わたしは、人生を「往き」と「還り」にて分けて
考えた方がいいと思っています。
なぜなら「生き方」を変える必要があると
考えているからです。
「往き」と「還り」の折り返し点は、繁殖を
終えた時です。
「往き」は明日のために今日頑張ろうと
いう姿勢でいいのですが、「還り」になれば、明日が
来るかどうかわかりませんから今日1日
一生懸命生きようと「生き方」を変える必要があるのです。
二度と巡ってこない「今」を感謝して生きろということです。
・人として生まれるは難く、今あるはあり難し
・世の中は今日より外はなかりけり 昨日は過ぎて明日は
知られず。
・今という 今こそ今が 大事なり 大事の今が 生涯の今
しかし現今の日本人は、いろいろ以前のようにできなく
なったことが増えているはずですが、見かけ上元気ですので
なかなか「還り」の生き方ができにくいのが実情です。
繁殖を終えて生きものとしての賞味期限の切れた
「還り」の生き方の基本を考えてみましょう。
1.「老い方上手」になる。・・・・こだわらず寄り添う
今の日本人は「医療」を過大評価し、「医療」にすがれば
「老い」もなんとかなると考え、その結果「老い」が
受容できない状況になっています。
①年寄りはどこか具合いの悪いのが正常。
②「老い」を「病」にすり替えない(全部老化で片がつき)
③以前に比べ、できなくなったことにこだわらない。
・「欠けた歯を惜しまず、残った歯を喜び、抜けた頭髪を
憂えず、未だ生えている髪を数える」
・「失ったものを数えるな、残ったものを生かそう」
(パラリンピック創始者、ルードウィッヒ グッドマン)
残存能力を精一杯生かすという受け取り方を変えることが
重要なのです。
例えばおいしいお酒も飲んでいるうちに半分になります。
その時に「もう半分しかない」と思うか「いやいや
まだ半分もある。」と受け取るかです。
また、今まで10分で行きつけた場所へ、今は途中で一服して
30分かかるようになったとします。その時30分もかかるように
なってしまったと嘆くか、30分かかるが、まだ誰の手も借りず
に30分かければあそこまで行けると受け取るかです。
「もう・・・しかできない」か「まだ・・・できる」か、この受け取り
方の違いは気持ちのハリという点で天と地ほどの開きができます。
こうして、不具合いと上手に折り合いをつけて生きてみせることが
大切なのです。
2.「病み方上手」になる・・・とらわれず連れ添う
完治するものか しないのか、うつる病気は完治するので
闘病していいと思います。(一部エイズのように完治しないものあり)
しかし生活習慣病のように完治しないものは闘病せず
上手につき合う心がけが必要です。
一病息災、多病息災の心構えです。
余病がでないように悪い生活習慣をそこそこ改めましょう。
あまり厳格に頑張ろうとすれば凄いストレスになって
却って寿命を縮めてしまう可能性すらあります。
「医療」に関しては、前述のように生活習慣病には完治が
ないので、すがらず、任せず、生き方に照らして上手に
利用することです。(「医療」に関しては後に詳述することにします)
また「健康」にあまり振り回されないのも大事なことです。
「健康」は人生を豊かに生きるための「手段」であって
決して「目的」ではありません。
しかし、現実には目の色変えて「健康のためなら いのちも
いらない」様相を呈しているのは残念という外はありません。
たしかに、現実には、年寄りに「健康圧力」「若さ圧力」が
かかっていますので、仕方がない一面もあるといえます。
「健診」や「人間ドック」も必ずしも元気で長生きできると
いう保証はありません。「健康づくり」には役に立たず、
むしろ「病人づくり」になっているといっても過言では
ないと思います。
だいたい、医者は「病気」や「ケガ」という他人の不運不幸が
メシの種という因果な商売です。それが、医者が増えすぎたため
無症状の年寄りを「健診」にかり立てて「病人」に仕立てあげて
いるわけです。
繁殖を終えるまで生きていれば、検査をすれば何か異常が
見つかるはずです。しかし、どうこうできるわけではありません。
知ってあれこれ悩むより「知らない方が幸せ」ということも
あります。
繁殖を終えた年寄りの「健診」や「人間ドック」は、よく考えた
方がいいと思います。
3.「世話され上手」になる。
前述した通りですが、くり返しますと
①自分でできることは精一杯自分でする。
②できないことをしてもらった場合、必ず礼をいう。
③しょうもない愚痴や弱音を口にしない。
④自力でのみ食いできなくなれば「寿命」と受け取るなど
4.「死に方上手」になる
日本人は発達したという言葉に惑わされて医療を過大評価し
無駄なあらがいをしているように思えてなりません。
今後、どんなに医療が発達しようと、多少の延命は可能に
しても「死」を回避することはできないのです。
わたし達には、生来、穏やかに死ねるしくみは備わって
いるはずですので「医療」を使って邪魔してはいけないのです。
自然の摂理に任せることです。その手本を示し、次世代に
「死」は怖くないことを示し、安心させるという役目を
果たさなくてはなりません。
ただ、どんな死に方をするかは、それまでの「生き方」
「周囲とのかかわり方」「医療の利用の仕方」が
一般的には反映されるのです。
今日は昨日の続き、昨日と全く異なる今日はありませんから
人は生きてきたように死ぬということです。
そこで、「死を視野」に入れての ふだんの「生き方」が
大事ということになるのです。
ですから、「今」をしっかり生きることが大切で、点検、修正を
くり返しながら、その日まで 生ききろうではありませんか。