志賀直哉(1883~1971)は昭和8年7月3日から5日にかけて、湯の山温泉「寿亭」に滞在した。
湯の山温泉駅から寿亭にいたる道筋を志賀直哉はこう記している。
『終点の湯の山駅から渓流について山路を自動車で行った。
間もなく不意に思いきった驟雨が来た。ずぶ濡れの幌自動車は
山峡の狭い夜路を右に左に梶を曲げながら急いだ。
自動車ヘッドライトが水を撒いているやうに見えた。』
当時、彼は家族の問題で悩み、そのことを小説にしようと湯の山を訪れたと云われている。
しかし、自然や旅館の印象などを綴った、旅そのものが主題の短編小説「菰野」は完成する。
『此小説は「暗夜行路」の最後と共に近頃では最も緊張して書いたものだ。材料そのものが、白分の気持にこたえたからでもあったろう。然しこれも結局材料をまともには書けず、此材料を書くつもりで菰野に出かけ、どうしても書けなかったという事の方を書いて了った。つまり、此材料が如何に自分にこたえたかを書く事で、兎に角此材料を卒業した。何時か何かの形で自分の作品に出て來るかも知れないが、一ト先ず「菰野」でそれを吐き出した。作品としての出来栄えは近頃の短編では最も気に入っている。』(「続創作余談」昭和13年7月)
志賀直哉が宿泊した「寿亭」(三重郡菰野町菰野8585)は今も営業中です。
志賀直哉の母親は亀山出身であることから、長編小説「暗夜行路」には亀山城址などの情景が描かれています。
亀山城址
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます