4月18日(金)
曇り、雨。 朝6時の屋外の気温は14℃であった。午前6時過ぎに霧雨の中をバス停まで急いだ。午前8時過ぎに友人宅につく。午前9時過ぎに友人からAクリニックに目薬を受け取りに行って欲しいと頼まれて外に出ようとしたときに、友人が用意しておいたという財布が見つからないと大騒ぎになり、いくら探しても見つからず、不思議なこともあればあるものだ、ということになり、財布の捜索をやめた。
昼食の準備を終えてからAクリニックに出かけることにして、鶏肉と大根とキャベツとの蒸し煮を作った後にAクリニックに出かけた。昼食時に韓国の客船が沈没した事に関するTV報道を見ていたが、船が沈没しつつあるときに船長が真っ先に逃げ出したことや、沈没の原因が急旋回による積荷の移動で起こったバランスの崩れかも知れない、ということや、その他、様々なことが報じられていた。
昼食を摂りながら、従軍慰安婦の場合と同じく韓国のことだから今度沈没した客船が日本製ということで、日本からお金をせびるなどのことが起きたら困るな~、などと友人と話し合っていた。
午後3時前に帰途についた。家に戻ってからの天気予報で来週の月曜日に雨が降る、と報じていたのを知り、月曜日には友人をS大学病院に連れて行くことになっているので、参ったな~、と呟いた。国賓待遇で来日するオバマ米国大統領の夫人が子供の学校のことで来日しない、と聞いて、エッ! オバマ米国大統領の夫人は中国には1週間も滞在したとのことだったのに? と、不快感を覚えた。
今日が4月18日の発明記念日だと気がついて、昭和24年の4月18日のことを思い出した。その日のことを、以前に書いた文書を引用して以下の 【 】内に記載する。
【 毎年4月18日の発明の日になると、昭和24年4月18日に日比谷公会堂で行われた(社)発明協会が主催した発明の日の式典のことを必ず思い出す。 昭和24年の4月18日の日比谷公会堂で行われた発明の日の式典には(昭和)天皇が臨席されるとあって、主催者は天皇が臨席される会場の参加者が少なくて余りガラガラ状態では、天皇に失礼であろうからということで、この年の4月に入庁したての新人であった私も他の新人と共に式典の会場への出席要員として動員されてこの式典に参加したのだが、式典の会場となった日比谷公会堂のこの日の入りの状態は見るも無惨で、広い会場のなかに人影がポツンポツンであった。 定刻に発明協会会長の畠山氏(当時 荏原製作所の社長)が先導して天皇が会場に入ってこられ数段の階段を登って演壇上に上がる際に、階段の途中で天皇が躓いて転びそうになったので思わずハッとしたこと、および演壇上に設けられた椅子に着座された天皇が式典の間中全身を小刻みに震わせていて、天皇の靴が床を打つ音が静かな会場にカタカタと大きく聞こえそうな雰囲気であったこと、などを目の当りにして、可哀相に天皇は戦争犯罪人として裁かれることを怖れているためなのか、あるいは天皇制廃止論者からの暗殺を怖れているためなのか、などのことを日比谷公会堂からの帰途に友達と話し合ったことを思い出すのである。 この当時の日本国は将来の見通しも全くつかない戦後の混乱期であって天皇制廃止を主張する勢力も強大であり、天皇の身の上が将来どのようになるのかの確かな予測もできなかった時期だったので、人間天皇は精神的な動揺を身体の動きとして公衆の面前で見せてしまったのではなかろうか?と感じたものであった。】
今年また 発明の日を 思い出し 徘(徊)人 okinatchi
曇り、雨。 朝6時の屋外の気温は14℃であった。午前6時過ぎに霧雨の中をバス停まで急いだ。午前8時過ぎに友人宅につく。午前9時過ぎに友人からAクリニックに目薬を受け取りに行って欲しいと頼まれて外に出ようとしたときに、友人が用意しておいたという財布が見つからないと大騒ぎになり、いくら探しても見つからず、不思議なこともあればあるものだ、ということになり、財布の捜索をやめた。
昼食の準備を終えてからAクリニックに出かけることにして、鶏肉と大根とキャベツとの蒸し煮を作った後にAクリニックに出かけた。昼食時に韓国の客船が沈没した事に関するTV報道を見ていたが、船が沈没しつつあるときに船長が真っ先に逃げ出したことや、沈没の原因が急旋回による積荷の移動で起こったバランスの崩れかも知れない、ということや、その他、様々なことが報じられていた。
昼食を摂りながら、従軍慰安婦の場合と同じく韓国のことだから今度沈没した客船が日本製ということで、日本からお金をせびるなどのことが起きたら困るな~、などと友人と話し合っていた。
午後3時前に帰途についた。家に戻ってからの天気予報で来週の月曜日に雨が降る、と報じていたのを知り、月曜日には友人をS大学病院に連れて行くことになっているので、参ったな~、と呟いた。国賓待遇で来日するオバマ米国大統領の夫人が子供の学校のことで来日しない、と聞いて、エッ! オバマ米国大統領の夫人は中国には1週間も滞在したとのことだったのに? と、不快感を覚えた。
今日が4月18日の発明記念日だと気がついて、昭和24年の4月18日のことを思い出した。その日のことを、以前に書いた文書を引用して以下の 【 】内に記載する。
【 毎年4月18日の発明の日になると、昭和24年4月18日に日比谷公会堂で行われた(社)発明協会が主催した発明の日の式典のことを必ず思い出す。 昭和24年の4月18日の日比谷公会堂で行われた発明の日の式典には(昭和)天皇が臨席されるとあって、主催者は天皇が臨席される会場の参加者が少なくて余りガラガラ状態では、天皇に失礼であろうからということで、この年の4月に入庁したての新人であった私も他の新人と共に式典の会場への出席要員として動員されてこの式典に参加したのだが、式典の会場となった日比谷公会堂のこの日の入りの状態は見るも無惨で、広い会場のなかに人影がポツンポツンであった。 定刻に発明協会会長の畠山氏(当時 荏原製作所の社長)が先導して天皇が会場に入ってこられ数段の階段を登って演壇上に上がる際に、階段の途中で天皇が躓いて転びそうになったので思わずハッとしたこと、および演壇上に設けられた椅子に着座された天皇が式典の間中全身を小刻みに震わせていて、天皇の靴が床を打つ音が静かな会場にカタカタと大きく聞こえそうな雰囲気であったこと、などを目の当りにして、可哀相に天皇は戦争犯罪人として裁かれることを怖れているためなのか、あるいは天皇制廃止論者からの暗殺を怖れているためなのか、などのことを日比谷公会堂からの帰途に友達と話し合ったことを思い出すのである。 この当時の日本国は将来の見通しも全くつかない戦後の混乱期であって天皇制廃止を主張する勢力も強大であり、天皇の身の上が将来どのようになるのかの確かな予測もできなかった時期だったので、人間天皇は精神的な動揺を身体の動きとして公衆の面前で見せてしまったのではなかろうか?と感じたものであった。】
今年また 発明の日を 思い出し 徘(徊)人 okinatchi