未来を拾いに

aikoのことしか頭にないひとのブログ

太平記 #9「宿命の子」

2012-06-12 02:31:15 | 雑記

aikoが出てくるスペースシャワーTVを観るためにスカパーe2を契約しました。
CSのチャンネルが適当に見れて月4000円弱です。 

aikoはもちろん! 
プロ野球ニュースとか、懐かしいアニメとか、マニアックなドキュメンタリーとか見られてなかなか良いのですが(見る時間は限られてるけどな)、中でも昔の大河ドラマを見られるのがうれしいことで。 

ちょっと前まで「独眼竜政宗」を毎日録画してみてました。 
いまは、「翔ぶが如く」と、「武田信玄」と、この「太平記」を見ています。 

「武田信玄」は、リアルタイムのときはもっと面白く見てた記憶があるのですが、いま見るとそうでもなく。 
が、「翔ぶが如く」と「太平記」は、今見てもやはりスバラシイ! 
一度見たことがあるはずなんですが、毎回楽しみにしてみています。 


その太平記。1991年の放送ですね。私は高校1年生のとき。 
カープが最後にリーグ優勝をはたした、私にとっては忘れることのできない年です。 

今日は#9「宿命の子」。 
タイトルは、まぁ、足利高氏(真田広之)が、京都にいった折りに白拍子(宮沢りえ)とやってできちゃった子のことを指しているんですが。 
これが長じて足利直冬となり、後に天下を割って高氏と激突する宿命にあると。
まぁそれはまた後の話。 

去年の大河はあまりにも酷かったので、1ヶ月で挫折しました。 
今年の「平清盛」は、それに比べるとだいぶ良いのですが(特に保元の乱前後から良くなった!)、それでもこの頃の大河ドラマに比べると、やっぱり何か一枚も二枚も下がる印象を受けています。 
この頃に比べるとおもしろくない。 

ひとつには、役者さんがどうも若く見えて仕方がないっていうか、演技力が下に見える、というのがあるのかなーという気はします。 
まぁ、そう思うのは自分が歳とったからかも知れませんが。 

が、たぶんそれはあまり本質的じゃなくて。 
「脚本が幼稚にきこえる」のが決定的な気がする。 

「翔ぶが如く」も「太平記」も、台詞のひとつひとつの格調がそれはそれは高いです。 
主人公が、「おもしろう生きようぞ!」とか、「平氏は一蓮托生!」なんてね、中学の道徳の教科書みたいな台詞ははきません。 

そういう意味では兜に「愛」の文字をうった正義の武将の話は酷かった。 

そう、大人の世界は汚れているのですよ。 
それぞれの野望と理想がうずまき、手を血で汚して、どんなキタナイことだってやらねばならないのだ。 
「毛利元就」なんて元就の手玉の中でいろんな人が罠にはまって仲間割れして死にまくったでしょ。 
謀略がうまくいき、元就(中村橋之助)が「ふっふっふっ・・・」って。 
してやったりの笑みをしたりして。 

いつだったかの斎藤道三の台詞にこんなのがあります。 
「ひとはみな己の都合で生きておるのじゃ」と。 
おまえら考えが甘いんだよ。いまの世の中、きれいごとでは人は動きませんよと。 

道三がいうから台詞に力が宿るというのはありますけど。 


話がやや逸れた。 

加えて、いいドラマは、台詞が少ないですよね。というか、口数を多く用いないで表現するのがうまい。 
「誰に説明してるのそれ」みたいな台詞は興趣がない。 

高氏の父である足利貞氏(緒形拳)なんてね、口数が少ないんだけど演技や表情で、貞氏の胸中というのをものすごく表現できてるなーって、見ててすごくおもうんですよ。 

そんな貞氏が、長い病の床につき、高氏に家督を譲るのがこの第9回。 
死期が近いことを悟った貞氏が、高氏を呼んで大事な話をします。 
この台詞が、口数の少ない貞氏にしてはすごく長いんですが、これがまた格調が高くて。 


・・・ 

「近頃、よく夢を見る。我が父、家時の夢を。 
父上は、北条の咎めを受けて自害されたとき、わしはまだ元服前であった。 
ずいぶんと昔のことだ」 

「あまり、お話にならぬほうが」 

「かまわぬ。一度そのほうに、話しておかねばならぬ話だ。」 

「父上は自害されたとき、こう申された。 
『足利家は源氏の嫡流、北条に悪政あらばこれを討ち、天下を取って民の苦しみをやわらげるのが務めなり。
ゆえに武家の棟梁と申す。 
しかるに不肖家時、悲しいかな徳なく才乏しく、北条の責めを受け、わずかに家名を守るため、死に行くのみ。
この、無念がわかるか。 
無念がわかるなら、父に代わって天下を取れ。 
そのほうにできぬなら、その子に取らせよ』 
そう申されて、その遺言を血でお書きになり、置き文としてわしに預けられた。
そして、わしの目の前で、腹を、切り裂かれた」 

「祖父家時殿、御自害しとは聞き及んでおりましたが、遺言の儀は・・」 

「この40年、それとの戦いであった」 

「父上」 

「何度もおもった。なにゆえ、なにゆえ源氏の棟梁として生まれたのか。 
だが、そこから引き下がることはできぬ。わしも、そなたも。 
しかるにこの貞氏、悲しいかな、徳なく、才乏しく、わずかに家名を守って、この病だ。」 

「父上」 

「高氏、あとを頼む。父のように迷うな。
神仏(かみほとけ)のゆるしがあれば天下をとれ。そして、それが道とおもうたら、弓を取れ」 

「師重、師重やある!みなに伝えよ、今日より、この高氏が足利のあるじだ。」

「ははー」 

「父、家時の置き文を、高氏にみせよ」 

・・・という感じ。 
これも淡々というのよ。歌舞伎役者みたいに声高らかにいったりはしません。 
これを受けるほうの高氏も、大げさに騒いだり、感情的になりまくったりはしません。 

いーんだこれが。 


ドラマを見ているとわかるのですが、この台詞には伏線があるんですよね。 
貞氏が子供の頃、父親が北条氏に圧迫されて、切腹に追い込まれているのを、子・貞氏がじーっと見ているシーン。 
貞氏は、北条氏に何度も面目を潰されたり、足利家を取り潰す理由をつくるための挑発を受けたり、無理難題をふっかけられたり、いろいろ嫌がらせを受け続けるわけですが、頭を下げたり、馬鹿のふりをしたり、おとなしく従ったりし続けてきてて。 
それが第1回から、この第9回まで、繰り返し繰り返し、綿密にじっくりと描かれてきてるのね。 

それでこの台詞なので、しみるんだわ。 

で。 

この回のタイトルは「宿命の子」でしたよね。 
貞氏も高氏も、そういう、そこから逃げることを許されない宿命を、生まれながらに背負ってこの世に生を受けてきたわけですね。 


あ、「太平記」は、北条高時(片岡鶴太郎)がいい味出してて大好きです。 
このひとの演技も見逃せないぞ! 

「翔ぶが如く」もこれがまた格調が高くていい大河ドラマなんですが、 
まぁそれはまた書きたくなったら。 

ではまた。