さぬきの歴史

さぬきの歴史やお寺のことなど

施餓鬼会

2019-07-26 22:46:00 | 地蔵寺

午後は地蔵寺にこれを申し込みに。



副住職さんご夫婦がいらして、

「ちょうど地獄絵を出したところです」
と、
普段は見られない寺宝を、副住職自ら「絵解き」して下さりました。😍

施餓鬼会の時も、この地獄絵は見られるそうです。

私は檀家ではないのですが、最近はよく地蔵寺さんにお参りさせて頂いています。


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昔の町並みとか

2019-07-26 22:29:00 | 志度寺
今日は「図書館友の会」の集まりの日で、志度図書館に行ったら、



こんなのやってますよー
と知人が教えてくれたので、早速行ってきました。
  秋の「ルンルン♪ 町歩き」のコースを考えている最中なんです。

平賀源内記念館。地元の人はなかなか行く機会がありません。
500円の入館料を払うと、



引札のミニチュアを1つ頂けます。

一緒に行った人が、記念館で顔が効くらしく、1階はダメだけど、2階はいい、というので、写真を撮ってきました。






お堀がある頃の志度寺。
全然違うお寺みたいですね。

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天智と天武

2019-07-24 22:20:53 | 活動報告
goo blog のお題で、マンガについて書きます。


「天智と天武」
青年漫画です。😅 
この漫画の存在を知ったのは、インターネットでしたが、驚きましたね。まさか、古代の天皇の物語が漫画になっているなんて。
そして、新説ーー 
大化の改新の中臣鎌足は、百済の皇子、豊璋だった。
天武天皇(大海人皇子)は、皇極天皇と蘇我入鹿の子供だった。
蘇我入鹿は聖人で、中大兄皇子と鎌足こそ極悪人だった。

という、トンデモ(?)、いや、アリ? な設定で、既に知られている歴史の物語を紡いでいるので、歴史好きにはたまらない。

古代のことを書いている本って、言葉が小難しくて、何度読んでもなかなか頭に入ってこないのですが、漫画だと、わかりやすいし、文章だけでは伝わらない、服装や建物や景色の様子が詳細に描かれていて、そして、新説を成り立たせるために考えられた筋書きの見事なこと!
こりゃあもう、漫画というより、学術書? と感動している私です。

ところで、私の住む町、志度町には、この中臣鎌足の息子、藤原不比等が、龍に奪われた宝珠を取り返しにやってきて、土地の海女と結ばれて、その海女が命を賭けて珠を取り返し、絶命し、不比等と海女の間に生まれたのが、藤原房前だという伝説があります。
 不比等と言えば、古代日本史のスーパースターで、房前と言えば、藤原北家の始祖で、こんな伝説、ありえない! って、思っていたけれど、いろいろ歴史を調べてみたら、なくもない、と思えてしまうのが、古代史の面白いところですねえ。私たちの住む志度沖の海を、白村江の戦いの時、本当に天智天皇が船で通ったみたいだし、香川県から、大海人皇子に従って、白村江に行ったり、壬申の乱に参加した人もいたみたいなんですよ。
 それから、瀬戸内海の国々には「凡値(おおしのあたい)」という国造たちがいたんですが、「凡値」を「凡海値」と呼ぶこともあって、彼らは瀬戸内の国造として、大和政権の海運を担っていたみたいなんですが、大海人皇子って、「おおしあまのおうじ」と読まれることもあって、乳母が海人族だったから、「大海人皇子」と呼ばれたらしいということもわかっていて、大海人皇子って、海人族だったのかな、とか、古代からずっと天皇家の側で栄華を極めてきた藤原家が実は、百済人だったのかも? なんて想像するのは……楽しいですねえ。



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志度の史蹟と伝説

2019-07-23 22:16:00 | 志度の歴史
 
 
志度図書館で古い本を見つけました。
 
 

志度城の写真がこんなんです。
借りてきたもうひとつの本「志度風土記」によると
昭和57年ごろ、整備したようで、
今の姿はこちら。


もともと志度の地は長尾昼寝城、寒川氏の配下におかれていた。
応永(1394~1428)の頃、細川頼之に招かれ、三木氏の跡を継ぎ、平木城主になった安富氏が、次第に勢力を伸ばし、長禄年間(1457~1459)志度、鴨部、鶴羽の下道三郷を寒川氏よりもぎとり雨瀧城を築き、志度に支城を置いたのが志度城の始まりとされている。(「志度風土記」)

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志度寺のお堀

2019-07-22 22:56:00 | 志度寺
 
急に思い立って、アルバムを探したら、出てきました。
 
今は草木が生い茂って、姿を消した、志度寺のお堀。
 
覚えていると思っていたけど、こんなに大きな橋が架かっていたんですね。
 
1989年2月18日 の写真です。
 
あのころ、うちの娘たちは、毎日のように、このお堀で、砂遊びをしていたんですが……。
 
昨年の「おへんろつかさ養成講座」で副住職様は、このお堀を
 
「三途の川」だとおっしゃっていました。
 
えーーーーーーーーーー!
 
うちの娘たちは、三途の川で、遊んでいたと言うのですか? ……ガクガクブルブル……
 
……娘たちには黙っていよう。 
 
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