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さぬきの歴史

さぬきの歴史やお寺のことなど

円珍

2020-02-05 22:51:00 | 讃岐の歴史



先日、book offで買ったこの本、
讃岐の歴史を
「古典」との関連で紹介しているので、
今まで読んだ歴史の本とは違う発見が
あります。

以前、円珍について調べたことがある
のですが、この本にも詳しく書かれているので、今日は円珍のことを。



「大師」と言えば、空海のことと思いがちですが、
平安朝期に大師号を賜った高僧は19名で、
そのうち讃岐出身の大師は5名もいます。

空海、円珍、実慧、聖宝、真雅

円珍はわが国天台宗の開祖、
814年に善通寺市金倉寺町に生まれ、
姓は和気氏、父は宅成。
母は佐伯氏で空海のめいの子。
最澄の直弟子。
14歳の時、叔父の僧仁徳を頼って上京。
翌年、叡山に上り、天台の延暦寺の座主義真に仕えた。

その後、讃岐に帰って、道隆寺、金剛寺、宝憧寺、城山寺、
白峰寺、根来寺、吉水寺、鷲峰寺、千光寺などを建立した。

853年(851年の説も)入唐。五台山、青竜寺を訪ね、
密教の秘奥を極め、
858年帰朝。
園城寺(三井寺)のを命ぜられ、その後、
天台座主となった。 寺門派。
891年 78歳で入寂。
醍醐天皇から智証大師のおくり名を賜った。

古典では、「古今著聞集」巻二の四十話に
円珍が中国から帰る船の中に新羅明神が現れて、
それをきっかけに園城寺を再興したという三井寺縁起が書かれているそうです。

また四十一話では、
円珍が東大寺の東坊に住み、鬼神を退散させた、という。

讃岐では「空海」が有名ですが、
この円珍という方も、なかなかすごいのです。
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節分豆まき 六萬寺

2020-02-02 23:19:42 | 讃岐の歴史
今日は高松市牟礼町の六萬寺に行ってきました。



とても良いお天気で、のどかな風景に春を感じました。




節分の豆まきです。



境内には役行者の像や


大師堂も



お茶室では北高生によるお茶会もありました。


お寺には平家ゆかりの刀や書状、
安徳天皇のお人形などがあり、
それにまつわる話や
お寺のご本尊やお寺の歴史など
ご住職や副住職がとても丁寧に説明してくれるので
とても勉強になりました。

源平ものに興味がある方は、ぜひ、このお寺に行かれることを
おすすめします。


お茶会のお菓子と福豆。

楽しかったです。

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凡直(おおしのあたい)

2019-08-07 22:05:06 | 讃岐の歴史
志度寺縁起絵で、霊木を拾って、志度寺の御本尊を彫らせた人の名を「凡薗子尼(おおしそのこあま)と言います。
凡というのは、讃岐の国造の一族です。

弥生時代に農耕経済が発展し、有力者が村落や国の長となり、土地人民を私有し、治めていましたが、
天皇により大和朝廷がこれらを統一すると、その首長を国造や県主・稲置に任じて、旧領地の国や県を治めさせ、子孫がそれを世襲しました。

国造や県主には
臣・連・君(公)・直(あたい)などの姓が与えられました。

景行天皇(12代・71-130)皇子 神櫛王 讃岐国造の始祖

応仁天皇(15代・270-310)の頃、神櫛王の三世孫・須売保礼命(すめほれのみこと)が初代国造となる。

寒川郡の凡直の祖先である星直が、敏達天皇(30代・572-585)の時代、国造の業を継ぎ、紗抜大押直(さぬきおおしのあたい)姓を賜る。

庚午年籍(670)凡直となり、星直の子孫は、讃岐直または凡直となった。

791年 凡直千継ら21戸が讃岐公となる。

凡直氏を名乗る豪族は讃岐だけでなく、瀬戸内沿岸の諸国に見られ、凡が「押統ぶる」と解釈できることから、従来の国造よりも広い地域を治める国造だったのではないかと考えられている。




讃岐では、佐伯直氏が西讃地域を中心に国造に就いたのち、東讃地域を根拠地とする星直氏が国造となり、より広い範囲を治めたと考えられるが、讃岐全体を治めたかどうかはわからない。
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