NHK「そのとき歴史が動いた」。福島正則のお話を見ました。
福島正則というのは戦国武将であり江戸初期の大名です。信長の野望とか戦国無双とかあの手のゲームにも出てくるほど有名な人です。日本史苦手な方でも聞いたことくらいはあるんではないかと。
番組の内容は、豊臣恩顧の正則が、家康・秀忠の江戸政権の時代の中で、豊臣と徳川の板ばさみになりながら、どんな風に存在感をみせ、どんな風に生きたかというものでしたが、その辺は有名なので、正則と広島との関わりと、徳川に領地を召し上げられた後にどうなったかの方に目がいきました。
正則は関ヶ原の戦いの功などにより安芸備後49万石の大名として広島にきました。
福島正則といえば槍一本の猛将というイメージが先行していますが、それだけではなく、広島の城下町を発展させるのにも才能を発揮したのだそうで。
入部前は小さかった商業地を拡大し、鞆の港なんかも整備して大阪との流通をよくし、国内産業も発展させて広島の景気をよくしたと。今でも紙屋町とか八丁堀とか賑わっていますが、広島城の南のこのあたりに商業地を初めて拡大したのは正則だったそうです。
福島正則の広島改易後、広島には浅野長晟という大名がきました。この人は豊臣政権の「五奉行」のひとりに名を連ねる浅野長政の次男です。この浅野家の分家に忠臣蔵で有名な赤穂浅野家があります。
赤穂藩が幕府から城を明け渡せと言われたとき、「篭城」の声も出るものの結局は潔く、粛々と、涙ながらに城を明け渡すシーンがあると思います。このとき赤穂の家臣達が手本にしたのは、福島家の広島城明け渡しでしたとも最後に紹介されていました。
広島では11月にお祭りがあります。えびす大祭ってやつ。熊手とか買ってね。小さい頃はこういうお祭り楽しみでした。綿菓子とか金魚とか買ってもらえるし。結構なんやかやお祭りが盛んなんですよ広島って。
この胡子神社、正則が広島の商業の守り神みたいな感じで吉田から移したって。これを今も盛大にお祭りしているんです。その様子も番組の最後に紹介されました。懐かしい風景ですよ。
同時に、へぇ~って思いましたねぇ。お祭りってなんか意味があるんですが、あんまり気にしたことがないなぁって。
いいですよねこういうの。歴史というのは教科書や本の中だけにあるのではなくて、今も私たちの生活の中に生きているんだなぁと感じさせてくれます。
今でも金沢の辺りにいけば前田とか、仙台は伊達とか、熊本は加藤清正とか細川とか、ご当地で敬愛されている殿様や大名ってそれぞれありますよね。広島では毛利、それから浅野、平家もそうかも・・・なんですが、福島正則は広島の人たちにそんなに愛されてるイメージがない印象があります。
愛されてる以前に、福島正則と広島が繋がりがあるという認識も薄いんかも。
広島にいた期間が短いですし、鉢植え大名ですし、それも判る気もしますが、なんかかわいそうな気が。
私は観音で生まれ育ったのですが、観音小学校の西側の方だったと思いますが、福島町」という地名があります。昔っからこの町名の由来は福島正則に関係があるに違いないと気になってたんですが、この番組のおかげでやっとそれを思い出し、ネットで調査。
やっぱりというか、「明治39年に旧広島藩主福島正則の三男八助を祀る小祠を同地で発見しこれにちなむ(広島市史)」。というような記事を見つけることができました。
そんな大した由来じゃないのね。
もっと何か実はへぇ!みたいな発見があるかと期待していたに。
無念。