と、無理矢理思い込んだが、無理だった。なぜなら無理矢理、思い込んだから。
俺も最初は偶然だと思った。しかしこの厭がらせとも云える残酷な事象は、俺が入浴と同時にロボット掃除機を稼働した三回のうち、三回起こったのである。入浴している時間はばらばらなのに。
俺のむかつきは極限まで達した。分解して目覚まし時計にしてやろうかと思った。しかし俺にそんな技術は無かった。いかがなものか。たとえば、これが五右衛門とか言う犬ならいいのだ。主人の入浴中、退屈凌ぎに部屋中を駈け回ったり、小便したりするのだけれども、やはり一人ではさみしい。むなしい。そんな中、「ガチャ」浴室の扉が開く。主人が帰ってきた。そう認識される前にすでに五右衛門はかけ出しており、主人のもとにたどり着くや否や足に頬をよせたり、ぺろぺろ嘗めたりして存分に甘える。そんな感じで来られたら愛嬌があるので自分とてむかつきはしない。然るにこのロボット掃除機たるや「コォーーーーー」と無機質的に言いながら接近して来るなり、足を無残に吸引しようとしてくる有様が非常に腹が立つのであって、無機物に体を小突かれてうれしい人間はいない。ちょっと痛いし。
などと言いつつ思ったのが、これはロボットである。と自分自身が信じ切っているから、許せないのであって、これを例えばペットとおもう、思い込む事によって少なからずこれに愛情なんかが湧いて、許せる気になるのではないのか。
ぬいぐるみとて、愛情を持ってかわいがったり話し掛けたりすれば愛着が湧いて、ペット更には家族と言えるまでの関係になる事もあると聞く。(そこまで行くと少し怖いが。)
愛されたいのなら、まずじぶんから愛す。俺とロボット掃除機の間に愛が生まれる様に、まずはこいつに名前でも付けてあげようと思う。そうする事によって、生物的になると言うか、同居人みたいになって、親睦が深まるのではないかと思われるからである。
様々な愛称を思案した結果、「バキューム山内(やまのうち)」と名付ける事にした。バキュームという部分には掃除機らしく、のびのびとたくさん吸って欲しい、という俺の願望的なものが込められている。後の「山内」というのは俺が以前勤めていた職場にいた上司が、こんな名前だったと思う。嫌な奴だった。
では何故、そんな嫌な奴と同様の名前を付けたのか。たとえば、このロボット掃除機を稼働するタイミングで「行け!山内」と発音してみる。するとなんということでしょう。山内は「ハイ」と返事をして床に這い蹲り、地面の塵や埃の類いをしゅらしゅらと啜り始める。それを蔑んだ目で上から見下ろす俺!という構図が完成するという按配で、俺は愉快な思いをする事ができるかも知れぬのである。卑劣な男である。
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