ここんとこ、世間はセクハラ騒動で騒がしい。
私も昔は結構いろいろやられた。
手を握られたりお尻つつかれたりなんだりのおさわりは序の口で。
とある切迫した用件で衆人環視の中ドラム缶に潜り込んだら、それを後ろから見てたおっさんに、いいケツしてんなぁと笑いながら言われたり。
(これ、同じ姿勢を何度もしなきゃいけなかったから、結構こたえた。自分が失敗したら、周囲の人も含めかなり危険なことになる状況なのに。動揺して本気でヤバいことになるかと思った。)
同じ場にたまたまいただけの私と何のかかわりもない年下の某国家公務員に、女だからと、えらいこと上から目線で顎でこき使われそうになり、拒否したら罵倒されたり。
飲み会の席でいきなり某地方公務員のキモチワルイおっさんにべっちょり唾液付きのキスされたり。
他にも、いろいろ。
もっとやばっちいことも、いろいろいろいろ。
まあ、ほんとにいろいろいろいろいろいろあった。
最近、そんなあからさまなセクハラは少なくなってきてるようで、今の若い子たちは良かったね、と思ってたけど、やっぱりちょっとめくれば、まだまだ出てくるんだよね。。。と、今回の一連の報道見てて改めて思う。
私はといえば、セクハラの対象から外れる外見・年齢になって、ようやく楽になったよ。
人を見下して優位に立つことで自分のポジションを得ようとする人、ま、今でいうマウンティングする人って、いつだってどこにでもいるわけで。
そういう発露の形の一つがセクハラだと思ってる。
セクハラが世間的に封じられてきたら、多分、そういう人たちは、もっと別の形のマウンティングをしてくる気がする。
ただ、ほかのマウンティングと違うのは、セクハラは、より心に傷を残すってこと。
場合によっては、体にも。
戦える人は戦って、逃げられる人は逃げて、自分の身を守ってね。
何もできないで泣き寝入りしたら、あの時ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、私が悪かったのか、なんて、あとあとまで引きずっちゃうんだよね。私みたいにさ。
今、おばちゃんが言えるのは、この程度。