未来を拾いに

aikoのことしか頭にないひとのブログ

川中島~松代~岩櫃城

2022-10-03 00:46:49 | 紀行

Perfumeの「PLASMA」長野公演(長野ビッグハット)のついでに川中島~松代~岩櫃城と巡ってきました。
ということで書き留めておこうとおもいます。


◆川中島古戦場
長野ICから長野市街への途中にありますね。長野駅からはクルマでないとちょっと厳しい距離です。
「川中島古戦場史跡公園」というかたちできれいに整備されており、無料の広い駐車場もあるのでクルマであればいきやすいと思います。
入館はしませんでしたが、長野市立博物館も併設されていました。

この銅像は有名ですね!ほとんどこれを見に来たといっても過言ではありません。
武田信玄と上杉謙信が一騎打ちをしたという伝説をモチーフにしています。馬上から謙信公が数度打ちかかり、信玄公が床几の上から軍配で丁々発止とこれを受けたと。大河ドラマや時代劇ではおなじみのシーンです!
実際にあったかどうかは定かではないですが、古来、「そうであった!」という伝説が語り継がれているので、まぁそうやって歴史は作られてきたということですよ!

川中島合戦は計5回あり、このシーンは第四次川中島合戦であったとか。
武田信玄(=武田晴信。晴は足利将軍義晴の晴)の軍師・山本勘助(井上靖「風林火山」の主人公)が、妻女山(こちらも行ってきました・後述)に陣を構える上杉勢に対して、夜陰に紛れて別動隊で夜襲をかけ、驚いて山を下りたところを鶴翼の陣で迎え撃つという作戦を実行するわけですよ!
しかししかし戦上手の「軍神」上杉謙信(=上杉政虎。政は上杉憲政の政)、その意図を察知し、早朝深い霧が立ち込めるところを静かに山をおり、八幡原(=川中島史跡公園の一帯あたり)に展開した信玄の本陣に襲いかかる!軍を二手にわけた武田勢は劣勢を強いられ・・っていうね。

そのあたりはもはや「説明不要」とは思うんですが一応。そういう場所なんだよここは!っていうことですねー


◆海津城址(松代城址)
その山本勘助が信玄の命を受けてこの地に築いた城といわれています。武田軍はこの城を拠点にして上杉軍を待ち構えたんですね。そして、この城から夜陰、別動隊12000を「妻女山」に向けて発したと。そしてその後、海津城から本軍8000を出して八幡原に展開したと伝わります。

↑その説明図。この地図は上が南になっています。つまり下が北、越後方面。

ということで、海津城と妻女山は、そういう時間を感じるためにここからウォーキングでいってみました。けっこう遠くてきつかった・・

割とそれっぽく整備されていました。駐車場もあるのでクルマで来やすい。長野ICの近くです。
ここはその後、松代藩真田家10万石の居城となります。真田伊豆守信之が藩祖。高名な真田幸村の兄。本多忠勝の娘を嫁にしてたこともあって、徳川政権寄りの立場で立ち回り、真田家を江戸期に守り伝えたんですねー。
こういうのは、いまに残る観光用の建物とかではなく、「ここにあった」という位置関係を体感しておきたいところ。


◆妻女山
海津城から上杉軍が陣取る妻女山に別動隊が進発・・真夜中だし、敵に見つかってはまずいので馬もおとなしくさせて静かに進軍しなければならない。それも12000の軍勢がですよ。まぁばれるんじゃないかなあ、っていう気は確かにしますね。

こちらも距離感を体感したかったので歩いていきました。けっこうしんどかった

妻女山展望台。川中島平を一望できます!右手に海津城も。
歩いてきましたが、小さいながら駐車場もあったので、クルマでくれば疲れませんでした。

謙信公は越後(新潟県)から南下してきて、川中島を横切って、ここに陣を構えたっていうから度胸がありますね。
目の前を流れる千曲川の対岸あたりに武田軍が展開包囲の構えをとったら、退路を断たれるかたちになることがここにくるとよくわかります。
この場所から、敵の炊事の煙が「いつもより多い」と見、「今夜武田軍が動く準備をしている」と見破った・・って伝わってるというから激アツだ。


かくして八幡平で両雄が激突、武田軍は本陣が破られて危うかったところに、妻女山がもぬけのカラであると気づいた別動隊が山を下りてきたのが間に合って、挟撃のかたちになり、引き時を察した上杉軍が北に退却したと。んで、このあたり一帯の武田軍勢力下を守ったことになり・・戦は「引き分け」と言われますが、政略的には武田軍の守り勝ち、というのが定評のようですね。


長野に来たら一度は体験してみたかったコースを満喫できて大満足(疲れたけど)
同じようなことを関ケ原でもやってみたい・・いつかは。


◆松代
妻女山から松代に帰ってきて松代の史跡を散策。松代は小さな街ですが、地名に城下町の名残があり。また史跡が点在していてみどころが満載です。

象山神社。幕末の知の巨人、佐久間象山先生を祭る神社です。象山先生も幕末大河ドラマや時代劇でおなじみですね。坂本龍馬の師匠の勝海舟の師匠や。象山先生は、長野県歌にも登場するくらい、長野のひとにとっては郷土の偉人として知らないひとはいない!くらい有名なはずだ。


旧松代駅。昔はここに鉄道がきてたよーっていうので、駅のホームや待合室なんかが残っていました。なんかロマンがあっていいね。


…っていうあたりをみつつ、本命はこちら。

松代大本営の地下壕跡。大戦末期に、本土決戦を考えていた軍が、大本営をここに移して徹底抗戦しようという構想をもって、突貫でつくった地下壕なんだそうです。それが残っていて一部が一般公開されています。興味があるひとは調べてみるといいとおもいます。
海岸線から遠く(米軍は海から上陸してくるので)、岩が掘りやすいとか、いろいろと都合の良い条件があって、ここ松代が選定されたそうです。

これがすごかった!

入口でこういうヘルメットをかぶって中に入ります。

まぁすごかった・・いま地震がきて生き埋めになったらどうしようとすごく思いましたが、崩れなくてよかった。
これも戦争の史跡ですね。


◆岩櫃城
このあとは上田城、砥石城をまわろうと思っていましたが時間的に厳しそうだったので、上州へ抜けて岩櫃城をみにいきました。
ここは一度見に行きたいとおもっていたので念願がかなった。山道をくねくねとクルマで走り、途中「八ッ場ダム」をとおって・・

 

ふもとに駐車場があるので止めて山を登る。

いたるところに堀や土塁の遺構が!

そして本丸址。

 

つかれた・・
クマが出るみたいで、登山客が鈴を鳴らしながら歩いてました。

ここは真田丸とか真田太平記でおなじみ、真田氏が領していた山城でございます。難攻不落の山城だ!
名古屋城とか姫路城とかきれいな天守閣の江戸期のお城もいいけど、やっぱり「城」といったらこういうお城がロマンですよ。
遠州の高天神城とか、二股城とかね、そういう実戦経験のあるお城をすすめたい。


 

簡単になっちゃいましたが!こんな感じの長野ライブ遠征になりました。なかなかよかったです!

では、また!