未来を拾いに

aikoのことしか頭にないひとのブログ

NHK ろーかる直送便 あいたい「ひろでんは広島人と共に」

2011-07-27 02:54:47 | 雑記

広島を走る路面電車の視点から、広島人ってどういう人たちなの?広島人気質って? 
というのを調査しようみたいな内容の番組でした。 

序盤のところで「カープ鳥」が出ましたよ( ・∀・) 
このお店については、カープ仲間の人ら以外には説明がいりそうですがおいてけぼりで! 

おいしいお酒においしい料理でおしゃれでリーズナブルでカープなムードの居酒屋さんね。 
広島の夜は是非こちらで。「あー広島にきたなあ」って気分を存分に味わえると思います。 


あー、よくいうよね、「広島風お好み焼き」って。なに広島風って? 
あっちが「関西風」「大阪風」だからね。間違えんように! 
「広島風お好み焼き」はまだいいけど、「広島焼き」はありえない。 
「お好み焼き」といいましょうね。 

あー、あと「カープ弱い」とかっていうな。そんなことはいわれなくてもわかっているから; 
そうだよね、出ていった選手でも応援します!っていうのはちょっと違うよね。
それから、カープのことを阪神の二軍だと思ってるカープファンはひとりもいないですから。 


東京からきたミュージシャンの人が番組の案内人。 
カシオペアってバンドでキーボードなんだって。知らんひとだけどいいおっさんです。 

広島人の一般的なイメージは「熱い」んだってさ。 
老若男女が市民球場のスタンドでカープを応援する光景とかみるとまぁそうなんかも。 
神宮とか東京ドームのレフトスタンドみたいなものだと思ったらいけんで。 
広島の雰囲気は違います。「老若男女」ってところが、かな。 

東京のカープファンは、やっぱりどこか、カープを応援するのが趣味なんです!みたいな、いわゆる「ファン」ばかりのような気がするけど、広島はもっとこう、そこら辺の普通の人が普通にきてる感じがします。 
まぁ、野球知らん興味ない、「何がおもしろいんかの」っていう人も勿論普通にいるけど、よそと比べて、カープが街や人に溶け込んでるよね。 

言葉は悪いけど、カープを熱心に応援する人のことを「カープきちがい」じゃといいます。 
つまり、その、きちがい以外のひとはごく普通に日常の一部の空気みたいな感覚として応援してます、という感じかなあ。 
サッカーの日本代表が頑張るとみんな応援するでしょ、普段はそんなにサッカーに興味がないっていうひとでも。 
でも、日本代表を応援するために、外国にいったり、そんな注目されないような試合でも全部いったりする熱心なファンもいるわけで。 

何がいいたいかというと、日本の普通の人がサッカーの青いユニフォームを応援するような感覚で、広島の人はカープを見てるんでないかなということ。 
「カープ」って、単なるひとつの地元のプロ野球チームです、っていう以上の色彩を帯びてる感じがするんですよね広島って。 

私が小学生の頃、1980年代中盤くらいですかね。 
新聞のスポーツ欄の「プロ野球の順位」欄はいつもこんな感じでした。 

【セントラルリーグ】 
1.広島 
2.巨人 
3.阪神 
4.中日 
5.大洋 
6.ヤクルト 

【パシフィックリーグ】 
1.西武 
2.阪急 
3.近鉄 
4.日本ハム 
5.ロッテ 
6.南海 

ね。 

この話をしたのは、「いつも広島が一番上でした」っていいたいわけでななく。
いやまあそれも多少はあるけどw 

「広島」って都市名がそのままチームを表しているのはカープだけでした。 
広島以外の人は、カープファンのことを「広島ファン」っていうじゃん。 
この場合の「広島」はカープのことでした。 
これは今でもいうなあ。まぁ慣れたらそんないうほど違和感ないけどね。 

今でこそ、「埼玉西武」「東京ヤクルト」とかいうようになったけど。 
「埼玉ファン」とか「東京ファン」とは言わないでしょ。 
あ、「横浜ファン」はいうようになったかな。 

Jリーグができるはるか以前から、カープはそういうチームでした。 
それって、きっと広島人にとっては「誇り」のうちに入ってると思います。 

サンフレッチェ広島。 
Jリーグの「オリジナル・テン」(1993年のJリーグ初年度に参加した10クラブ)なんだぞ。 
今は何チームあるのか知らないけど、順位表みたらいっぱいあるじゃん。 
広島はスポーツがとっても盛んです。こういうのも、参加しなきゃ気がすまないんだろうね! 


小学生の頃、サッカーやっていました。毎週月~金の放課後。土日はときどき大会ね。 
私は右サイドのディフェンダー。 

まぁ、野球でいったら外野手ですよね。 
センスがある子どもは、野球だったらピッチャーとかショートとかでしょ。 
サッカーだったらFWだったり真ん中のMFだったりするんだけど、私みたいなのは野球だったら外野かファースト、サッカーだったらDF。 

不器用で不器用で。 
うまい子は、リフティング左右で100回とかできるんだけど、右だけで10回が精一杯。 
いくら練習してもできるようにならんかったなあ。 
取り得は足がまぁまぁ速いのと、スタミナがあることと、ボールとか相手選手を怖がらないって先生に言われて、だからDFだったんだそうだけど。 
いや、センスがないからでしょ。 

特に教わってたのは、「前のハーフ(右のMF)がボール持ったら攻めあがれ」だけ。 
で、ボールもらってセンタリングいれる。 
今は「クロス」とかいうんでしょ。前時代的っていうか、昭和なサッカーです(苦笑) 
このセンタリングが、大会で1回だけゴール入ったことがあって! 
うれしかったなあ。 

後は相手が攻めてきたら邪魔したりスライディングタックルしたりね。 
1対1の場面で勝ったら(守ったら)チームメイトみんなに祝福されたよ。 
練習はしんどかったけどいいチームでした。 

それで。 
ひとり1つは買ってもらってたみんなのサッカーボールが、「モルテン」か「ミカサ」でした。 
どっちも広島の会社ですよ。が、今はどうなんだろ。 

今は、アディダスとかナイキとか、ミズノとかアシックスとか?世界的な、あるいは日本の有名なスポーツ用品メーカーが主流なんでしょうか。ご存知なひと、いる? 


広島は「ぎゅっとした街」だって。まぁ確かにコンパクトにまとまった街です。
西の端から東の端まで、自転車で1時間くらいあればいけるんじゃないかなあ。

広電は総延長35.1km。電停は82。電停と電停の間は300m。 
乗降客数は1日16万人。路面電車としてはダントツで日本一の客数を誇ります。
生活に密着してて、広島の人に愛されてるってことですね。 

あ、広電、「遅くない?」って。 

・・・電車のスピード。 
いわれてみたら遅いような気もするけど、言われて初めて気づくって感じですよね。 
生まれたときから「そういうもん」だから、遅いとか思ったりしたことない。 

だって、道の真ん中をクルマと一緒に走ってるんだぞ。 
信号が赤だったら止まらなきゃいけないし。横断歩道もあるし。 
あんまスピード出たら危ないじゃんね。 

「広島人気質は、ゆったりでおだやか」だって。 

そんなことはないとおもうなあ。いらちも多いですよ。ひとによる! 


広島を出てもう20年以上ですが、私は自分は「広島人」だと思っています。 
生まれ故郷です。広島弁を通して日本語を覚えたので、広島弁がネイティブ母国語。 
いまでも毎年に1回は広島にいきます。年に1回は広島でカープを応援したいじゃんね。 
広島じゃないとダメ。神宮も悪くないけど、やっぱり敵地だし。 

多くの広島人と同様、私にとっても8月6日はいつもと違う特別な日です。 
ねぼすけなので8:00に起きて何かする、というわけではないんですけどね、感覚的なものとして。 
あー今年も8月6日がきたなあ、という。 

広島電鉄、原爆が落とされた(=落ちた、ではない)日の3日後には早くも運転を再開させて、途方にくれるたくさんの市民を勇気づけたって話はとても有名です。 
たぶん今でも8月6日の8:15にはサイレンが鳴って、電車は1分止まって黙祷するんじゃないかな。 


私が生まれ育った南観音の街(街つうか町だな)は、国道2号線沿いの町でした。 
2号線には広電の線路は通ってないんで、中心部(そごうとかお城とか本通とか八丁堀のほう)へ行く交通手段は緑のバス(広電バス)。 
乗ったら、天満川、本川、元安川を渡って大手町四丁目で左折。市役所の前を通ってそごう、っていうのが定番ルート。 
たまに、平和大通り(平和記念公園の前を通る。当時の観音っ子の間では通称「100m道路」=ホントに100mあるのか、今もそう呼ばれてるのかは知らん)を通るルートもありましたが、電車は西観音町の辺りでちょびっと会うくらい。 
だから、あんまり「生活に身近」な感じは持っていなかったりします。それはちょっと残念かも。 

それでも何度か乗った記憶があります。 
西から相生橋を渡って、右手に原爆ドーム、左手に市民球場のルート。 
まだ原爆ドームの意味をわかってないくらいの幼い頃の記憶。 
どっからどうみても時代から取り残されたようなたたずまいじゃない。 
なんであの建物だけずーっと新しくしないで残しているのかなあ、って思ってた。 

母親に聞いてもわかる説明は聞けなくてね。「大人になればわかる」って。 
母は広島人ではなくて、遠州の人です。 
結婚して広島にきたけど、広島はあまり好きではなかったようで、いい思い出もないみたい。 

思えば、「大人になればわかる」でごまかされたこと結構あるなあ。 


そうそう、遠足で乗ることがあった。己斐から宮島ね。 
広電宮島って駅で降りて、宮島行きのフェリーに乗ります。 
フェリーっても、水泳が得意な人だったら泳いで渡れそうなくらいの距離ですが。 

宮島、「じごぜん」とかいう駅の次です。ヘンな駅名でしょ。 
これも大人になってから知ったんだけど、「ちのごぜん」「地御前」っていって、毛利元就が厳島の戦いのときに拠点を置いた場所だそうです。 
神社の御前の地、みたいな地名なんだろうね。 

厳島の戦い、NHKの好番組「名将の采配」でも取り上げられてたでしょ。 
毛利軍5000が陶軍2万を打ち破った上に、総大将である陶晴賢を討ち取るという、毛利側の視点からすれば「奇跡」と形容されるほどの、世に名高い奇襲戦です。
「西の桶狭間」っていうけど、厳島より桶狭間の方が後なんだけどね。 

見る目のある人が見れば戦略的に喉から手が出るほど欲しいという場所に囮の城を作って、陶軍をおびき寄せておいて、その「地御前」から荒天の中厳島に渡って、裏側から一斉に奇襲をかけたんだそうです。 
総崩れとなって壊走する陶軍、逃げようにも四方は海。制海権は毛利方の水軍に握られ、ほとんど全滅したと。 

そういう歴史を学習してから宮島にいって、地勢を眺めるというのもまたいい旅になるのでは。 
古戦場っていいですよ。なーんにもないけど、想像力をめぐらせばいろんなことが見えてくる、ような気がしてロマンにひたれます。 
川中島とか関ヶ原とかもいっぺんゆっくり行ってみたいんだけど、なかなかね。


・・・広電の続き。 

駅名といえば、「らくらくえん」(楽々園)とか。 
何があるのか知らないけど楽しそうな場所だなあ、って思ってたなあ。 

今はもうなくなってしまったけど、当時は、「広島ナタリー」って遊園地がありました。 
このあたりで「ジェットコースター」という乗り物に唯一乗れる場所じゃなかったかなあ。 
海の上にあったんたぞ。怖かった; 
でかい観覧車もあってね! 

これもいい思い出なんだけど、いつの間にか閉園しちゃって。今はどうなってるんだろう。 

宮島は有名ですね。 
鹿がいっぱいいてね。弁当やおやつを鹿に食われないように食べるのがたいへんだったね。 
潮干狩りとか花火とか。ここの花火は「水中花火」っていってすごいんだぜ。 
「水中」っていうか「水上」なんだけど。遠くから見にきてでも一見の価値ありです。 
あまりにも近くて、着ている服が燃えるかと思ったもの ←さすがにそれはうそです 
ロープウェーで山に上るとサルがいっぱいいました。 
今は水族館もあるけど、いまだ入ったことない・・・いつからできたんだろうか。 
ラッコとかパンダイルカがいるらしいぞ。 

そうそう、広電の宮島線といえば「チチヤス」って、そうだな、牛乳とかヨーグルトとか、森永乳業とか明治乳業とかと同業な会社が沿線にあって。社会科見学の定番! 

・・・この路線、昔から並行してJRが走っていてね。 
こっちの方が速いから、大人になって宮島いくとき(滅多にないけど)は、広電には乗らずにJRに乗るようになりました。
速いけど、味はないかも。 


番組では触れられなかったけど、広島では、路面電車を「電車」というので、JR(山陽本線や呉線)のことは「汽車」といいます。 
例えば松山とか、今でも路面電車がある街もそうかもしれませんね。 

若い人は知らんけど、例えばうちの爺さん婆さんなんかはそういってた。 
まぁ、昔は国鉄は蒸気機関車なんで、その感覚を残している世代にとっては、別に不思議な話ではないです。 
新幹線がなかった頃は、東京まで「汽車」で10時間以上かけていったって。 
うちの父や母が若い頃の話だなあ。 


「広島の人は辛抱強い」 
「団結したら広島の人はすごいですよ」 

って。刃物屋のおっさんが。 
「何人かが集まって何かしようゆうとったときはそれはもうすごいですよ」 
だって。 

おっとりしてるけどがっしりしてて、芯が通っててそれでいて人当たりがいい。
ある意味力強さを感じるー番組の案内人のミュージシャンの人はそんな表現でまとめていました。 


すっげー長くなったし、まとまってもいないな。 
なにがいいたいってわけではないんだけど、ヒマだったのと、番組みててなんだかいろいろ懐かしくなったので。 

じゃまたね。