朝一yahooニュースを見ていて 正直 びっくりいたしました。
父と 一緒に 本を出したり 父が亡くなったあと コメントくださっていた
近藤誠先生が お亡くなりになられたようです。
医師で菊池寛賞の近藤誠氏死去 「医者に殺されない47の心得」(共同通信) - Yahoo!ニュース
近藤誠先生の本が発売されております。 - 自分の死を考える集い開催スケジュール掲示板 (goo.ne.jp)
ご冥福をお祈りいたします。
今頃 父と 語り合っておられるのでしょうかね。
朝一yahooニュースを見ていて 正直 びっくりいたしました。
父と 一緒に 本を出したり 父が亡くなったあと コメントくださっていた
近藤誠先生が お亡くなりになられたようです。
医師で菊池寛賞の近藤誠氏死去 「医者に殺されない47の心得」(共同通信) - Yahoo!ニュース
近藤誠先生の本が発売されております。 - 自分の死を考える集い開催スケジュール掲示板 (goo.ne.jp)
ご冥福をお祈りいたします。
今頃 父と 語り合っておられるのでしょうかね。
ご無沙汰しております。前回ブログをアップしてから 5か月半ほど
放置しておりました。
久しぶりに見てみると 昨日でも 242の閲覧件数がございました。
申し訳ないことです。
おそらくそのうちの何人かは 父の最後の数日の件をアップするのを待ちわびておられる方が
定期的にみていただいていたりするのだろうか?と思うと申し訳ないです。
その件は 何度も何度も下書きを書いていたのですが 父がどう伝えたかったのか
それを私の主観などで 書くのも それは死人に口なし 状態ですから
結論として やめることといたしました。
もともと このブログは 郵便発送のお手伝いをしていただいた方が
お亡くなりになり 私はIT屋ですから パソコンの扱いも慣れていると
いうことで やってくれないかと言われ はじめは 参加者の方の整理と
はがきのあて名をプリンターで印刷し 発送するまででした。
ですが 開催の案内も何回か連続で来られなくなった方へは やめるルールで運営していたので
今の世の中 スマホとは無縁の 天然記念物のような父のような方ばかりではないので
どうせ案内を打つなら そのままブログにした方が 久しぶりに参加したくなった方も
来やすくなるのではと提案し はじめました。
そして 会もできなくなり アナログ人間でスマホすら使えない父が 自身のエンディングの
部分を遺言シリーズという形で 皆様に公開できた事は 私にとって 最初で最後の親孝行に
なったかな?と思っております。
長々と前置きを書きましたが 今回アップした目的が 今度の日曜日が 父の命日ですが
万が一 あて名を発送していた私のところに お供え物やお花などと考えていただいている方が
おられると困るので 今回改めて ご辞退をさせていただきます。と書きたかったのです。
というのも 母と妹は 実家を売り遠方に住んでおります。
また まだ納骨もしていないため 墓にも父はいません。なので
私にお送りいただいても 正直困るのです。
もし考えていた方がおられましたら 大変申し訳ございませんが よろしくお願いいたします。
なんか変なタイトルを長男がしよったな なんて思われた方 ご安心ください。
私は 宗教屋ではございませんので 「地獄へおちるわよ」なんていいません。
そういえば そのセリフで有名になられた方も 先日お亡くなりになられましたね。
あの方の豪邸は 昔 父が務めてた 病院のすぐ傍でございました。
父の死より もう7か月経ちました。以前書きましたように 生前 父は
ほとんど自室でいろいろ調べたり原稿を書いたりしてましたので 私に原稿を
渡す時と一緒に何かを食べる時以外は 顔を合わすことが少なかったので 今でも
実家に帰ると 父が階段を上がってくる気がいたします。
さて 全然更新しないなぁーと思いながらも 未だに見ていただいている方々
申し訳ございません。
昨日もアクセス数をみると 88人の閲覧数になってますので 申し訳ない限りで
ございます。
ただこれも前に書きましたが 父の考えにご賛同いただいた方々に対し 素人の私が
代弁すべきではないと思いますし 私も本業があるため 中々更新できません。
なので あと2-3回が限界かと思ってます。
で、今回は 魂の話です。あっ!一応父の話なので 我慢してお読みください。
正直 父と霊的な物は あまり合わないと思うのですが 今回の話は ブログを
更新できないので 私が苦肉の策で作った作り話ではなく 本当のお話です。
それと ついに 枕元に恨めしそうに立ったという話でもございません。
親不孝な私でも それは さすがにございません。。。汗
ちなみにネットで人の魂と検索すると ”ダンカン・マクドゥーガル博士”と
いう人が 実験などして 人の魂は21gとなってます。
なぜ そういう話を書いたかというと 父が死んで2時間ほどたち 在宅医療で
お世話になった 先生なども帰られ ちょっと気が抜け 父を囲んで 少し離れて
座っていたとき フイに義理の弟が 立ち上がり 父の遺体の上で 顔から胸元
あたりを 何かを払いのける感じで手を仰ぎだしたのです。
私は それを見ていて 「何してんの?」というと
「なんかユラユラするものが お父さんのところに見えているんですけど
線香の煙のような感じですが まだ線香炊いてないですし でも なんか煙の
ような物が上っているんです」
私は「???」で 「そんなん 見える?煙?ん?」で父のほうを見ると
「え?・・・・」と私にもハッキリと 父の喉のあたりから ユラユラと何かが
上っているのが見えました。よく漫画などで 人魂を表現するとき 尻尾があると
思うのですが それと同じような 感じの物が モヤモヤ~と上っているのです。その場には
母も妹もいるのですが 私と弟だけ見えるのです。多分あの時、魂が抜けて
天井あたりから 我々を見ていたのかなぁーと今でも思います。
そんな弟は 葬儀の際も祭壇に お父さんが足を投げ出して リラックスしながら
座わられてます。
なんて 言ってましたので 父も 我々に自分の死を見せられて 満足いく死に方
だったんだろうなと思うようにしております。弟も普段 霊的な物はもっていないのですが
その時は見えたみたいです。
ちなみに 私にはその時は見えませんでした・・・・
ただ 父の死の報告をさせていただいた際に書きました 般若心境の日本語訳の
最後の「ソワカ」の部分で 「めでたしめでたし」と妹が言ったはずなのに 私には父が
言ったように聞こえてと 書いてたかと思うのですが あれも父があの場にいて
最後の父らしい あのセリフを私に父が聞かせてくれたのかと思います。
とつまらない話を読んでいただきありがとうございました。
と書きながら 右肩がなんか重いので 「お前 俺のイメージを崩す事を書きやがったな」
と 思っているのかなぁーなんて思いますが 生前 「祖先が 子孫を祟るような奴らは
先祖でもねぇ!」 なんて言ってましたので 有言実行していただかないと(笑)
次回 いつになるかわかりませんが 父の納骨までには(現在まだ未定) 父の死にっぷりを
見せてもらった 私の感想をこのブログの最後の更新として書きたいと思っております。
先ほどアップした記事で 集いの最終回が去年の10月17日という事で書いて
思い出しました。そういえば 294回で撮った写真があったなと・・
化けて?出てきたのはこっちかと・・
私は 虎の威を借りる狐的な事は 嫌いなのでビジネス上もそうですが
私的な事でも あえて父の名をだすのは 避けておりました。
という事で そういう事は好きではないため 父の会も 出て
息子面をするのも嫌ですし 好きにやっているところに家族が行くのも 父がやりにくいと
思い、父に頼まれた 棺桶のアトラクションの時と この294回の時しか出てません。
この 294回の時も本当は 普通の参加者のように入るつもりでございましたが
参加費を払い 記名をする際 会の方が 上記 棺桶の時の事を覚えていただいて
おり 「もしかして あの時の息子さん?」って言われて バレました(笑)
この時は 多分これが最後か できてもあと1回かな?と父も言っていたので
最後ぐらい参加してみようかと思って参加させてもらいました。
前振りが長くなりましたが その時の 雄姿?の写真が何枚かありますので upさせて
いただきます。あえて 他の方(参加者や 会の方)が写っていて 個人が特定されるものは
省いておりますので おなじような写真ばかりで申し訳ないです。
こう見ますと ほんと痩せてるなぁーと思います。
私が 癌か?と思ったのは 去年3-4月ごろ 2週間ほどみないうちに え?こんなに痩せてた?
と思ったときでした。
最後の写真は この時の最後の方の写真ですので これがもしかしたら 最後になるかもしれないという事も
思っていたと思います。でも とても楽しそうに見えます。
会を支えてただいた関係者の方々 参加していただいた方々 あたらめて お礼申し上げます。
ありがとうございました。
ただいま時刻は 10月13日朝の5時
なんでこんな早く起きたかというと 起きる寸前の夢に 親父が出てきて
うなされてとはいいませんが(笑) 「なんで?」と 思い布団の中で 去年の会のスケジュールを見ると
最後の「自分の死を考える集い」は去年の10月17日でしたので 微妙ーにズレてました。
今日が17日であれば 化けて出てきて何かを訴えてるのか?とも思いますが
化けて出られるとすれば ダンボール棺桶の話を書いてそのままにしてたなとそこから気になって起きて
今 その書きかけの下の文章を更新し書いてます。
心霊的な話といえば 死後直後に 義理の弟と私は見たのですが それはまた
気が向けば書きたいと思います。
そろそろ更新を掛けないと申し訳ないかなと 思いつつ中々アップできてません。
そんな中 見つけた 父の高校の同窓会のサイト
皆様 父が亡くなった事を書いたものを読んでいただき
ありがたい感想を書いていただいておりました。ありがとうございました。
その中で 「ダンボール棺桶がなぜ 斎場でNGだったんでしょうね?」という
コメントもございましたので 棺桶についてちょっと書かせていただきます。
父の死後 お世話になった葬儀場では 最初大丈夫ですと快諾していだき
次の日 葬儀社より斎場から NGと言われましたという事でダメでしたと
書いたか思いますが
では なぜか?という所なのですが その際 説明があったのが 「昔は OKだったみたいですが
ちょっと 以前ダンボール棺桶のままで 事故があったので ダメ見たいです。」と聴かされました。
事故?? その際 もう少し詳しく説明が聴きたかったのですが それ以上の話はしてもらえず
ただ考えてみれば 私達の身体を最後に 骨だけの姿にしてくださるのは 斎場の人であり
おそらく技術がいる事だと思います。
多分 なのですが ダンボールだと 木と違い その辺が 技術では負えない不足の事態が
起こるのではないかと思います。何度か 身内の骨を斎場の収骨室で拾いましたが よく考えると その際
棺桶の燃え残りなど見たこともないので もしかしたら 我々の目につく前にその辺もきれいにしてくださって
いるのかもしれません。そういう表にでない作業も考えると ダンボールだと 燃え残りが多かったり 取り切れなかったり
という事もあるのではないかと思います。
ですので 父の影響でマイ棺桶をお持ちの方は 父のように 詰め替えされる
事もございますので ご了承ください。
さて棺桶といえば 昔からの会の方でご存じの方も おられるかとおもいますが 20年前ぐらいかな 公益社がご協力
くださり 棺桶入館体験コーナーを作り 実際に入っていただくアトラクションをやった事がございます。
その際 当時ビデオカメラを持っていた私は 父から 小遣いやるから 撮影してくれと言われ ビデオカメラを
持ってお邪魔しました。
その際 ついでに私も 棺桶に片足ならぬ 全身を突っこませてもらい 棺の蓋まで 閉めて 顔の位置に
ある 両開きの窓を開け 棺桶の中から 普段みれない世界を見ました。
感想ですが
自分の体温が籠ってとにかく熱い!!(実際はいる時は 冷たくなってますから 大丈夫だとは思いますが)
閉所恐怖症ぽい所もあるんで 苦しい!!
死んでも2度と入りたくないが感想です。(死んだらはいりますけど・・)
どこかに当時の録画したテープあるはずなんですが また見つけたらここに出したいとおもいます。
ちなみに父のマイダンボール棺桶ですが 多分 家族の誰一人入った事がないのではないかと思います。
私を 見たことある方であれば お分かりの通り 父より体格がよくて おそらく破壊してしまっていたので
絶対入らせなかった事だと思います。今思えば 私が無理くり入って破壊すれば 母も喜び 金一封でもでてたかも
しれませんね。(そうなっても あの父の事ですから 買い直すなぞせずに ガムテープで補修しもっと母が
嫌がる棺桶になっていたかもしれません)
父がよく言っていましたように 年に数回 入って考え事をしていたようですので 父にとっては
大切な物だった事には間違いありません。
最後 そのダンボール棺桶の行く先ですが 葬儀社の方から 詰め替えをご提案され決まった時 ダンボールは
そちらで処分してもらえます?って 真っ先に聞きました。
だってこのあたり ダンボールは月1回しか 回収がなく また あの硬さと大きさだと 分解するのも大変ですから・・・(笑)