日曜日のサンデープロジェクトでおもしろい(?)議論をやってました。
テーマは、私の理解では、
日本ってなんかおかしくなってきてるけどなんで?
で、どうしたらいい?
っていうような話です。
題材として、今年に入って頻発している無差別通り魔事件がひとつ。
秋葉原で起こったのとか、岡山で会社員が突き落とされたとか、土浦とか八王子の本屋さんの店員の刺殺事件とか。後は、父親を中学生が殺害した、という事件もありました。隣の人を捕まえてバラバラにしてしまうとか・・・
共通しているのは、「誰でもよかった」って加害者が言っていること。
昔だったら、個人的な怨恨とか、その事件固有の動機があったが、今はそれがない。
メッセージ性がない、というコメントをしてる方もいました。
社会を、自分たちの考える理想の、これこれこういう方向に変えていくために飛行機をハイジャックしちゃうとか、どっかの山荘に立てこもるとか、地下鉄に毒ガスをまくとか、そういう意味ではメッセージ性がないです。
じゃなんですかと。
背景として、コメンテータの方々があげていたのは、だいたい議論されつくしているようなことのおさらいといった感じでしたが、
・固定化されつつある格差
・社会とか友人とか家族とか地域社会とか人間関係が希薄化してる
・夢とか希望とかがないとダメな人生っていうプレッシャーがありすぎでないの?
・なにかこういうことでもしないと社会や他人と繋がることができない孤独感が・・
とかそんな感じですか。
題材その2としてあげられていたのは、ここ数年で、電車の駅員さんが、お客から肉体的暴力、言葉の暴力、その他暴力を受けるという件数が何割か増えています、という話。
駅員さんがお客を注意すると、逆ギレされるんだそうです。
西武鉄道の社長さんが、駅員はお客様に何かされても抵抗できない。そういう存在が体のいいストレスのはけ口にされてるんではと強く感じる。昔ながらの弱きを助け強気をくじくみたいな道徳観がどんどん失われてるんでは。みたいな話をしていました。
犯罪の種類もね、強盗とかよりも、今はちょっとした路上での喧嘩とか暴力とかの
件数がどどーんと増加する傾向にあるんだそうです。
司会の田原さんも、お年寄りを立たせてシルバーシートで座ってる若者とかみると
よく注意するそうなんですが(てかあの人はいかにもそうしそうだ)、まぁときどきぶん殴られたりすると。で、面白いことを言ってたのですが、ぶん殴られるのはいいけど、周りの乗客はそれを見てもなーんにも反応を示さないと。
新幹線だかのトイレに女性が連れ込まれて強姦されたという事件もありましたが、乗客がなーんにも注意したり助けたりということをしなかったってことがクローズアップされました。
そこで、冒頭にも書きましたが、
日本ってなんかおかしくなってきてるけどなんで?
で、どうしたらいい?
っていう議論です。
憲法の問題なのか社会のシステムの問題なのか教育の問題なのか。
時間の関係だと思いますが、中途半端で切れたけど、とてもいい内容でしたよ。その後、韓国の李明博政権の特集なんかやらずに1時間これやってたらよかったのに。月末金曜深夜に一晩中やってもいいテーマだと思います。
私が見てて一番「その通りだなー」と思ったのが、今は「共通の価値観」というものが壊れているからではないか、という意見でした。
人々の間にある、「どう考えても100%これはおかしいよね」という価値観がバラバラになってるから、或いは、バラバラではないんだけど、みんなでそれを守っていこうという共通の意識がないから、例えば小さなところでは、電車でおかしなことしてる人が「お前になんの権限があってそんなことを言うんだ」とかね、周囲のひとたちが、ひとはひと、って他人事にして、傍観者になってしまったりするようになってると。
じゃあ、そういうものをみんながもてないなら、電車にしても何にしても、全部細かくルールや規則を作るのも一つの方法なんじゃないの?という意見。
いやいやそんなのおかしい。
昔のように、みんなが共通の道徳観や倫理観やモラルというあたりのものをもう一度もてるようにするのが王道ではないのかと。
でも、「じゃあこうすればいいんじゃないか」って妙策は、誰にもわからないって感じでした。
高度成長期、日本人は、みんなが漠然とではあったかも知れないけど、ひとつの方向に向かっている感があったと。今は誰もそれに代わる何かを提示することができていない。
よその国はそれは宗教かも知れないし、愛国かも知れないし、自由なのかも知れないし、豊かな生活かも知れないし、まぁ何かしらあるのでしょうけど、日本はそれがないよねと。
確かにそういうところはあるのかなぁ、と思いながら見ていました。
まぁ、身近なところでも、いろいろと身に覚えがあることがあったりするわけで。私は、いろんな経験から、今は基本的に人は人、自分は自分、って考え方になって
しまっていますし。
「これが正しいんだ」「それはおかしい!」って、自分なりに考える正義のために行動を起こすこと、今の日本人で勇気を持ってそれができる人って、どれだけいるでしょう。確かに昔の人の方が、そのあたりの気分は強く持っていたんだろうな、と思います。
今、「デュランれい子」って人のある本を読んでるところなのですが、似たようなことが書いてあるわけですよ。日本人は自分の意見を表明したり出しゃばったりするのがエレガントではないことだと思ってるけど、欧米では、ていうか世界では、それは不思議なことだと思われるんだぞと。
他にもいろいろと新しい気づきを自分にくれることが書いてあります。どんなことが書いてある本かっていうとそのうち書こうと思っていますが。
今、オリンピックやってますよね。
とりあえず、スポーツやろうぜ。義務教育は部活必須ね。好きなスポーツなんでもいいから打ち込め。苦手でもいいと思います。別にオリンピックや甲子園を目指すわけでもないんだし。人と比べるんじゃなく、自分なりに面白くて、だんだんうまくなるのが楽しければそれでいいじゃん。
私、高校のとき柔道やってたんですけど、めっちゃ弱かったんだぞ。それでもあの頃の自分は輝いてた!と今でも思います。今やってる野球もヘタです。
心技体っていいますよね。
何がよくて何が悪いか、他人の痛み、いろんなプレッシャーにどうやったら立ち向かえるか、努力して頑張った先に何があるか、目標に向かって進むっていうのがどんなことか、今自分が何をすべきか、チームで助け合うってことがどんなに素晴らしいか、上下関係ってどういうことなのか、他人を応援するってどんなことか、とかとか。
いろんな疑問や壁もをなんやかやいっぱい出てきますが、どうやったら乗り越えられるか、気持ちの持ちよう、試行錯誤。
そいういうのを通じて得られる経験や、教えられることや、成功体験や挫折感や。人生とかに役立てるにはあまりにも擬似的に過ぎないことなのかも知れないけど、断言しますが、絶対に役に立つ。
スポーツは手っ取り早いひとつの例ですけど、今の時代は、一見何の役にもたたなそうな何かに打ち込む、自分を追い込むっていう環境が少ないのかも知れないとふと思いました。
サムライになろう。
日本の昔のお侍は、剣の腕を磨くことで、きっと精神も鍛えられてたんだと思うんですよ。
サムライとはこうあらねばならない、こうあらねば恥ずかしいんだ!っていう、なんていうか名誉を命よりも重んじて自分の心を強く律する精神力と道徳観を持っていたから、今でも世界の人から尊崇(好奇の目もあるのでしょうが)されているのだと思います。
・・・日本人みんながそうなれたらいいねぇ。