4
ローター音を響かせて、ホバー艇がふわりと浮かび上がる。
強い風が吹き寄せチャペック軍曹は軍服の腕を上げて顔を守る。人間というのは風に煽られるくらいの弱い生き物だ。それは体ならず、心も同じだ。
救急任務機の塗装をしたホバー艇は、夕暮れの空の中に上昇してゆく。運び込まれた担架は、もうその窓からは見えない。大きく傾いた橙色の日差しをうけて、きらり輝き、夕空の中に上昇してゆく。さきの戦闘で負傷したアーレ上等兵は、あのホバー機に乗せられて後送されてゆく。
「小隊長、今日は飲みましょうぜ」
「さき行っててくれ、すぐに追いかける」
チャペック軍曹は振り返り、ひらひらと手を振った。
中隊でも何人かの負傷兵が出ていた。この手の戦闘では大きすぎるくらいの損害だった。本星は戦争の意義と、それによる消耗に疑念を抱き始めているという。地球という星とその名に、銀河連邦の中の大国たる母国、シュトラール共和国は威信をかけていた。地球。人類の発祥の星。そうでありながら人の生存を許さないほどの荒廃を戦争で受けた星。人類の見捨てた星。そして見捨てられながら、人類の予想を超えた回復力を見せた星。文字通り人の手の入らない自然に包まれた星。地球。
そして人類はふたたび地球へと戻ってきた。処女地のごとく何一つ無く、国家なるものもなかった地球でふたたび戦争がおきるなど、誰が考えただろう。その日その年を生きるに精一杯の植民者ばかりの星は、治安すら信託統治国に委ねなければならなかった。チャペック軍曹らの母国、シュトラール共和国は威信を掛けてその信託統治に取り組み、そして地球側より一方的に独立を宣言された。
以来、戦争は続いている。もっともそんなことは軍曹にはどうでもいい。職業軍人は命じられらところに行き、命じられた任務を果たすだけだ。そういう軍人としてのチャペック軍曹と、独立に与する傭兵とに何の違いがあるのだろう。チャペック軍曹は肩をすくめた。
気になるのは別のことだ。夕暮れの中で軍曹は指笛を吹いた。乾いた風の中に吹かれ消えてゆく。指笛の呼びかけにこたえるものはない。野戦飛行場の広がりを、ただ風が吹き渡ってくるだけだ。飛行場と言っても滑走路などは無く、垂直離着陸のための耐熱舗装が施されている。簡易管制塔と可搬管制レーダがすえつけら夕暮れ空の最後の光に照らされていた。
ここは一個航空団を丸ごと運用することができる。今は一個航空団の三分の一である一個飛行隊が分駐している。ほぼ四十機の軽装甲戦闘機ホルニッセだ。
ほとんどの機体が半円断面の簡易シェルタに納められているが、数機が離着陸パッドに引き出されて、夕日の最後の光を浴びている。当直編隊の機だ。四隅に大型ノズルを備えたコンパクトな全翼機で、ノズルを避けて伸びる脚と特徴的な機首の形はその名のとおりにスズメバチめいて見せる。機首は装甲戦闘服そのものだ。手足もそのままで、機体に腰掛けるようにして機首を成している。
装甲戦闘服には着用者の動きをピックアップする機能が備えられている。その機能をそのまま操縦のための入力装置としたのがホルニッセだ。ほとんど噴射だけで飛行するホルニッセの特殊性とあわせて、低錬度の兵にも空中機動展開を可能としたこれまでに無い機材でもある。
航空隊の任務は、空中偵察と地上攻撃だ。加えて空戦の訓練も受けている。代わりに地上戦はそれほど得意ではない。装甲戦闘服コンラートを装備しているが、あくまで操縦装置としてだ。
チャペック軍曹たちのグスタフは、キャノピーを装甲蓋と防護グラスに換え、サイドウィンドもふさいで動体探知レーダと強化暗視装置に取り替えてある。装備を増強して強化する代わりにもはや操縦席に使うには不適なくらい重量が増してしまった。だが軍曹たちの地上戦闘専任部隊が装備するのにちょうどいい。
チャペック軍曹らの第681独立機動歩兵中隊はその装甲戦闘服グスタフを十二機装備している。中隊本部には空中指揮用のホルニッセとそれに結合できる装甲戦闘服コンラートが二機ある。加えて斥候・偵察任務を担う無人反重力機ノイスポッターと、中隊支援用のナッツロッカーが二機ある。中隊の本当の主力は十二機のグローバーフントだ。犬のように忠実で獰猛で、しかも失われたとしても犬のように省みられることは無い。今回損傷した11号機も13号機も回収されて整備をうければふたたび戦列に復帰する。
だがそれらをあわせても、戦闘団の中では微々たる物だ。
戦闘団の主力は、五十輌を越えるホバー戦車をもつ重戦車大隊だ。無人化が進んでいて、五十一輌のナッツロッカーのうち有人型は五輌ほどしかない。それらも指揮のためだ。
戦闘団には加えて一個中隊のロケット砲兵がある。ナッツロッカーよりさらに大型の野戦自走ロケット砲兵スフィンクスだ。たった六輌の砲車だが、その火力は強大だ。いずれもが夕闇に暮れつつある前進陣地に伏せて眠るようにある。
だがチャペック軍曹が探している小さな姿は見つからない。軍曹はもう一度、指笛を吹いた。いまや夜色に変わりつつある空に高く吸い込まれてゆく。こたえは無い。どこかへ行ってしまったのかもしれない。もともとそういうものだ。鎖につないでいたわけでもないし、そうしたいとも思わなかった。
兵隊はいつ死ぬかわからない。兵隊は失うことにも慣れる。そういうときにすることも皆、似たようなものだ。酒でそそいで流してしまう。チャペック軍曹だって同じだ。
軍曹は歩いた。ここは戦うために作られた街といっていい。町並みの代わりに可搬コンテナや、簡易シェルターが立ち並んでいる。そのほとんどが戦闘機材のためのものだ。機材に頼って戦争をする以上、機材を保たなければならない。
とはいえ野戦酒保の一つくらいはつくられている。酒と兵隊は、酒が発明されてからこちら、切り離せたことは無い。
軍曹の探していた姿も、酒保の前にあった。
犬だ。グローサーフントではない本物の犬だ。毛並みは砂に汚れ元の色もわからない。軍曹も知らなかった。ただ首輪はつけている。それもチャペック軍曹が無理やりつけさせたものだ。防疫注射をしていない犬は、下手すると処分されてしまう。
「来いよ、わんこ」
チャペック軍曹は犬に向かって歯笛を吹いてみせる。だが犬は顔を背け、聞いてすらいない風だ。犬には注射のありがたみも、首輪の意味もわからない。覚えているのはわなのワイヤーや袋をかぶされたことや、その上から麻酔注射を打たれたことくらいだろう。
軍曹は膝をついてしゃがみ、ポケットから犬用のジャーキーを引っ張り出してみせる。
名も無い犬は疑り深げにチャペック軍曹を見る。
だから軍曹はジャーキーを放った。そのまま知らぬふりをして野戦酒保の扉を開ける。いつものざわめきが押し寄せてくる。
そうすればあの犬も安心してジャーキーを食うだろう。あれは捨てられたもので、与えられたものじゃない。犬にだってプライドもある。ひょっとする軍曹よりもずっと高いかもしれない。チャペック軍曹は犬のそういうところが好きだった。腹をすかせた野良犬だとしても、嫌な相手の手からは食いたくない。
生きてるからそうし、そうするために生きてる。
犬は肉を食い、兵隊は酒を飲む。地上を這いずり回って。
それが犬と兵隊の日々だ。
ローター音を響かせて、ホバー艇がふわりと浮かび上がる。
強い風が吹き寄せチャペック軍曹は軍服の腕を上げて顔を守る。人間というのは風に煽られるくらいの弱い生き物だ。それは体ならず、心も同じだ。
救急任務機の塗装をしたホバー艇は、夕暮れの空の中に上昇してゆく。運び込まれた担架は、もうその窓からは見えない。大きく傾いた橙色の日差しをうけて、きらり輝き、夕空の中に上昇してゆく。さきの戦闘で負傷したアーレ上等兵は、あのホバー機に乗せられて後送されてゆく。
「小隊長、今日は飲みましょうぜ」
「さき行っててくれ、すぐに追いかける」
チャペック軍曹は振り返り、ひらひらと手を振った。
中隊でも何人かの負傷兵が出ていた。この手の戦闘では大きすぎるくらいの損害だった。本星は戦争の意義と、それによる消耗に疑念を抱き始めているという。地球という星とその名に、銀河連邦の中の大国たる母国、シュトラール共和国は威信をかけていた。地球。人類の発祥の星。そうでありながら人の生存を許さないほどの荒廃を戦争で受けた星。人類の見捨てた星。そして見捨てられながら、人類の予想を超えた回復力を見せた星。文字通り人の手の入らない自然に包まれた星。地球。
そして人類はふたたび地球へと戻ってきた。処女地のごとく何一つ無く、国家なるものもなかった地球でふたたび戦争がおきるなど、誰が考えただろう。その日その年を生きるに精一杯の植民者ばかりの星は、治安すら信託統治国に委ねなければならなかった。チャペック軍曹らの母国、シュトラール共和国は威信を掛けてその信託統治に取り組み、そして地球側より一方的に独立を宣言された。
以来、戦争は続いている。もっともそんなことは軍曹にはどうでもいい。職業軍人は命じられらところに行き、命じられた任務を果たすだけだ。そういう軍人としてのチャペック軍曹と、独立に与する傭兵とに何の違いがあるのだろう。チャペック軍曹は肩をすくめた。
気になるのは別のことだ。夕暮れの中で軍曹は指笛を吹いた。乾いた風の中に吹かれ消えてゆく。指笛の呼びかけにこたえるものはない。野戦飛行場の広がりを、ただ風が吹き渡ってくるだけだ。飛行場と言っても滑走路などは無く、垂直離着陸のための耐熱舗装が施されている。簡易管制塔と可搬管制レーダがすえつけら夕暮れ空の最後の光に照らされていた。
ここは一個航空団を丸ごと運用することができる。今は一個航空団の三分の一である一個飛行隊が分駐している。ほぼ四十機の軽装甲戦闘機ホルニッセだ。
ほとんどの機体が半円断面の簡易シェルタに納められているが、数機が離着陸パッドに引き出されて、夕日の最後の光を浴びている。当直編隊の機だ。四隅に大型ノズルを備えたコンパクトな全翼機で、ノズルを避けて伸びる脚と特徴的な機首の形はその名のとおりにスズメバチめいて見せる。機首は装甲戦闘服そのものだ。手足もそのままで、機体に腰掛けるようにして機首を成している。
装甲戦闘服には着用者の動きをピックアップする機能が備えられている。その機能をそのまま操縦のための入力装置としたのがホルニッセだ。ほとんど噴射だけで飛行するホルニッセの特殊性とあわせて、低錬度の兵にも空中機動展開を可能としたこれまでに無い機材でもある。
航空隊の任務は、空中偵察と地上攻撃だ。加えて空戦の訓練も受けている。代わりに地上戦はそれほど得意ではない。装甲戦闘服コンラートを装備しているが、あくまで操縦装置としてだ。
チャペック軍曹たちのグスタフは、キャノピーを装甲蓋と防護グラスに換え、サイドウィンドもふさいで動体探知レーダと強化暗視装置に取り替えてある。装備を増強して強化する代わりにもはや操縦席に使うには不適なくらい重量が増してしまった。だが軍曹たちの地上戦闘専任部隊が装備するのにちょうどいい。
チャペック軍曹らの第681独立機動歩兵中隊はその装甲戦闘服グスタフを十二機装備している。中隊本部には空中指揮用のホルニッセとそれに結合できる装甲戦闘服コンラートが二機ある。加えて斥候・偵察任務を担う無人反重力機ノイスポッターと、中隊支援用のナッツロッカーが二機ある。中隊の本当の主力は十二機のグローバーフントだ。犬のように忠実で獰猛で、しかも失われたとしても犬のように省みられることは無い。今回損傷した11号機も13号機も回収されて整備をうければふたたび戦列に復帰する。
だがそれらをあわせても、戦闘団の中では微々たる物だ。
戦闘団の主力は、五十輌を越えるホバー戦車をもつ重戦車大隊だ。無人化が進んでいて、五十一輌のナッツロッカーのうち有人型は五輌ほどしかない。それらも指揮のためだ。
戦闘団には加えて一個中隊のロケット砲兵がある。ナッツロッカーよりさらに大型の野戦自走ロケット砲兵スフィンクスだ。たった六輌の砲車だが、その火力は強大だ。いずれもが夕闇に暮れつつある前進陣地に伏せて眠るようにある。
だがチャペック軍曹が探している小さな姿は見つからない。軍曹はもう一度、指笛を吹いた。いまや夜色に変わりつつある空に高く吸い込まれてゆく。こたえは無い。どこかへ行ってしまったのかもしれない。もともとそういうものだ。鎖につないでいたわけでもないし、そうしたいとも思わなかった。
兵隊はいつ死ぬかわからない。兵隊は失うことにも慣れる。そういうときにすることも皆、似たようなものだ。酒でそそいで流してしまう。チャペック軍曹だって同じだ。
軍曹は歩いた。ここは戦うために作られた街といっていい。町並みの代わりに可搬コンテナや、簡易シェルターが立ち並んでいる。そのほとんどが戦闘機材のためのものだ。機材に頼って戦争をする以上、機材を保たなければならない。
とはいえ野戦酒保の一つくらいはつくられている。酒と兵隊は、酒が発明されてからこちら、切り離せたことは無い。
軍曹の探していた姿も、酒保の前にあった。
犬だ。グローサーフントではない本物の犬だ。毛並みは砂に汚れ元の色もわからない。軍曹も知らなかった。ただ首輪はつけている。それもチャペック軍曹が無理やりつけさせたものだ。防疫注射をしていない犬は、下手すると処分されてしまう。
「来いよ、わんこ」
チャペック軍曹は犬に向かって歯笛を吹いてみせる。だが犬は顔を背け、聞いてすらいない風だ。犬には注射のありがたみも、首輪の意味もわからない。覚えているのはわなのワイヤーや袋をかぶされたことや、その上から麻酔注射を打たれたことくらいだろう。
軍曹は膝をついてしゃがみ、ポケットから犬用のジャーキーを引っ張り出してみせる。
名も無い犬は疑り深げにチャペック軍曹を見る。
だから軍曹はジャーキーを放った。そのまま知らぬふりをして野戦酒保の扉を開ける。いつものざわめきが押し寄せてくる。
そうすればあの犬も安心してジャーキーを食うだろう。あれは捨てられたもので、与えられたものじゃない。犬にだってプライドもある。ひょっとする軍曹よりもずっと高いかもしれない。チャペック軍曹は犬のそういうところが好きだった。腹をすかせた野良犬だとしても、嫌な相手の手からは食いたくない。
生きてるからそうし、そうするために生きてる。
犬は肉を食い、兵隊は酒を飲む。地上を這いずり回って。
それが犬と兵隊の日々だ。