。
ガラス戸のほうは多賀社の拝殿、奥が本殿です。
百津の観音堂と多賀社は別の建物になっています。
おそらくはここの御先祖の法印様(山伏)が別当として多賀社と観音様それぞれを代々お祀りしてきたようです。
さて、余談ですが五頭山近辺には江戸時代かなりの数の修験寺がありましたが、水原近辺は明治は県庁があったところですので、そのお膝元という影響もあって明治になると廃仏活動も強く、明治時代の書上というべき「新潟県神社寺院仏堂明細帳」には修験らしいお寺の名前は全く見えません。現在の阿賀野市では1件だけしか真言宗の寺がないことになっています。神社に改編されてしまったか、消されてしまいました。