12月3日
曇り、晴れ。 午前6時の気温は11℃であった。午前8時過ぎに友人宅につく。午前9時半ころに車椅子に乗った友人をYaの店に連れていき、私は友人に頼まれた用件をこなすためにJi駅近くの和菓子店、洋菓子店、などを回ってから友人のいる場所に戻り、バスに乗ってスーパーSGに行き買い物をしてから友人宅にもどる。
午後2時ころから昼食を摂り、午後4時近くに帰途につく。
帰宅して夕食を食べてからパソコンに向かったが眠くて仕方なかったので寝床に潜りこんだら熟睡してしまった。夜中に目を覚ましたのでおきだした。
寝ている間に見た朝鮮半島に関蓮する夢が妙に生生しく思いだされたので書こうと思った。私は東北の片田舎の城下町で昭和の始めに生まれたのだが、当時は世界的な不景気で大変な時期だった。
朝鮮が日本に併合されて間もない時期だったのだが町には朝鮮半島の出身者も住んでいた。朝鮮半島の出身者は白い朝鮮服を着ていたので直ぐに分かった。
町に住んでいる朝鮮半島出身の人達についての日本人の評判が良くなかったのを幼い身にも良く判った。旧制中学校に通学していた頃は大東亜戦争が始まっていたが、教師のなかに兵隊帰りの人もいて、授業中に朝鮮出身者の兵隊は敵との交戦中に日本軍の隊長を銃で撃つことがあるので、朝鮮地方出身の兵隊は最前線には出さないのだ、という話をしたことがあったが、当時は、そんなことが本当にあるのか? と思ったものだったが、今は、あの話は本当だったんだと思うようになっている。
日本が大東亜戦争で敗戦国になり、緒戦半島が日本領でなくなってからの数年間の朝鮮半島出身者や支那人達は第3国人と呼ばれていたが
毎日の新聞には第3国人が悪さの限りを尽くして暴れ回っている記事が溢れていた。
私が実際に目撃した事件の情景は、朝鮮人がドブロクを作っていることが分かって警察が捜査に向かった時に、朝鮮人がドブロクを作っていた大樽を道路に転がしてドブロクを道路にぶちまけ、大声で朝鮮語をわめきながら警察官達に食ってかかっていたいたことである。
当時の朝鮮人や支那人などの第3国人の日本国内での暴れかたが毎日の新聞の紙上を賑わしていたほかに、日本領である島を盗みとってドクトなどといういう名の島にし、その島の近くの漁場で操業していた日本の漁船を拿捕したり漁民を殺したりの悪行を重ねたりしていた韓国の悪事は到底許されるものだはないと思う。
また、従軍慰安婦、徴用工、などのことで大騒ぎをしている韓国の有様は、とても容認できないことなのだ。
韓国では歴史を捻じ曲げて子供達を教育しているようだが、日本国内にも韓国の悪事に加担している奴らが大勢いるとのことだが、何とかしないと駄目だと思う。
韓国では就職難なので、日本の企業に就職希望をする人が多いとのことだが、幼いころから日本のことを捻じ曲げて教え込まれている人達を雇うのは止した方がいいのではあるまいか。
冬の夜に 朝鮮こと 書き連ね 徘(徊)人 okinatchi