「遺言5」の「Q.O.Lを落としてまで生きたくなければ“断食往生”」を
見た2-3人の知人が「断食往生」する気かと問い合わせがきました。
全く考えないわけではありません。しかし一般に、大病を患うと
何を食べてもおいしくなく食欲も落ちるといわれています。
でも、私の場合は、まだ ものの味がわかるのです。
このような状態でムリに断食しても成功しないような気が
するのです。
この期に及んでも ものの味がわかるのは根がいやしいせいか
過去のひもじさの体験が身に沁み着いているためかと思うのです。
というのも父が髙2の時死んでいますから、家を出る時 母から
2万円もらっただけで、大学は自力で出なくてはならなかった
ことと関係しています。
1年の夏休みまでが大変でした。2万円の半分は入学金で消えて
いました。1年目は宇治の分校でしたが出欠をとる語学と
体操以外の授業はサボって本学の生活係にアルバイト捜しに
日参しました。
それでも手元不如意のため、大学の生協の食堂で、おかずを
買う金がなく、18円の丼一杯のごはんにソースをかけて
食べたり、それもできず、2,3日は水だけのんでということが
夏休みまで再三ならずありました。
夏休みには帰郷せずアルバイトに精を出したので、以後は
こういうことはなくなりました。
また、こんなこともありました。学生寮で食中毒が出て、
みんな吐いたり下したりしていたのですが 私は
どうもなかったのです。
しかしその後39°度の熱が出て2-3日苦しみました。
一度口に入ったものはちょっとやそっとでは外へ出さないという
意気込みで毒も栄養にしようと思ったのですが、そうは問屋が
卸さなかったのです。
雀百まで踊り忘れずといわれますが、あの時は特に辛いとは
思いませんでしたが、身体の方はまだ当時のひもじさは忘れて
いないのかもしれません。
お知らせ
1.「遺言6」の「一休道歌」を見た京都新聞社の記者が取材に来られ
3月2日の京都新聞の朝刊に記事が出るそうです。
2.がんで呼吸困難があるのに、入院せずに自宅で最期というケースは
珍しいのでしょう。 3月下旬に幻冬舎から新書で
「やはり死ぬのはがんでよかった」という題で発売予定です。
以上