8月18日
曇り。 午前6時の気温は23℃であった。朝、To子さんに だだちゃ豆を Niクリニックに届けるように頼んでからバス停に急いだ。バスの乗り継ぎのバス停で2秒の差で乗り継ぐべきバスが発車してしまったので、友人に電話で私が友人宅に着く時刻がいつもよりも遅くなることを知らせた。
友人宅に着いて直ぐに、昨日、処理しただだちゃ豆を子袋に分けて入れる作業をしてから昼食の準備を始めた。
昼食を摂りながら友人と やすらぎのさと というTV番組を視聴した。
今日は友人の実家から送られてきた5Kgの新米の入った袋をリュックサックに入れていたので、ずっしりとした重みが肩に掛かっていて、ふと、大東亜戦争中の学徒動員で大日本帝国海軍の航空基地の建設の際に格納庫の柱を肩に担いで運搬したときのことを思い出した。
思い荷で 戦中のこと 思い出し 徘(徊)人 okinatchi
曇り。 午前6時の気温は23℃であった。朝、To子さんに だだちゃ豆を Niクリニックに届けるように頼んでからバス停に急いだ。バスの乗り継ぎのバス停で2秒の差で乗り継ぐべきバスが発車してしまったので、友人に電話で私が友人宅に着く時刻がいつもよりも遅くなることを知らせた。
友人宅に着いて直ぐに、昨日、処理しただだちゃ豆を子袋に分けて入れる作業をしてから昼食の準備を始めた。
昼食を摂りながら友人と やすらぎのさと というTV番組を視聴した。
今日は友人の実家から送られてきた5Kgの新米の入った袋をリュックサックに入れていたので、ずっしりとした重みが肩に掛かっていて、ふと、大東亜戦争中の学徒動員で大日本帝国海軍の航空基地の建設の際に格納庫の柱を肩に担いで運搬したときのことを思い出した。
思い荷で 戦中のこと 思い出し 徘(徊)人 okinatchi