okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

9月3日

2015-09-03 18:18:02 | 日記
 9月3 日 
 晴れ、曇り、雨。朝6時ので屋外の気温は26℃であった。中国の北京で行なわれる抗日戦争勝利記念行事に参加したロシアのプーチン大統領や韓国の朴大統領を中国の習近平国家主席が鄭重に扱っているようなことが新聞やTV番組で報じられているのを見聞きして、どうもしっくりしない思いに駆られた。

 85歳の私は満州事変、支那事変、大東亜戦争の時期を通して生き続けてきているので、若い習主席や朴大統領などとは違い、日支事変で戦ったのは日本軍と蒋介石率いる中華民国の軍隊であったこと、その当時毛沢東の中国共産党の軍隊の八路軍は蒋介石の軍隊と戦っていたことや、当時の朝鮮半島は日本の施政下にあって日本と戦争をしていたわけではなく、支那の上海にあったビルの一室に朝鮮臨時政府という看板を掲げた一室があっただけとのことが、どうして韓国が戦勝国と言えるのだろう、と首を捻ったり、ソ連が日本の敗戦間近に日本との中立条約を一方的に破棄して攻め込んできたこと、などのことを記憶しているから、抗日戦争勝利記念行事にロシアのプーチン大統領、韓国の朴大統領、中国の習近平国家主席などが晴れがましく出ている状態をみて、一寸変だな、という思いに駆られるのである。

 午前九時過ぎにTo子さんが団地のシニア会のグランドゴルフの練習に出かけて行き、私はパソコンで世界情勢を調べながらTVニュースショウ番組を見ていた。東京五輪のエンブレムの問題で、誰も責任を取らないのはオカシイという主張をする出席者もいたが、元首相の森氏は責任を取って辞任すべきだ、というような感じの主張はもっともだと思った。

 午前11時過ぎに買い物に出かけた。外は曇り空で湿度が高そうだったので汗が出ないように、ゆっくりと歩いた。駅前のATMに立ち寄ったり、八百屋で買い物をしたり、スーパーKaで買い物をしてから家に戻ってきた。

 夕方のTVニュースで抗日戦争勝利記念行事の軍事パレードの様子が放映されたが、朝鮮戦争の際に中国が自国から義勇兵を派遣して北朝鮮の軍隊と一緒に攻め込んで行った先の国である韓国の朴大統領が最前列の習近平主席の近くに立っていたのに、北朝鮮の出席者が2列目の反対側の端に並んでいたのをみて、中国の南北朝鮮に対する差別が見て取れた。

 それにしても、自国に攻め込んできて多くの自国民を殺した兵隊を派遣した隣国の軍事パレードには笑顔で参加し、自国の発展に大きく寄与した隣の国には何だかんだと固い顔付きで文句を言い募る韓国の大統領は、どうしても好きになれない。

 軍事パレードが行なわれた地域の周辺地域は厳重な警戒下におかれている有様をみて中国は大変な国だな~、と中国の国民を可哀想に思った。

  中国の 軍事パレード 盛大に   徘(徊)人 okinatchi