自分の死を考える集い開催スケジュール掲示板

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著書である父中村仁一が皆様へ遺言としてお伝えしたかった内容を載せております

中村仁一の遺言「自宅で死にたいなら それなりの覚悟と信念が必要」その5最終

2020-11-23 19:40:03 | 日記

3.医者に対する心配り

 ①死に際に急変するのはふつう。

  いちいち医者を呼び出さない

 ②夜間の死は息の根が止まった時刻を

  覚えておいて、夜が明けてから

  訪問診療医に連絡する。

※「在宅死」を諦める理由の1つに

 「急変した時の不安」が挙げられていますが、

  死に際には容態は急変するものです。

  医者がいたからといってどうしようもないのです。

ですから、在宅死では、医者が臨終に立ち会う

必要はないのです。

ただ、圧倒的に多い「病院死」では夜間でも

当直医が臨終に立ち会ってます。

これに慣れている日本人は、医者が死亡宣告

しなければ「死んだと思わない」が一般化

しているようです。ですから、在宅死の場合、

夜間に呼んで30分後に到着したような場合、

30分放っておかれたと思うのです。

しかし息の根が止まれば、それ以上容態は

変わりません。わたしの子どもの頃

(昭和30年代)は、そろそろという

時期になると親戚が集まってきて、

息の根が止まると、一族の長老が

「おっ、死んだか」と

死亡宣告をして「お前は医者へ走れ」

「お前は湯を沸かせ」と指令を出し、

医者の到着が3~4時間後であっても、

誰も何とも思いませんでした。

「死亡診断書記入マニュアル」にも、

死亡の24時間以内に診察していれば

死体を見なくても「死亡診断書」の発行は

可能ですし。24時間以上経っていても、

死後診察して今まで診ていた病気で死んだと

思えれば「死亡診断書」の発行はできると

書かれています。

わたしの場合も「夜中はお呼びしません。

夜が明けてから連絡しますので、お手が空いたら

来て頂いて『本当に死んでいるのか、死んだフリを

しているだけか』を確かめて「死亡診断書の発行を

お願いします。」と伝えて、安心してもらってます。

おひとり様の場合でも、覚悟と信念があれば自宅で

死ぬのは可能です。

ただ、その時は家族がいませんので、死亡時刻は、

毎日来ているヘルパーさんか、訪問看護師の

発見時刻になると思います。

         2020年11月

            中村 仁一

 

※参考資料

 ・大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめ(幻冬舎新書 2012年)

  大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書) | 中村 仁一 |本 | 通販 | Amazon

 ・大往生したけりゃ医療とかかわるな「介護編」2025年問題の解決を目指して(幻冬舎新書 2017年)

  大往生したけりゃ医療とかかわるな【介護編】 2025年問題の解決をめざして (幻冬舎新書) | 中村 仁一 |本 | 通販 | Amazon

 ・新版 どうせ死ぬなら「がん」がいい(宝島新書、近藤誠氏との共著 2018年)

  新版 どうせ死ぬなら「がん」がいい (宝島社新書) | 中村 仁一, 近藤 誠 |本 | 通販 | Amazon


中村仁一の遺言「自宅で死にたいなら それなりの覚悟と信念が必要」その4

2020-11-23 13:03:41 | 日記

(その3より)

今自宅で死にたいと思っている人は6割

ぐらいいるといわれています。しかし、

実際に可能かどうか尋ねると2割ぐらいに

減るようです。

そして現実に自宅で死んでいる人は

10数パーセントです。でも、ほとんどが、

点滴注射も酸素吸入もしない自然死では

ありません。家族を「介護離職」させず、

重荷にならず、もて余されずに自宅で

死にたいなら「介護のされ方心得」が必要で

「世話され上手」にならなくてはいけません。

その結果、自然な死にゆく姿を見せるという

最後の役目が果たせるのです。

そのための条件を考えてみましょう。

1.本人の心得

 ①できることは精一杯自分でする。

 ②できなくなったことをしてもらったら

       相手が 誰でも必ず礼をいう。

 ③「しんどい」「苦しい」「こんなことなら

         死んだ方がましだ」など無暗に

   口走らない。

 ④自分で食べられなくなったら「寿命」と

       受け取り、食べさせてもらったりしない。

 ⑤社会サービスは利用できる範囲で

       使用する。

※「欧米に寝たきり老人はいない」(宮本顕二、礼子著、中央公論新社)

  欧米に寝たきり老人はいない - 自分で決める人生最後の医療 | 宮本 顕二, 宮本 礼子 |本 | 通販 | Amazon

によれば、欧米では食べさせてもらってまで

生きるというのは人間の尊厳にかかわると

いう考えが社会に浸透しているので

寝たきりになる前に死んでいる

のだそうです。

こういうことをいいますと、日本とは文化が

違うという反論がなされます。

しかし昭和30年代には日本もこれに

近かったように思います。

本人の好きなものを好むだけで、ムリに

食べさせてたりしなかったはずです。

また「老衰」は「成長」と逆の経過を辿ります。

生まれた赤ん坊はオッパイに吸いつきます。

のみ食いの能力を最初に獲得します。

それから少し時間がかかりますが、

座れるようになり、立てるようになり、

歩けるようになって オムツが

はずれます。「老衰」はこの逆で、

体力がなくなり、歩けなくなり、

立ち上がれなくなり、ちゃんと座れなくなり、

ねたきりになってオムツをするように

なります。

そして最後が、のみ食いの能力です。

これが、しない、できない状態は「寿命」と

いうことになるのです。

自力で、のみ食いできなくなれば

「寿命」というのはあらゆる生きものに

共通の最後の姿です。

2.家族に対して

 ①「ムリのない範囲で世話して

         くれたらいい」

        と割り切る。

 ②昼間独居の場合

     「死に目に会わなくてもいい」

      といい含める。

 ※誰にも看取られずに死ぬのは可哀相と

      思う   日本人は多いと考えられます。

     しかし、仏教には「独生、独死、独去、

     独来」という考えがあります。

     元来、生まれるのもひとり、死ぬのも

 ひとりなのです。「心中」したり

 「集団自殺」したり すれば賑やかで

 いいという話ではありません。

それに自然死なら、ぼんやりとしたまどろみの

中でいい気持ちであの世へ旅立つわけ

ですから誰も傍にいなくていいのです。

その意味では、誰も邪魔しない

「孤独死」は幸せな死に方といっても

いいでしょう。

「在宅死」を諦める大きな理由の1つに

「家族に迷惑をかけたくない」があります。

実情は前述の通りです。

しかし、できるだけ迷惑をかけないように

すればいいのです。

そして少々迷惑をかけてもみんな死ぬのです

から、自然に死にゆく姿を見せて、死は怖くない

と安心感を与えることで、ギブアンドテイクに

なるのです。

さらに、子どもに苦労して育てたなどと恩に

着せて「介護離職」をさせて、人生を

狂わせてはいけません。頼まれもしないのに

勝手に産んで育てただけです。

子どもは育てられる過程で、嬉しいこと

だけでなく、苦しいことや心配させたり、

時には悲しい目に会わせて、子供が

いなければ味わうことができない人生の

局面を見せて恩返しをしているのです。

それ以上の恩返しを求めるのは強欲と

いうものでしょう。

中高年の「介護離職」はその後の再就職は

むずかしいといわれているわけですから。

3.医者に対する心配り

 ①死に際に急変するのはふつう。

       いちいち医者を呼び出さない

 ②夜間の死は息の根が止まった時刻を

     覚えておいて、夜が明けてから訪問

  診療医に 連絡する。

 (その5最終へつづく)

 


中村仁一の遺言「自宅で死にたいなら それなりの覚悟と信念が必要」その3

2020-11-22 16:20:31 | 日記

(その2より続き)

最後は、40歳代の半ばに、苦しくなって

夜中に飛び起きるという強烈な不整脈に

襲われ、生きるための支えが欲しくて

「仏教」と縁を持ったことです。

そしてその教えを日常的に生かすように

してきたことで、その後の30数年間は

生きるのが楽でした。

たとえば「生」「老」「病」「死」は

「四苦」といわれます。

「苦」は苦しいではなく、原語ではドウクハと

いって思い通りにならないという意味です。

つまり、人生は思い通りにならないものと

受け取れということです。

この思い通りにならないものを思い通りに

しようとするから苦しくなるわけで、

思い通りにならないものなら、思い通りに

ならなくてよいと明らめることです。

また「こだわらず、とらわれず、

あるがまま受けよ」です。

これは色即是空、空即是色の

「空」の精神です。具体的には、

「老い」にはこだわらず寄り添い、

「病」にはとらわれず連れ添う、

「健康」には振り回されず「医療」には

限定利用を心がけ「死に時」がきたら 

妙にあらかわずに受けるということです。 

発達したといわれる「医療」にどんなに

すがっても「死」を回避することは

できません。

私達には、生来、穏やかに死ねるしくみが

備わっているのです。

それを邪魔するのが、ただ死ぬことだけを

先送りする「延命医療」と”延命介護”

なのです。

生きるためには、のんだり、食べたりする

必要がありますが「死に時」がくれば、

その必要はなくなります。

その結果「のどが渇かない」

「腹がへらない」状態になるのです。

つまり「飢餓」「脱水」状態になり、

死ぬときは枯れるのです。

「飢餓」では、βーエンドルフィンという

”脳内モルヒネ”が分泌されて気持ちよくなり

「脱水」では、血が濃く煮詰まり傾眠状態に

なるのです。また、この頃になると呼吸状態も

悪くなります。呼吸は酸素を体内に採り

入れ、体内の炭酸ガスを排出する作業です。

死が迫りまると時々何十秒か息の根が

止まったり、あえぐような呼吸をしますので

酸欠状態になります。

酸欠状態でもβーエンドルフィンが

分泌されます。

あえぐような状態を見ると本人が

苦しんでいると受け取るかもしれませんが、

顔は全くゆがんでいません。

ですから、苦しいわけではなく死にゆく

全く普通の状態なのです。

そして炭酸ガスを排出されませんから

貯まります。これには麻酔作用があります。

つまり、死に際の「飢餓」も「脱水」も

「酸欠状態」も「炭酸ガスの貯溜」も

穏やかに死ぬための自然のしくみと

いうことなのです。

かつて、年輩の葬儀社の方から聞いたことがあります。

昔は遺体が枯れていたので納棺が楽だった。

しかし、今は病院で死の当日まで点滴注射

などして水ぶくれになっているので

重くて納棺に難儀すると。

「同和園」では1滴の水も入らなくなっても 

すぐ息を引きとることはなく平均で

7日~10日でこの間スヤスヤ寝ています。

平均ですから2-3日の人もいましたし、

12ー13日の人もいました。

点滴注射も酸素吸入もしない「がん」の

自然死の場合も同様の過程を辿ります。

(もちろん、発見時、手遅れで痛みはありません。)

なぜ手遅れで見つかるのかといえば

痛まないからです。

痛みがあれば早くに見つかっていた

はずです。

ではなぜ見つからないかといえば、

近頃食べる量が減ってやせてきた、

顔色もよくない、どこか悪いのではないかと

家族が心配するので病院を受診しました。

その結果、手遅れの胃がんや肺がんや

大腸がんが見つかりました。しかし、

病院では、もはや手の打ちようが

ないといわれます。家族も年も年ですし、

ボケてもいますので、このまま、老人ホームで

看取ってもらえないかという話になります。

しかし、わたしも病院ではのたうち回って

死んでいった「がん」患者しか知りません。

ですから素人集団の老人ホームで

看取れるかと最初はビビりました。

でも3例、5例と見ていくと

みんな穏やかな最期を迎えるのです。

それからは、今、痛んでいないから、

最後まで痛まないと思いますよといって

受け入れるようになったのです。

今自宅で死にたいと思っている人は

6割ぐらいいるといわれています。

(その4へ続く)


中村仁一の遺言「自宅で死にたいなら それなりの覚悟と信念が必要」その2

2020-11-21 23:27:50 | 日記

その理由は3つあります(その1より)

第一に、「同和園」在籍20年間に、発見時

手遅れで痛みがなければ、その後「がん」に

対して何の手出しもしないなら穏やかな

最期を迎えられるという患者に100人以上

出会ったことです。(肺がんは14人)

第二は父親の死にっぷりです。

親父は20歳の時、ものが二重に見える

といって眼科に行き目薬と塩酸か硫酸かの

劇薬を間違えられて目にさされ

瞬時に失明という憂き目に会いました。

(失明前の若き頃の親父)

医者になろうと思っていた望みを断たれ、

何回も自殺を図ったようです。

 

(失明後)

その後、鍼灸で生計をたてていたのですが、

死ぬ半年前ぐらいから週に3~4回食道が

よじれるといって油汗を流すような発作に

見舞われるようになったのです。

わたし達が「明日は仕事を休んだら」と

いうと「うん」と うなづきながらも

翌日はいつも通り仕事をしていました。

最後の日も、1日の仕事をし、

夜の9時すぎ旧に倍する発作に襲われた

のでしょう。わたしの目の前で胸を

掻きむしりながら、脱糞、失禁して

あっという間に事切れてしまいました。

それまで1日も仕事を休まず、また、

ただの一度も愚痴や弱音を口にすることは

ありませんでした。

 

切迫心筋梗塞だったと思うのですが、

あれは死の恐怖があったはずですが、

一度地獄をみた人間の強さなのでしょう。

これは、自分で引き受けるしかないと

覚っていたのではないかと思われます。

(親父から一度もいわれたことは

なかったのですが医者になろうと

思ったのは、高校2年のこの頃です。)

この親父の死にっぷりが

「今の呼吸困難は、4の5のいったところで

所詮、お前自身で引き受けるしかないんだよ」

教えてくれている気がするのです。

だから入院したくないということもあって

「しんどい」「苦しい」は口にしないようにしています。

(その3へ続く)

 


中村仁一の遺言「自宅で死にたいなら それなりの覚悟と信念が必要」その1

2020-11-21 13:24:35 | 日記

2020年6月までは、何らの自覚症状も

ありませんでした。

(がんはひそかに進行していたのでしょうが)

その後 早足で歩くと 息切れがするように

なり、さらに坂道や階段を上がる時に

一層ひどくなり、小高い丘の上にある

「同和園」に辿りつくまで2-3回、

数分間の休憩をとらなければならない

状態になりました。

そして体重も12-13kg減りました。

流石にこれはと思い、「同和園」に月に2回

放射線技師が来園しますので、8月22日に

胸部のレントゲン写真を撮って

もらったところ、右の肺がんが

判明したわけです。

 

これまで『どうせ死ぬなら「がん」がいい』と

いったり、書いたりしてきましたし、「がん」に

対して何の手出しもしていませんので持論の

如く「痛み」はありません。

恐らく、このまま最後まで「痛み」は出ない

だろうと思ってます。

しかし、ものには例外ということも

ありますので、ひょっとすると「痛み」が

出るかもしれません。

その時には「前世で余程悪いことを

した報い」と諦め、麻薬を使う事も

吝かではありません。

ただ「痛み」はありませんが、呼吸困難には

閉口しています。

 時折「死ぬのが怖くありませんか」と

尋ねられることがあります。

怖くないといえば嘘になります。しかし医療と

あまりかわかりを持たず、自然な死にゆく姿

周囲に見せて逝くという最後の務めが

残されているということを考えれば

怖がってばかりもいられません。

事実、それほどオタついていないのも

本当です。

その理由は3つあります。(その2へつづく)