さぬきの歴史

さぬきの歴史やお寺のことなど

多和神社

2020-02-04 23:37:00 | 志度の歴史
今日は地元の氏神様、多和神社に
行ってきました。



多和神社は讃岐の国の三の宮で、
御祭神は速秋津比売命。

元は志度寺境内にあったものを藩主
松平頼重の時、現在の土地に移したらしい。








ここの神社、お祭りの時は大賑わい
なのですが、長い急な階段があるせいか、普段は人影がなく、
今日はまた一段としん、と静まり返って、
静謐な空間を独り占めすることができました。

御祭神は他にも




たくさんありまして、
今まではよくわからないので、スルー
していましたが、今日はひとつひとつの
神様にご挨拶してきました。




厳島神社のお姫様もいらっしゃいます。




高島が見えます。



四国遍路と真念庵

2019-10-31 23:50:04 | 志度の歴史

11月10日に行われる「るんるん♪ 地蔵寺」で、志度城をガイドすることになり、
調べてみると、地蔵寺再建に貢献した寒川金兵衛さんと、当時の地蔵寺住職の蜜英さんが
志度城主多田氏の子孫だということがわかりました。

寒川金兵衛さんは、たいへん信仰心の厚い人で、たくさんのお寺に寄進している立派な方なのですが、
志度図書館で郷土史の本を調べても「志度町史」と「志度町人物風景」という本にしか載っていません。

得意のグーグルで検索しても、何も出てきません。
そこで、懇意にしていたという真念さんで検索したら、こんな動画がありました。

四国遍路と信念庵

この動画で説明している「寒川金兵衛さんが真念庵に仏餉田を奉納したというのは、
「志度町人物風景」でこう紹介されています。

1 高知県野瀬・真念庵にある父母の位牌 正面に父母の法名を刻み、下に
  讃州寒河郡志度村 寒川金兵衛二親菩提 萬治元戌十一月十日 裏面に
  この庵に仏餉田新地拾二代永代寄付とある。

この動画を見て、この文章の意味がよくわかりました。
ちなみに、一代は六坪で、十二代は72坪ということになります。
この仏餉田は今も一ノ瀬の人が管理しているそうです。
仏餉田(ぶっしょうでん)とは、仏様にお供えする米を育てる田んぼのことです。


今も毎年、8月14日の施餓鬼で、金兵衛さんのご両親の供養が行われているようです。







もうすぐお祭り2

2019-10-10 23:19:26 | 志度の歴史
前に載せた写真は家から志度寺に向かう途中の大行灯だったので、
今日は反対側、多和神社に向かって歩いてみた。



こちらも海女の玉取り。
水色がさわやかで、絵が生き生きしている。

裏側は那須の与一

美しい……。
同じ人が描いているのに、タッチが違う気がする。

8日に紹介した大行灯も裏側は那須の与一だった。
決まりでもあるのだろうか。


こんなポスターもあった。
手描きぽいけど、
とても魅力的な絵!



志度の史蹟と伝説

2019-07-23 22:16:00 | 志度の歴史
 
 
志度図書館で古い本を見つけました。
 
 

志度城の写真がこんなんです。
借りてきたもうひとつの本「志度風土記」によると
昭和57年ごろ、整備したようで、
今の姿はこちら。


もともと志度の地は長尾昼寝城、寒川氏の配下におかれていた。
応永(1394~1428)の頃、細川頼之に招かれ、三木氏の跡を継ぎ、平木城主になった安富氏が、次第に勢力を伸ばし、長禄年間(1457~1459)志度、鴨部、鶴羽の下道三郷を寒川氏よりもぎとり雨瀧城を築き、志度に支城を置いたのが志度城の始まりとされている。(「志度風土記」)