2009年5月3日 羽黒山正善院黄金堂における福寿会護摩の後、羽黒山荒澤寺立螺之会の発足式が開催された。
この日は折りしも古来より夏峰の開闢、月山御戸開きの日とされ、荒澤地蔵堂においてその儀式が行われてきた。
その“戸開け”と、新しい試みとして踏み出す立螺之会が出来るイメージを重ねて。
法螺貝を吹く事を「立螺」といい、法螺を定められた作法に随い音階を以て立てることを「立螺法」という。
修験道の修行において立螺をもって行事が自然な流れで動いてゆく。
言葉よりもさらに自然な流れとなっていく。
またその力強い音を聞く人には癒しと活きる力と安らぎを与えるのである。
その立螺法の研鑽、交流の会として今回、会が開催され、発足式、講習が行われた。
先輩の行者さんから「ここまでくるのに実に16年かかっているのですよ」と、お話を伺うにあたりこうした形で開催できるまでにいかに先輩の皆さんの地道な努力と蓄積があったか・・・。
羽黒の峰中に参加されている山形、新潟、関西、九州等各地の法螺師の方々から様々な山での音、立螺作法や流儀についてそして心構えをご指導いただいてきた。
私も各地の法螺師とお会いし、教えを乞い、コツコツと羽黒修験の提要や史料集の中から特に法螺に関する記述を抜き出し、当時の法螺師たちがどのような気持ちを持って立ててきたかを探ってきた。
今回は毎年峰中に参加されている方、また全国各地から、さらに遠くは名古屋、九州からこの立螺の会に駆けつけて下さった方がいらっしゃった。
「発足式には絶対に出ようと思っとったんよ。大阪までフェリーで来て飛ばして来たばい!」と奥様と九州から車を飛ばしてきた行者さん。
感謝と感激のほかない。
今回参加できないが、と前日までにも各地から励ましの手紙、お電話などを頂戴した。
明治における神仏分離の影響は大きく、修験道廃止令の出された直後、羽黒山伏は法螺を立てることさえ禁じられてしまう。
しかし、心の奥底を揺さぶる法螺の音が人々に忘れられることはなく、今では当然のようにその音を聞くことができる状況となっている。
人々の心に響く、これからも残っていく音とはどんな音なのだろうか?
まだ、今の自分には良く分からない。
ただ分かっていることは「本物」を伝えていかなくてはならないということ。
心を以て心で伝える、そんな立螺が広まり、音が拡がり山に谷に響きわたるのと同じくして多くの方が立螺に関心を持ち、それぞれの持ち場から法螺と同じように発信してもらえればと思う。
誰でもその音に触れることができ、そして様々な音を通じた交流の場にもなってゆく。
出羽三山の山懐に抱かれ、神仏分け隔てのない響き渡る音はひとつとなって、山に登る人の心もひとつとなって大きな音となり山々に木霊する日がやってくるよう、試行錯誤と精進の日々です。
羽黒山荒澤寺立螺之会は峰中参加者を中心としつつ、また、法螺の音に、文化に、そのヴァイブレーションに関心を持つ方々はどなたでも参加できます。
まだこの会は歩みだしたばかり。
新潟の法螺師さんが田植えに例えておっしゃる。
種籾が芽を出す繊細かつ慎重に保温が必要な、「筋蒔き」の段階です。
不定期に講習会等を予定していきますので、どうか温かい眼差しで今後の動きにご注目下さい!
この日は折りしも古来より夏峰の開闢、月山御戸開きの日とされ、荒澤地蔵堂においてその儀式が行われてきた。
その“戸開け”と、新しい試みとして踏み出す立螺之会が出来るイメージを重ねて。
法螺貝を吹く事を「立螺」といい、法螺を定められた作法に随い音階を以て立てることを「立螺法」という。
修験道の修行において立螺をもって行事が自然な流れで動いてゆく。
言葉よりもさらに自然な流れとなっていく。
またその力強い音を聞く人には癒しと活きる力と安らぎを与えるのである。
その立螺法の研鑽、交流の会として今回、会が開催され、発足式、講習が行われた。
先輩の行者さんから「ここまでくるのに実に16年かかっているのですよ」と、お話を伺うにあたりこうした形で開催できるまでにいかに先輩の皆さんの地道な努力と蓄積があったか・・・。
羽黒の峰中に参加されている山形、新潟、関西、九州等各地の法螺師の方々から様々な山での音、立螺作法や流儀についてそして心構えをご指導いただいてきた。
私も各地の法螺師とお会いし、教えを乞い、コツコツと羽黒修験の提要や史料集の中から特に法螺に関する記述を抜き出し、当時の法螺師たちがどのような気持ちを持って立ててきたかを探ってきた。
今回は毎年峰中に参加されている方、また全国各地から、さらに遠くは名古屋、九州からこの立螺の会に駆けつけて下さった方がいらっしゃった。
「発足式には絶対に出ようと思っとったんよ。大阪までフェリーで来て飛ばして来たばい!」と奥様と九州から車を飛ばしてきた行者さん。
感謝と感激のほかない。
今回参加できないが、と前日までにも各地から励ましの手紙、お電話などを頂戴した。
明治における神仏分離の影響は大きく、修験道廃止令の出された直後、羽黒山伏は法螺を立てることさえ禁じられてしまう。
しかし、心の奥底を揺さぶる法螺の音が人々に忘れられることはなく、今では当然のようにその音を聞くことができる状況となっている。
人々の心に響く、これからも残っていく音とはどんな音なのだろうか?
まだ、今の自分には良く分からない。
ただ分かっていることは「本物」を伝えていかなくてはならないということ。
心を以て心で伝える、そんな立螺が広まり、音が拡がり山に谷に響きわたるのと同じくして多くの方が立螺に関心を持ち、それぞれの持ち場から法螺と同じように発信してもらえればと思う。
誰でもその音に触れることができ、そして様々な音を通じた交流の場にもなってゆく。
出羽三山の山懐に抱かれ、神仏分け隔てのない響き渡る音はひとつとなって、山に登る人の心もひとつとなって大きな音となり山々に木霊する日がやってくるよう、試行錯誤と精進の日々です。
羽黒山荒澤寺立螺之会は峰中参加者を中心としつつ、また、法螺の音に、文化に、そのヴァイブレーションに関心を持つ方々はどなたでも参加できます。
まだこの会は歩みだしたばかり。
新潟の法螺師さんが田植えに例えておっしゃる。
種籾が芽を出す繊細かつ慎重に保温が必要な、「筋蒔き」の段階です。
不定期に講習会等を予定していきますので、どうか温かい眼差しで今後の動きにご注目下さい!
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