未来を拾いに

aikoのことしか頭にないひとのブログ

三村さん死去

2009-11-04 03:59:59 | カープ

<訃報>三村敏之さん61歳=元広島監督、楽天編成部長 

> 94~98年は広島監督を務め、95年の2位が最高だった 


この5年間のカープは激アツでした。 
野村、前田、江藤、緒方、金本、ロペス。 

ずらり。「ビッグレッドマシーン」ね。 

カープの黄金期。私はまだ小中学生くらい。山本浩二も衣笠もおっさんでね。 
カープは好きでしたが見るのはいつもテレビで。 
「投手王国」「相手が嫌がる」「いやらしい」「そつがない」「機動力野球」とかアナウンサーとか解説者とかいっつも言ってて。 
強いんだなーとは思っていましたが、その「カープが強い」ってことの実感というかそれがどういうことかっていうのは正直当時はわかってなかったと思います。 

で、一番球場に足を運んでいたのが三村さんの頃ですよ。 
ちょうど学生のときで。この頃からスクワット応援が始まったんではなかったかなー 
お金がない中で、東京ドーム、神宮、横浜でやる試合の半分から2/3は行ってた。 
女っ気全くなかったしね。それが青春だったわけですよ! 
RCCインターネットスタジアムって今もあるけど、インターネットっていうものに始めて出会ったのもこの頃です。
自分史にとっては外して語れない時期というかね、
人間形成という意味で極めて重要な時期だったと今振り返って思う次第。 

いや少しは勉強もしましたよしましたとも。
けど学生時代っていうのは一番大事なのはお勉強ではないと思ったりもします。
自分にとっては必要な4年間だったんだろうなと思う。 


61歳だって。早すぎるよ。もう一回、第二次三村政権ってやつを見てみたかった。 
今の投手陣があの頃にあったら絶対優勝に手が届いてたと思う。 

まぁそんなにうまくはいかないのがプロ野球っていうかカープのお家事情だというのはわかってるつもりなんですけどな。 

いつ観にいっても勝ちにいってた。 
目先の一勝を全力で取りにいく野球でした。 
捨てゲームってやつを作らないでね。 
で、投手が結果的に酷使されて前半はぶっ飛ばせたけど終盤息切れして。 
けど好きだったそういう野球がね。 

2番に緒方とか置いてみたりして。 
超攻撃的野球っていってもどっかみたいに4番ずらりじゃないぜ。 
スピードもあって破壊力もあって。最高に面白い野球だった。 

だから江藤と金本のFAには本当に腹が立ったし悲しかったものです。 

あんな制度なくなれまじで。 

・・・大人の事情もわかってるんですけどね人間にはココロというものがあるんですよ 
心情的にたまらないんですよ。 

「ツライです」「カープを愛してます」だって笑わせるな 



いつか必ずできるって。同じ人間だ。 
そのとき、天国で私たちと一緒に喜んでください(涙) 


なんか書いてたらあの頃を思い出して泣けてきちゃったよ;; 

ご冥福をお祈りいたします。