昨日のモロッコに続き、ぜひもう一度訪れたい場所のひとつが、神秘と現実とが混ざり合う国インド。確か13~14年近くも昔の旅であまり細かいことは覚えていないんだけれど、デリーからアグラを廻る結構忙しい旅だった。実はインドを訪れたのはそれが最初ではなかった。さらに2年ほど前に旅したケニアへの乗り継ぎ地として降り立ったムンバイ(当時のボンベイ)でエア・インディアのストライキにまんまとはまり、1泊の予定が結局3日間もの滞在を余儀なくされたという涙なくして語れない「おまけ」のインド滞在を経験していたから。なにしろあの時はケニアへの旅をめちゃめちゃにされて「インドなんか大嫌い!」と怒り心頭だったから、まさか再びこの地を旅をすることになろうとは思いもしなかったけれど(笑)。
さて、このインドへの旅の目的はズバリ、世界一美しい建造物のひとつであると褒め讃えられるタージ・マハール(写真)をこの目で見ること。テレビや写真で何度も目にしていたはずのこのタージ・マハール。やはりその場で面と向き合った時には鳥肌がたったのを今でも覚えている。ちなみにこの白亜のタージ・マハールは宮殿でも教会でもなく、お墓。それも当時の権力者である皇帝たちのものではなく、たったひとりの女性、ムムターズ・マハールのための。彼女はムガール帝国5代目皇帝シャー・ジャハンの後宮で、それはそれは皇帝に溺愛されていたとか。まぁ、そうでもなければ彼女の「私のために世界一美しいお墓を作ってね」などという言葉を真に受けて国費をそそぎこれだけのものを造るはずもないが。
インドというとヒンドゥー教徒の国として知られるけれど(国民の8割以上)、このタージ・マハールが建造された17世紀半ばには国内にたくさんのイスラム建築も造られていて、このタージにしてもしかり。インドで花咲いたイスラム建築の最高傑作とされている。もっとも本来のイスラムの国に見られるものとは微妙に違う点もあって、西から入ってきたイスラム教とインドに存在した土着の宗教とが入り混じった影響を色濃く残すものだともいわれている。難しいとこはさておき、今から360年近くも昔に23年もの年月をかけて造られた巨大なる霊廟は眺めていて飽きることがなかった。できることなら朝日を浴びる時間から日暮れまで、刻々と変えるであろうその姿を眺めていたかったなぁ。
ところでこの旅で忘れることのできない出来事がひとつ。アグラに泊まったその晩、ホテル前で客引きしていたリキシャのおじさんをつかまえて夕暮れの街に繰り出した時のこと。街灯もほとんどない薄暗い街角から突然、明るく照らすライトの中にぎやかな音楽を流しながら近づいてくる行列が現れた。見るとどうやら結婚式のようで、新郎新婦を囲むように家族や友人たちがにぎやかな音楽の中で身体を動かしながら行進していたのだ。大喜びしてしまった私はわけのわからないダンスを見よう見真似、いつの間にかこの行列に飲み込まれ気がつくとど真ん中で踊っていた。言葉は全くチンプンカンプンでも皆がこの珍客を歓迎してくれてることはよくわかったし、もう「どうにも止まらない」状態。リキシャのおじさんに「危ないから?連れ戻せ」と言われたらしい留守番隊に呼び戻された時には、なんと逆ご祝儀を握らされていた。あの時の新郎新婦は今も元気だろうか?
目を見張るような豪華絢爛な建造物が建つかと思えば、そのすぐそばで裸足の物乞いがバクシーシしている姿あり。パリッとした制服を着た子供たちを乗せたピカピカのスクールバスが走ってる横を、ボロを着た人々がロバにまたがり山ほどの荷物を運んでいたり。この国には今でもたくさんの見えない層がある。どんなに努力しても超えることのできないカースト制度の名残り。現憲法上では廃止されているとはいえ、2000年以上も昔に生まれたとされる階級制度や世襲制度がすぐにその姿を消すはずもなし。旅の中でその現実を直視することは時に辛く複雑な思いに駆られたことも事実。神秘的な美しさと、そこからあまりにもかけ離れた現実とを持ち合わせるインド。次に訪れる時はどんな顔で迎えてくれるだろう…
みなさんからのコメントはいつも楽しく読ませていただいています。ただ諸々の理由によりこの年明けからコメントへのお返しはしていませんのでどうぞご了承下さい。また旅関係のご質問やリクエストに関しては、できるだけ今後のブログ上に反映させていきたいと思っています。
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