tea bowl blues

益子の陶芸家、太田幸博
のやきものとbluesのある日

ツーやん(成井恒雄)作品 マイコレクション(5)

2021-04-08 09:04:45 | Weblog

粉引指描きぐい吞み。(制作年不明)

私が修行中の1984年頃、土日は、ツーやんの兄、成井藤夫さんが経営する益子陶芸村にあった

「炎の国」で販売のアルバイトをさせていただきました。

東京にいた頃は、渋谷神南町にあったジーンズショップ「ニューシカゴ」で店長として働いた経験があったので、

(当時は、第一次古着ブームで、リーバイスやアメリカから買い付けた古着がよく売れました。)

販売は好きだったし、いろいろな作品を見る事が出来たので随分参考になりました。

店では、入店したお客さんに一口、お茶を振舞うのがきまりでした。

その時に、このぐい吞みが使われ形の珍しさと益子らしい素朴さが、お客さんに好評でした。

販売価格は忘れましたが、安い方だったので、とてもよく売れました。

私の所有している作品は、ツーやんのお別れ会(平成24年)で山崎農園さんから頂いたものです。

人気があり、かなり長い間、制作していたと思います。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツーやん(成井恒雄)作品 マイコレクション(4)

2021-04-07 23:41:29 | Weblog

茶碗。(1983~4年頃)

ツーやんは、とにかく茶碗作りが好きでした。

細工場の囲炉裏で、よく抹茶を立てて振る舞いました。

茶道を特別やっていた訳ではなく、朝鮮の茶碗の作りにとても魅かれていたようです。

見込みの広がりが大切で、外観はあとでついてくるという考えで、

とにかく中心から土を動かすという事を、毎回言われました。

たまに観る機会のある井戸茶碗を代表とした16世紀の朝鮮の茶碗の見込みは広く

わずか15cmほどの器の中に、どこまでも広がる空間を感じる事が出来ます。

多分、当時の茶人は、そういうところに禅的な魅力を感じたのかもしれません。

私も、教わった技法に忠実に、特に茶碗作りはライフワークとして今も追求しています。

この茶碗は、弟子たちの窯作りの体験に1室の薪窯を作り、初窯を茶碗だけで焼いた時のものです。

素焼きは無く、すべて並白釉生掛けで3個ずつぐらい重ねて焼きました。

焼いた後は売るつもりはなく、記念に弟子たちに分けてくれました。

窯作りと生掛けやだんごを付けて重ね焼きする技法などを、楽しみながら教えてもらいました。

私は、少し青く発色して灰も被ったこの茶碗が気に入り、いただきました。

みんなでもらった茶碗の目跡を割らない様、一生懸命きれいにした思い出があります。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツーやん(成井恒雄)作品 マイコレクション(3)

2021-04-07 22:57:16 | Weblog

黒釉に糠白を掛け流した大皿。(1984年頃)

流し掛けは、濱田庄司さんも名品を数多く残している益子焼の代表的な技法で

まだ民芸ブームが続いていた当時の益子ではよく目にするものでした。

ツーやんも、いろいろな流し模様を試みましたが、これは飼育していた軍鶏やハトの足を想わせる模様です。

流し掛け技法は、本体を片手で持って下の釉薬が完全に乾かないうち柄杓で別の釉薬を上掛けるのですが、

やり直しがきかない為、迷わず思い切りよく流す必要があります。

この皿の様に、柄杓で同じ模様を連続して掛けるのは、実際にやってみるとかなり難しいです。

私が修行最後の頃、納品先の益子陶芸村から縁にキズがあるという事で返品の連絡があり、私が受け取りに行きました。

細工場に持って帰ると「太田さんにあげるよ。」と言われ卒業記念のつもりでいただきました。

お蔭で、大皿を挽く時、とても参考になりました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツーやん(成井恒雄)作品 マイコレクション(2)

2021-04-07 22:21:43 | Weblog

1982~4年頃制作の黒釉と糠白の掛け分け面取り花瓶です。

雪山の様な風情があり、当時のツーやんの代表的な花瓶で大変、人気がありました。

益子並土で成形後、益子の黄土を下掛け、芦沼土から作った黒釉を掛けた直後、益子産の米籾殻を焼いて砕いて水簸した糠白釉を

掛け、まだ釉が乾かないうちに指描きして模様をつけた、いかにも益子焼らしい作品です。

当時の陶芸専門誌「陶芸四季」にも同型の作品が掲載されました。(昭和57年)

益子焼に茶花を活けるという取材で、島岡達三さんの推薦だったと聞いています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツーやん(成井恒雄)作品 マイコレクション(1)

2021-04-07 09:52:18 | Weblog

現在、益子町にある「道の駅ましこ」で「師匠のことば~成井恒雄(ツーやん)と仲間たち」が好評展示中ですが、

作品回顧展ではないので、作品全体を知ることまでは出来ません。

そこで、私が所有している成井恒雄作品の一部を掲載してみました。

いつか全貌を知ってもらえる機会があればと思います。

上部写真は、私が一番大切にしている1982年頃の「糠白釉面取り花瓶」です。

弟子入りして、初めて体験した登り窯で私が2番室の根っこから窯出しさせてもらいました。

本来は、白い釉薬ですが、ほんのりピンク色に窯変していて姿も端正で感動した覚えがあります。

なぜ銅成分の無い糠白がピンクに窯変するかは今だにはっきりわかりませんが、

自分の体験では長時間、薪の炎に当たったものの中に出る傾向があります。

口部分は胴を挽いた後、継いでいました。

面は、ロクロから切り離す前に面取りしていました。

実際にやってみると、かなり技術が必要です。

今でも自分のロクロ台の前に置いている一番好きな作品です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師匠のことば~成井恒雄(ツーやん)と仲間たち インタビュー閲覧

2021-04-04 21:08:38 | Weblog

4月25日まで「道の駅ましこ」で開催されている「師匠のことば~成井恒雄(ツーやん)と仲間たち」の

一部展示替えがあり、ツーやんの話や弟子たちのインタビュー全文が閲覧出来るようになりました。

私のインタビューも閲覧出来ますが、長文なのでブログに記録として掲載します。

他の弟子たちのインタビュー文もおもしろいので、機会があればご覧になって下さい。

太田幸博さん    2020/07/28

 

陶芸にであったきっかけ

岩手県盛岡出身、高校時代は美術部であったが、岩手県では陶芸は一般的でなく粘土には1度触れた程度で、「うまく作れないな」そんな印象だった。美術部でもあったので、大学も美大に行きたいと考えていたが、美大への進学は親の許しが得られず・・・。

そして東京に出て学生時代を過ごす中、ミュージシャンになりたいという夢も持っていた。ミュージシャンを志す一方、自分への才能と向き合う中で「何をしようかな」と思うこともあった。でも、音楽が好きな気持ちは変わらず、東京では「ビスケットタイム」という店に顔をよく出していた。そこは、社会人として働きながらミュージシャンとして演奏を楽しむ人も集う店で、そこに通ううちに「仕事をしながら音楽を続ける道も良いかもしれない」と思うようになっていた。


成井さんと出会う(太田さん 25歳のこと)

長く夫婦として連れ添っている奥様とは、東京で知り合った。

奥様の同僚で、京都で友禅の仕事をしていた方が益子に縁あって嫁に行くことになった。その方の旦那さんが上村良夫さんだった。当時、上村さんはすでに成井さんのところで学ばれていることもあり、上村さんの誘いで成井さんのところに伺うことになった。

 

細工場の中に案内されると、囲炉裏から煙が立ち独特の雰囲気の場所だった。ろくろを挽いていた成井さんが蹴ろくろの台から降りてきてくれた。ベルトは太い荒縄だったか、とにかく独特ないで立ちの人だった。囲炉裏の椅子に腰かけて、成井さんはお茶を振舞ってくれた。とにかく楽しい話をしてくれたことが記憶に残っていて、その印象が後に陶芸を志すきっかけになったと太田さんは振り返る。

 

細工場の近くを見回すと、素焼きの窯があったと記憶していて(今はない)、ローリーさんと亀田さんが窯焚きの仕事をしながら、そのそばで寝ころんでいた。
成井さんのところに行った後は、坂東純子さんのお誘いで上村ご夫妻を交え夕食をとることになった。坂東さんは成井さんのところで修業をされており、北郷谷に家を構え1階は細工場、2階は自宅と素敵なお住まいに感動した。夕食はステーキにワイン、素敵だなと素直に思った。食事の感動もさることながら、きづきもあり、陶芸は美大を出た人だけのものではないこと。お二人も、もともとは陶芸とは異なる仕事に身を置いていた。

夕食の歓談の中で、太田さんは上村さんにどんな人が陶芸家になるかと質問すると「誰でもできるよ」と。その返しに驚きつつも「自分もできるかもしれない」と、陶芸にさまざまな面白みを感じたはじめての益子訪問だった。

益子へくるまで

 

初めて益子にいってから陶芸への興味が高まり、東京では陶芸教室に通い技術を学ぼうと努力していた。そんな日々を1年半続けて、久しぶりに上村さんと電話で連絡を取り、近況を報告した。陶芸教室で頑張っていることを伝えると上村さんは「陶芸教室で学ぶのは無駄だから」と衝撃の言葉とともに、「益子に来て学んだらどうか」と誘ってくれた。

成井さんのところで手習いの始まり

太田さんが益子に来たのは26歳の11月か12月、冬だった。上村さんの紹介で成井さんに弟子入りすることになった。「夜に来るといいよ」成井さんは太田さんにそう言った。また成井さんのすすめで、昼は成井藤夫さんのところ(七井の里山陶苑)で太田さんは仕事をすることになった。昼は藤夫さんのところで、夜は成井さんの細工場で学ぶ日々が2年ほど過ぎたころ、当時弟子たちのなかでリーダー的に色々と面倒を見てくれていた矢口参平さんが「独立したいなら夜ではなくて、昼に細工場に来て学ばなきゃいけないよ」と声を掛けてくれた。それからは成井さんの細工場に昼に通って土に向かった。

 

独立

当時の益子は、手習いや弟子入りをしてから3年で独立することが何となくの流れになっていた。太田さんも昼の細工場での修行と並行して、独立に向け土地探しや窯を築くためのレンガの調達と準備に邁進した。益子に来てから4年、30歳の時に今窯のある場所に自宅と工房を構えることができた。


保証人欄の続柄は「友達」

家や窯を作るにはお金が必要!銀行からお金を借りることになった。その時、なんと成井さんが保証人にまでなってくれた。銀行に書類を出すときのこと、太田さんと成井さんの間柄を書く欄について「師匠と書いていいですか」と太田さんが成井さんに尋ねると、成井さんは「友人かな」と言って、書類もそのとおりに書いて、銀行から無事にお金を借りることができた。今でもとても感謝している。

 

修行中、ろくろの挽き方

「ろくろは形を作るのではなくて、土を動かすんだ」それが成井さんの口癖だった。

それは技術的に言えば、一般的にろくろを挽くときにコテを使う。コテは器の表面をきれいになめすためにも使うけれど、それは形を作ることになる。寸法として、1つひとつ計るようなことは無い。均一にしていくと、その器には力強さが少なくなる。

「中心から土を動かす、土が動いて形になるんだ」

ろくろ名人は同じものが作れる、そうした陶工としての技術があると思う。でも成井さんのところでは「1つひとつ違っていい」と教えてもらったように思う。

 

コテの話

コテは 茶碗は1回、皿は2回

コテを当てるたびに力強さが弱くなる

「土がどこまでも伸びるようなイメージ」「土を活かす」

コテは土の表面をなめす道具、成井さんは土を動かすためのコテなので厚みがある

 

コテは手習いの段階ごとに作ったもの、今でも使っている

太田さんが、成井さんに聞きたかったこと、ふと思うこと

成井さんは若い頃、窯元で職人と仕事を共にしていたけれど、どうしてこの境地に至ったか

寸法通りの仕事ではなく、土を活かす向き合い方をどうしてしようと思ったのか

 

 

成井さんのこと

成井さんは自信をくれる人(褒めてくれたり、肯定してくれたり)

成井さんのもとに習いにやってくるひとは、悩みがあったり、何をやっても自信がない、そんな人が集まっていたように思う

弟子にお金は払えないし、だから自分(窯)の仕事はさせない。お弟子さんが作っているものを傍らで見て自分の仕事の意欲にしていたように思う

成井さんはシャイに見えて、いろんな話ができるし、話好き、実はスピーチも上手だったりする。話していると面白いから、いろんな人がアドバイスをもらいに囲炉裏に来ていたのだと思う

糠がとてもきれい、濁りの無い色が特徴

糠白は薬を作るのに手間がかかる(柄杓で何杯とかそんな感じだけど)

 

若いころの成井さん(40代)

ろくろに気迫がありピシッとしていた。

独立したあとの弟子のことも心配な気持ちがあったので、弟子の作るものを試作して教えることもあった。売れないと生活に困るから。

 

個展はしない

個展はずっとしようとはしなかった。何故かといえば「自分は売るために金持ちや偉い人に

頭を下げたくないんだ。欲しい人に買ってもらえればいい。」と語っていて、ポリシーであったように思う。

 

成井さんの晩年、面取りのこと

太田さんは、成井さんが40代の時の作品を見せてくれた。フリーハンドの面取りはとても難しいが、曲線の面取りがとても美しい。

歳をとっても物を作る意欲を感じて、古川のおじいさんが成井さんのところに来ている時「おじいさんが、なんとかろくろを挽いて形になる器、それがいい」と成井さんは話していた。

登り窯の大口の灰は掃除しないほうがいいとか、若い頃に細工場で教わった仕事とは違うやり方を「太田くん今度教えるよ」と、思いつくと声を掛けてくれた気がする。成井さんが亡くなる少し前くらいに「新しい茶碗の挽き方今度教えるよ」と言ってくれたが教えてもらうタイミングが無く、残念に思う。

 

2010年に教えてもらったこと

成井さんの住む家の上にある道は森の中の一本道、一の沢に抜ける道に繋がっており、その道を成井さんは晩年散歩することが日課だった。その道沿いに太田さんの家と工房があり、ある時「太田君、新しい湯飲みの作り方を思いついたから教えてあげるよ」と、成井さんが声をかけてくれた。「土取りの段階で先に面取りをしてからコテで膨らませていくんだよ。

一個づつ違って安定しないけど面白い曲線が出るだろう」その作り方を教えてもらってから自分なりに工夫して作陶に生かしている。

 

太田さんの今に通ずること

作るものは自由でいい、挽き方が重要だし今も大切にしている。

一日の中で、自分の思い通りにロクロを挽ける時間がある、ゾーンのようなものがある。

自分は成井さんに教わって、そのことを今も大切に、日々の仕事をしている。教わったひとのなかで、もしかしたら一番忠実に実践しているんじゃないかとさえ思っているよ。

 

つーやんの精神性で焼物を作っていくことを誰かが継承していって欲しい。形は変わっても、個性的な益子のものができるのでは。時代に合わせて焼物は変わるけれど、自分自身をなしている今まで生きてきたことや考え方が器に表れると思っている。そういうもの、自分にしかできないことを追求していきたい。

成井窯の一日

9:30 おそうじ、囲炉裏のお湯を沸かす

10:00 お茶

11:30 土を揉む

12:00 お昼

13:30 ろくろに座る

17:00 御夕飯

成井さんは家ではなく、お弟子さんと一緒に食事をすることが多かった

 

手習いとコテ

つち取り

ようじ立て(あら伸ばし)

豆皿(桜の木を削り、コテを作る。コテの使い方を習う)

湯飲み(L字で柄の長いコテ、手首の返しと手は上に向ける)

茶碗(中くらいのコテ、腰のところに粘土の無駄が無いように挽く、コテは1回あてる)

皿(大きいコテ、コテは2回あてる)

花瓶(土を引き上げる)

づきもの(より土を3段重ねて、傘立てのようなもの)

 

※急須、型物は習いには入っておらず見て覚える。

※手習いの段階で釉薬の勉強はなかった

 

釉薬は独立してから習った

糠白だったら、柄杓で土灰10、長石10、糠灰10、目分量で益子のもので作っていた。

釉薬のバリエーションは、並白、糠白、黒、益子青磁、伊羅保、黄土の益子の伝統釉で特別多いわけではなかったと思う。

陶芸村のこと

成井さんのお弟子さんは陶器市になると藤夫さんの陶芸村に出店することが多かった。なので、成井さんへのリスペクトもあり同じ作風というテントが並ぶ・・・太田さんは陶芸村からスタートして今は共販センターにテントを出している。

 

みんなとの思いで

ある大きな催しが東京であって仲間と一緒に成井さんの焼き物をもって、山﨑農園の芋も一緒に売りに行った。みんなでトラックに乗って行って楽しかったな。

成井さんは、みんなで集まるのが好きだった。週末は誰かの家に料理を持ち寄って

夜遅くまでいろんな話をした。

弟子たちと何台かの車に分乗して、県内の古い窯跡を訪ねたり花見やコンサートにも行った。

特に足尾にいる弟子を訪ねて一泊旅行した時の事は良い思い出。

 

3人展のついでにプロ野球

東京のデパートで成井さんを含む3人展を開催することになった。その時にプロ野球の試合を見ようということになり、太田さんがチケットを取って準備をした。しかし、野球を見る前に入った喫茶店でクーラーに当たり成井さんの体調は急変。プロ野球の試合会場に入る前に「帰る」と言い、宿泊先の千葉に戻ってしまった。成井さんは生涯一度も生のプロ野球の試合を見ていないと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道の駅ましこ「師匠のことば 成井恒雄と仲間たち」展

2021-03-13 17:21:51 | Weblog
本日から4月25日(日)まで、道の駅ましこで、私の師匠、成井恒雄さんの「師匠のことば 成井恒雄と仲間たち」が開催されています。この展示は、益子でツーヤンと呼ばれ親しまれた故成井恒雄さんが、修行中の弟子たちに伝えたことばや、自ら広告紙の裏などに書き残していた自筆の散文や俳句などが、在りし日の細工場を再現した会場に展示されるという、とてもユニークな企画です。今回の展示に尽力してくれた佐藤敬さんのツーヤン直伝のロクロ挽きの実演もご覧いただけます。
成井恒雄さんは、本人もそう望んでいた為、生涯無名を貫きましたが、その独特の作風とロクロ技術、そして弟子を多く輩出した人柄は、益子の陶芸の歴史にとても重要です。
この機会に、ぜひご覧いただければと思います。
私も、作品(一部販売もあり)とエピソードを提供させていただきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道の駅ましこ「師匠のことば 成井恒雄と仲間たち」展

2021-03-13 17:13:57 | Weblog
本日から4月25日(日)まで、道の駅ましこで、私の師匠、成井恒雄さんの「師匠のことば 成井恒雄と仲間たち」が開催されています。この展示は、益子でツーヤンと呼ばれ親しまれた故成井恒雄さんが、修行中の弟子たちに伝えたことばや、自ら広告紙の裏などに書き残していた自筆の散文や俳句などが、在りし日の細工場を再現した会場に展示されるという、とてもユニークな企画です。今回の展示に尽力してくれた佐藤敬さんのツーヤン直伝のロクロ挽きの実演もご覧いただけます。
成井恒雄さんは、本人もそう望んでいた為、生涯無名を貫きましたが、その独特の作風とロクロ技術、そして弟子を多く輩出した人柄は、益子の陶芸の歴史でとても重要です。
この機会に、ぜひご覧いただければと思います。
私も、作品(一部販売もあり)とエピソードを提供させていただきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師匠のことば 成井恒雄と仲間たち

2021-03-09 20:33:27 | Weblog
 
 
道の駅ましこで、3月13日(土)より、私の陶芸の師匠、
故成井恒雄さんの回顧展とも言える
「師匠のことば 成井恒雄と仲間たち」が開催されます。
私は、26歳で益子に来てから4年弱、成井恒雄さん(ツーヤン)に師事して焼き物を学びました。
独特な作風とロクロ技術を持ち、何といっても、その人柄で
多くの人に慕われました。
残念ながら2012年に72歳で故人となりましたが、
いつまでも尊敬してやまない師匠です。
ツーヤンは、弟子たちにいろいろなことばを残しました。
自身も詩や文を多数書き残していて、今回は作品と合わせた
ことばの展示会という昭和~平成の益子焼の一端を知る事が出来る、とてもユニークな企画です。
私も、一部作品展示と思い出を語らせていただきましたので、
ぜひ会場でご覧いただければ幸いです。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりにブログ更新します。

2021-03-01 12:44:14 | Weblog

 

鳴神 2020.12.13 児童虐待防止イベント@オリスク

 

youtube#video

 

久しぶりにブログ更新します。

コロナ禍の為、本業の陶芸の春の益子陶器市も中止が発表になり、陶芸家には今年も厳しい状況が続いていますが、

何とか制作は続けています。

いままで焼いたものは、すぐ売ってしまっていたので、あまり作品をネットに掲載してこなかったですが、

これからは気に入った作品は出来るだけupしていこうと思います。

 

平行して活動している「鳴神」ですが、昨年はNHK・FMローカル「夕暮れとちのき堂」のテーマソングに

ファーストアルバムから「幸福と幸運」のインストバージョンを採用していただきました。

現在も毎月最終金曜日18:00~放送中です。

また宇都宮オリオン通り曲師町商店街イメージソング「オリオン通りっていいよね!」ビデオが

バンバ通り大型ビジョンで流れたり進展はあったものの、ライブ活動はわずか3本でした。

今年の予定はまだありません。残念ですが再開出来る日を待ちたいと思います。

昨年の少ないライブから、11月に児童虐待防止啓発イベントに出演した際の動画がyoutubeにありましたので

シェアさせていただきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

19日の、つくばスローマーケットで

2019-05-23 23:36:22 | Weblog
19日の、つくばスローマーケットの写真をいただきました。 ステージは学校の音楽室。懐かしい感じがして楽しかったです♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳴神 2019.5.19 つくばスローマーケット

2019-05-21 10:27:42 | Weblog
鳴神 2019.5.19 つくばスローマーケット


5月18.19日に茨城県つくば市で開催されたクラフトフェア「つくばスローマーケット」に
4年ぶりに参加させていただきました。
旧筑波東中学校を利用した今回、お客さんも多数来場でつくばスローマーケットらしい
とてもいい雰囲気のクラフトフェアでした。

鳴神は、19日、3階にある音楽室でイベントの最後の方に演奏させていただきました。
つくばは、以前から熱心に聴いていただくお客さんが多く、
この日も初めて聴くバンドの演奏にもかかわらず、CDをご購入いただいたり、踊る人がいたり
観客数は多くはありませんでしたが、とても反応の良い楽しいステージでした。
また来年も、ぜひ伺いたいなと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つくばスローマーケットに出演します!

2019-05-11 21:28:17 | Weblog
久しぶりに、つくばスローマーケットに出演します!
鳴神結成以前から、お世話になっている大好きなクラフトフェアで、
また呼んでいただいて感激です!!

つくばスローマーケット
2019年5月18日(土)19日(日)
茨城県つくば市北条4160 旧 筑波東中学校(校舎内外)にて開催。
10:00~16:30 雨天決行 入場無料
*校舎内は土足不可です。スリッパ、上履きをご持参下さい。

つくばスローマーケット


鳴神は19日(日)14:45~3階音楽室です。
両日とも、顔見知りのミュージシャン。パフォーマーが多数
出演していて楽しみです♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルース&ソウルレコーズNo.147

2019-05-09 22:17:56 | Weblog


創刊25周年を迎えた日本唯一のブルース専門誌
「ブルース&ソウルレコーズ」の最新刊No.147に
鳴神の新しいCD「鳴神SOUND」のレビューを
掲載していただきました。
素敵なレビューをありがとうございます!!





新刊本ですので、他のページのFB掲載は控えますが、
今号は、ミシシッピーデルタブルース特集で、
戦前ブルースのオムニバスCDが付いてます。
戦前ものは、レコードプレーヤーが壊れてから、
全然聴いてないので、久しぶりに細工場で聴くのが
楽しみ♪
収録されてるビッグジョーウイリアムスだけ
70年代に来日した時に観られたのでよかった♪

昔から、いろいろなブルースを教えてもらっている
頼りになる情報誌です。

アマゾンの通販サイトです。
鳴神SOUND
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019春の益子陶器市ありがとうございました!

2019-05-09 21:59:30 | Weblog
5月6日、2019春の益子陶器市無事終了しました。
10日間、益子は連日大勢のお客さんで賑わい、私のブースも
最終日の朝には作品もこれだけになってしまいました。


高額設定の茶碗以外の器は、最後はこの2点になり、
一度、ご購入いただいたお客様が戻っていらっしゃりお買い上げいただき
概ね完売となりました!


陶器市も新しい時代に入り、いろいろ変化が必要になってきましたが、
まだまだ参加していきたいと思います。
秋の陶器市も、どうぞよろしくお願いします!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする