6月2日、さぬき市津田で「古墳まつり」がありました。
さぬき市には四国最大と言われる前方後円墳があります。
この富田茶臼山古墳は
①三段筑成
②盾形周濠
③陪塚
を持つという特徴から、
5世紀前半の築造で、
皇族、あるいはかなり大きな権力を持った豪族のお墓と考えられています。
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古墳の主は誰なのか?
大化改新(645)より前、地方の国は国造によって治められていました。
「日本書紀」には
「讃岐の国造は景行天皇(71-130)の皇子神櫛王は讃岐国造の始祖」とあり、
「国造本紀」には
「応神天皇(270ー310)の頃、神櫛王の三世の孫須売保礼命(すめほれのみこと)を、初めて国造に定め給う」
とあります。
神櫛王が讃岐の国を平定し、その功によって、子孫が国造になったのでしょうか。
また、
敏達天皇(572ー585)の頃、
寒川郡の凡直千継(おおしのあたえちつぐ)の祖先で、神櫛王の子孫、星直(ほしのあたえ)が、讃岐国造となり、紗抜(讃岐)の大押直(おおしのあたえ)と姓を賜い
庚午年籍(670)では凡直(おおしのあたえ)となり、星直の子孫は、讃岐直、又は凡直となりました。
さらに、791年には、凡直千継ら21戸が讃岐公となります。
この神櫛王~凡直 の一族が古墳に関係があるのではないかと考えられています。
ところで、この「凡直」気になります。
志度寺を創建したのは「凡園子尼」で、
玉取伝説で不比等と結ばれた尼も「凡族」と言われています。
「凡直」についてもっと調べたいですね。
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参考
「志度町史」
「郷土史事典 香川県 昌平社」
「四国新聞社編 讃岐人物風景 1古代の名僧と宰相」