11月21 日
曇り、雨。午前6時の気温は14℃であった。起床してからカスピ海ヨーグルト作りを始めた。午前9時前に友人宅に着く。午前11時頃にA・Kaさんが訪ねてきた。昼食はA・Kaさんが持参してきた料理を食べ、ワインを飲んだりして過ごした。
午後3時過ぎに帰途につく、バス停でバスを待っているときに友人の息子さんが帰ってくるのと会い、少し話をして別れた。バスの中では半分位は眠っていた。
帰宅直前に雨が降ってきた。今日はとにかく眠い。この日記を書きおえたらバタン キュー かも。
旅行後の 疲れで眠い 今日ひとひ 徘(徊)人 okinatchi
11月20 日
曇り、雨。 午前6時の気温は10℃であった。起床してから暫くTV画像を眺めてすごし、午後7時過ぎに食事を摂り、午前9時過ぎにホテルをチェックアウトして生家迄歩いている時にホテルからの電話で私がホテルに忘れ物をしたので取にきて欲しいといわれた。
生家に行ったが留守だったので義弟の葬儀が行われるメモリアルホールまで歩いて行くことにし、途中でホテルに立ち寄って忘れ物の衣類を受け取ってから、義弟の葬儀が行なわれるメモリアルホールに行く。
午後1時から義弟の葬儀が始まったが、義弟は生前、色んな事で活躍した人らしく、長い弔辞が次から次へと続き、この分だと葬儀の終わりまでいたら帰りの列車の発車時刻に間に合わなくなりそうだったのでハラハラした。
焼香をした後に私と長男夫婦とは葬儀会場から抜けだしてJRのTu駅まで急ぎ、午後2時45分の特急列車に乗って帰途につく。長男夫婦とは新宿駅で別れて家に戻ってきた。
式途中 抜け出し駅に 駆けつける 徘(徊)人 okinatchi
11月19 日
曇り、雨。 午前6時の気温は9℃であった。起床して直ぐに住居前を6000歩程歩いた。朝食を済ませてから帰郷の準備をし、午前8時半前に家を出て東京駅にむかう。東京駅の構内はまるでラッシュアワーのような人波であったので吃驚した。
東京駅10時8分の2階建ての上越新幹線特急列車で新潟に向かい、新潟駅で羽越本線の特急列車でTu駅に向かう。列車の窓から見た日本海は波静かな状態であったので吃驚した。
午後2時半前にTu駅に着き、予約しておいた駅近くのホテルにチェックインし、直ぐに喪服に着替えてから歩いて生家にいく。60年前に故郷を出て上京してから何回となく帰郷しているのだが、今回は街の様子が全く変わっていたので、今浦島の思いをした。
生家に入って仏壇にお参りしてから家人に香典を渡そうとしたときに兄に頼まれて持ってきた香典の包みはあったが、持ってきた筈の
私の香典の包みが見当たらなかったので愕然とした。荷物の中を色々と探し回った結果、私の香典の包みを荷物の中に入れ忘れてきたらしいという結論になり、私の耄碌ぶりに愕然とした。
午後5時前に生家の人達と一緒に自動車に乗って義弟のお通夜の式場に向かった。お通夜の儀式が終わってから食事をして長男夫婦と一緒に宿泊するホテルにいき、そこの食堂で1時間ほどビールを飲んだりしながら話をして過ごした。
午後10時ころに就寝した。
香典の 包み忘れた もうろくジイ 徘(徊)人 okinatchi
曇り、雨。午前6時の気温は14℃であった。起床してからカスピ海ヨーグルト作りを始めた。午前9時前に友人宅に着く。午前11時頃にA・Kaさんが訪ねてきた。昼食はA・Kaさんが持参してきた料理を食べ、ワインを飲んだりして過ごした。
午後3時過ぎに帰途につく、バス停でバスを待っているときに友人の息子さんが帰ってくるのと会い、少し話をして別れた。バスの中では半分位は眠っていた。
帰宅直前に雨が降ってきた。今日はとにかく眠い。この日記を書きおえたらバタン キュー かも。
旅行後の 疲れで眠い 今日ひとひ 徘(徊)人 okinatchi
11月20 日
曇り、雨。 午前6時の気温は10℃であった。起床してから暫くTV画像を眺めてすごし、午後7時過ぎに食事を摂り、午前9時過ぎにホテルをチェックアウトして生家迄歩いている時にホテルからの電話で私がホテルに忘れ物をしたので取にきて欲しいといわれた。
生家に行ったが留守だったので義弟の葬儀が行われるメモリアルホールまで歩いて行くことにし、途中でホテルに立ち寄って忘れ物の衣類を受け取ってから、義弟の葬儀が行なわれるメモリアルホールに行く。
午後1時から義弟の葬儀が始まったが、義弟は生前、色んな事で活躍した人らしく、長い弔辞が次から次へと続き、この分だと葬儀の終わりまでいたら帰りの列車の発車時刻に間に合わなくなりそうだったのでハラハラした。
焼香をした後に私と長男夫婦とは葬儀会場から抜けだしてJRのTu駅まで急ぎ、午後2時45分の特急列車に乗って帰途につく。長男夫婦とは新宿駅で別れて家に戻ってきた。
式途中 抜け出し駅に 駆けつける 徘(徊)人 okinatchi
11月19 日
曇り、雨。 午前6時の気温は9℃であった。起床して直ぐに住居前を6000歩程歩いた。朝食を済ませてから帰郷の準備をし、午前8時半前に家を出て東京駅にむかう。東京駅の構内はまるでラッシュアワーのような人波であったので吃驚した。
東京駅10時8分の2階建ての上越新幹線特急列車で新潟に向かい、新潟駅で羽越本線の特急列車でTu駅に向かう。列車の窓から見た日本海は波静かな状態であったので吃驚した。
午後2時半前にTu駅に着き、予約しておいた駅近くのホテルにチェックインし、直ぐに喪服に着替えてから歩いて生家にいく。60年前に故郷を出て上京してから何回となく帰郷しているのだが、今回は街の様子が全く変わっていたので、今浦島の思いをした。
生家に入って仏壇にお参りしてから家人に香典を渡そうとしたときに兄に頼まれて持ってきた香典の包みはあったが、持ってきた筈の
私の香典の包みが見当たらなかったので愕然とした。荷物の中を色々と探し回った結果、私の香典の包みを荷物の中に入れ忘れてきたらしいという結論になり、私の耄碌ぶりに愕然とした。
午後5時前に生家の人達と一緒に自動車に乗って義弟のお通夜の式場に向かった。お通夜の儀式が終わってから食事をして長男夫婦と一緒に宿泊するホテルにいき、そこの食堂で1時間ほどビールを飲んだりしながら話をして過ごした。
午後10時ころに就寝した。
香典の 包み忘れた もうろくジイ 徘(徊)人 okinatchi