BSドキュメンタリー「世界はこうしていじめと闘う3 韓国・いじめを報告せよ」(4/9 NHK総合)
韓国の「いじめ撲滅」政策のドキュメンタリーでした。韓国でも学校のいじめが深刻な社会問題になっていて、同級生から暴行を受ける動画が動画サイトに流れて大きな波紋を呼んだりしています。
取り上げられていたのは「ソンウォン中学」という中学校。
かつて、ここの学校でいじめを受けた少女の母親がソウル市役所に要望書を送ったとか。
曰く「娘や自分の恨みを晴らしたいのではない。二度と同じ悲劇を起こしてはならない。これは社会的に解決されるべき重大な問題であり、市として何らかのアクションを強く要望する」という感じです。
マスコミも取り上げ、世論と国が大きく動きました。学校内暴力防止法みたいな法律ができ、「いじめの現場を見たら然るべきところに報告しなければいけない」という義務ができました。
で、この学校では、いじめの事実を知った者は教師に報告するよう徹底的に生徒に叩き込んでいると。また、教師が早朝から放課後まで校内を見回ったり、警察も校内に来て見回りや直接指導をするなどの対策を行い、いじめ情報の把握と防止、発生後の解決に努めていると。
そんな様子が紹介されていました。
一見、強硬的ですよね。韓国らしいといったら失礼ですけど、非常に直線的というか。
けど、見てるうちに、これは結構有効だろうなと思うようになりながら見てました。
大事なのは、いじめの発生を大人が把握することが第一であると。大人(主に教師)に見えなければ、大人にとっていじめは「存在しないに等しい」わけで、であれば対策や予防などしようがないと。
そこで生徒が相互に監視して報告が上がるようなムード作りをしたいわけですが、そこがやっぱり難しいところのようです。感覚は韓国の子供もやっぱり日本と同じで、チクっただの、仲間外れにされたり、しかえしされたりするのが怖い、嫌だってことで、そうは問屋が卸さない。
で「徹底的に」叩き込んでいるのだとか。
方向性の1つは、その報告をすることは悪いことではなく、良いことなのだ!という意識づけ。
例えば、この学校では、遅刻したとか名札つけてないとかの風紀違反でマイナスポイントがあり、これが累積すると罰としてトイレ掃除とかの奉仕活動を強制されるんだそうですが、いじめを報告するとこのポイントが減殺されるとか、報告をたくさんしたら表彰されるとか。
・・・なんかなぁ、と思いますけど、1つにはまぁそういうことをしてると。
授業でも、「どういうことをするといじめか」というのを詳しく教えている様子が紹介されてました。
身体的暴力、言語的暴力、人間関係的暴力。
殴る蹴る髪を引っ張るとかは勿論、ものを隠すとか宿題をやらせるとか無視するとか視線を合わさないようにするとか、あざ笑うとか、いずれも「暴力」なのだぞ。それらはいずれもとても悪いことです。
・・・それはそうとして、なるほどと思った先生のお話がありました。
「正義のために暴力を行使することは英雄的行為か?そうだと思うひと?」
という質問を投げかけてました。まぁ何人かは「そうだ」と手を挙げます。
それは違うと。
大人の世界でも、例えば自分が他の人から殴られたりしたとき、私的にそいつに制裁することはできない。例えば犯罪の現場を見たとき、私的に犯人をやっつけたり
するのも実はダメで、それらを市民社会でやるのは警察だと。
では学校では?そうです教師ですよと。
だからあなた方は仕返しとか、なんか「正義」のために生徒同士で制裁を加えたりとかそういうことをしたら絶対ダメですと。大人に報告をするのですよと。
要はいじめの事実を報告するのは警察に通報するようなもんだということですか。
なるほどねぇ。どれだけ生徒が理解できるかはさておき、ひとつの教え方だと感心しました。
学校を巡回するいじめ対策チームの教師や、それに協力してる警察の人たちは、普段は「可能な限り笑顔で」生徒に接するそうです。が、いざ悪いことをした、というときはとても厳しくするとか。社会でも、悪いことをした人へはそれなりの制裁を社会から受けなければならない。それは学校でも同じだということを生徒に判ってもらいたいからだって。
生徒が学校を離れた後は警察の仕事です。盛り場や、近年生徒が集まりやすくなってるネカフェとか、学習塾とかを回って、「なんかない?」って聞いたり、「これこれそういうことをしてはいかんぞ!」って直接指導したりしてるそうです。
普通の大人(市民)の意識も、向こうは子供を叱れる大人がまだ日本よりはいそうな気がします、とは私の勝手な想像ですが。儒教社会ですもんね。年上というのが敬われる空気があるとよく聞きます。自分の気持ちを明確に率直に直線的に態度に表す国民性のイメージもあり。
日本でもこれくらい極端なくらいに対策してみてもいいんでない?と思うほど感心する取り組みだったと思います。
それでも悲劇は起こります。
最後に、いじめで自殺に追い込まれた女子中学生の両親が、たぶんそういう人のための訴訟や心のケアをする相談所みたいなところでしょう、そこで語ってるシーンがありました。
連日複数人から暴行を受けてて、後から見つかった日記にも日々の心情が書き連ねられていたって。
辛い、苦しい。死んだほうがマシだ。死んだらこんな苦しい気分もなくなるだろう。自分が死んだらあの子らは後悔するだろう。させてやる。
・・・と、いうような。
父親が語っていました。
加害者側の親は自分の子供を一番大事に考えている。いじめの事実、責任を一切認めようとしない。じゃあたったひとりの娘を失った私らはどうすればいいのかと。
「私の誕生日にはケーキを買ってきてくれるような優しい子でした」
って涙涙。それを聞いているカウンセラーだか相談役だかのひとも涙涙です。
私も涙涙。
これって例えば公共広告機構のCMで「いじめバイバイ♪」とかってんでだけで何とかなる問題とも思えないです。日本だと何かやる前に効果とか弊害とかの議論になって先に進まないみたいなところがあるような気がしますが、そこはおいて、とにかくまずは何かが変わることを信じて必死に取り組んでみるという韓国のやり方に見習うべきところはないものか、と感じました。