益子町では、今年も陶器市が中止になり、連休中のテント出店は避けるよう申し合わせがあった為、
その代替に連休後の5月毎週土日に「益子モノ市」というクラフト市が開催されます。
http://blog.mashiko-kankou.org/staff/?p=18881
この時期のイベント開催ですので、時間帯入場人数制限などいろいろ規制はありますが、
久しぶりに出店機会が出来て、うれしいです。
申し込み作家も多い様で、私は初回の出店からはもれてしまいましたが、
5月15,16日(7番)と22,23日(37番)の2回、出店します。
最近の益子陶器市は作家の作品展示会の様になりましたが、
今回は、益子陶器市の原点に帰って、ほぼお買い得品のみで出店したいと思っています。
https://toukiichi.mashiko.online/
益子web陶器市は、明日4月29日(木) 9:00~5月9日(日)まで開催されます。
今年も、益子陶器市は中止ですが、かなりの数の作品が出店されていますので、
ぜひご覧になって下さい。
トップページで、太田幸博と検索していただくと、出展ページが開きます。
どうぞよろしくお願い致します。
道の駅ましこで開催されました「師匠のことば展」4月25日、無事終了致しました。
陶芸家のことばを展示するというユニークな企画でしたが、
再訪される方もいて大変ご好評いただきました。
師匠、成井恒雄(ツーやん)のことばを読んでいると、この仕事を長く続ける難しさと
その為の心構えを常に弟子たちに伝えていて、
自分も気が付かないうちに、ツーやんの心構えを継承してここまで続けてこれたなと
思います。
出来れば師匠より長生きして、もっと出来のいい作品を残して恩返ししたいと思います。
会場に飾られたツーやんの細工場は、40年前と変わらずとても懐かしい風景でした。
細工場の軒先。
メインの登り窯。
4台並んだロクロ台。ツーやんは真ん中。私は右隣で修行しました。
右の湯呑はツーやん。左は同じ技法の面取りで制作した私のカップ&ソーサー。
卒業して36年経って、初めて師匠と一緒に作品展示出来ました。
*粉引窯変茶碗。(13cmx13cmx8cm 286g)
コロナ禍の為、益子陶器市はこの春も中止が決まりましたが、代わりのイベントが
開催され両方とも参加予定です。
〇益子WEB陶器市 (2021年4月29日(木)09:00~5月9日(日)17:00)
〇益子モノ市
2021年5月8日(土)~9日(日),5月15日(土)~16日(日),5月22日(土)~23日(日),
5月29日(土)~30日(日)
場所:益子陶芸美術館/陶芸メッセ・益子 芝生広場(栃木県芳賀郡益子町益子3021)
時間:10:00~16:00(雨天決行)
益子WEB陶器市 には、写真の様なものを出品予定です。
*粉引窯変茶碗(13cmx13cmx8cm 261g)
*粉引窯変平茶碗。(16.5cmx16.5cmx5cm 293g)
*青磁釉茶碗((15.8cmx15.8cmx5cm 333g)
灰釉俎板皿(46.5cmx20cmx6.5cm 1660g)
道の駅ましこ」で開催されている「師匠のことば~成井恒雄(ツーやん)と仲間たち」
新聞各社にも掲載いただいて概ね好評のようです。
4月11日は、ロクロ実演を担当している佐藤さんに代わって、
他の弟子達がロクロを廻すという事で行ってきました。
棚にさしていた弟子の誰かが作った茶碗をみると、私の頃とは口の処理が違うので、
ちょっと気になりました。
口辺を、二重に巻き込んでいる様な厚い処理をしているので、何故かなと思い訳を聞いてみると
口辺を丈夫にする為という事でした。
確かにツーやんの後期の茶碗には、そういうものが多くあり、
私は、どこまでも広がる潔いロクロを教えられたので、広がりを先端で抑える事は
あまり好きじゃなかった。なのでその頃の茶碗は所有していませんが、
御所丸や丹波の茶碗には、そういう処理がありますので、きっと何か訳があったのでしょう。
登り窯の焼き方も、時代によって弟子たちの話が違うので、
ツーやんにもいろいろ変遷があった事を、今回、改めて知る事ができました。
私も、独立してから25年以上経って、散歩中のツーやんから
変わった面取り技法を教わったので、師匠も晩年までいろいろ新しい事を試していたのだなと思います。
その時に教わった面取り技法で作ったカップ&ソーサー。
右の湯呑は、同じ技法の成井恒雄作です。
会場はほとんど非売品ばかりで残念ですが、やはり陶芸家は販売はするべきなので
片隅に2点だけ展示させていただいています。
左からロクロ実演に千葉から来ていた後輩弟子の、鈴木タクさんと企画展もお世話いただいた冨野博司さんと私。
白泥文皿(制作年不明)
最後に、とても思い出深い一枚。
黄土を掛けた上に、白泥で文様をつけた中皿です。
ツーやんは、みんなで集まって話す事が好きで、毎週のように夜、
誰かの家に一品料理を持ち寄っては、いろんな話をしました。
私の住んでいた一軒家のアパートでも度々、宴会がありました。
ある時、ツーやんはこの皿に、奥さんのみさ子さんの料理を盛ってやってきました。
重いと定評があった成井系の器の中で、とても薄作りでロクロの挽き具合などは、
修行中、何度も練習していたお手本のような皿でした。
「俺が昔、作った皿なんだよ。返さなくていいよ。」と言って
そのまま私の家に置いて帰りました.
昔っていつ頃なのか。私が弟子入りした1982年当時、ツーやんは43歳だったので
たぶん30代頃の作品なのかと思います。
文様は、刷毛目で使う使い古しの帚の先をバラした筆で、自分の3室の登り窯を
描いたんじゃないかと思います。
今では素朴な皿ですが、当時の民芸ブームでは味わいのあるもので、
販売を意識して、ある程度の枚数を制作したのでしょう。
私は、1985年に独立しますが、初窯でこの皿をお手本にした板皿を焼きました。
板皿はツーやんは、あまり制作しませんでしたが、成井窯一番弟子の先輩、
能登美登利さんに作り方を教わり制作しました。
先輩の能登さんと、若くして亡くなった矢口参平さんは、とても後輩の面倒見がよく、
独立まで、いろいろアドバイスをいただきました。
自分は、後輩に同じ様な事が出来た記憶が無いので、まだ恩返し出来ず申し訳なく思っています。
1985年の秋の陶器市で、益子陶芸村に初出店した時、一番最初にこの皿が売れました。
買ってくれたのは、佐野の恩田さんという方で、皿を全部購入してもらい
とてもうれしかったです。
恩田さんは、その後、「陶器 藪」というギャラリーを開き
そこで個展をやらせていただいたり、ずいぶん長い間お世話になりました。
私に陶芸家として、これからやっていく自信を与えてくれた思い出深い皿です。
粉引茶碗(制作年不明)
この茶碗は、4年ほど前に、ツーやんの弟さんの成井清治さんからいただきました。
ある日、成井清治さんが家に訪ねて来て、「ツーやんが、まだ10代か20代のはじめ頃に作った茶碗で
ずっと持っていたけど、俺ももう歳をとったので、太田さんにあげるよ。」
とこの茶碗をいただきました。
成井清治さんは、成井家の四男で陶芸家ですが、ミュージシャンでもあります。
ハワイアンや歌謡曲のバンドでギターやスチールギターを演奏したり
自分で曲を作って歌ったりする多彩でカッコいい方です。
私も8年ほど前、宇都宮のホテルで、一度だけ演奏をご一緒した事がありますが、
スチールギターはかなりの腕前で、今も現役です。
茶碗は、焼きが甘く売り物ではなかったと思いますが、
若い頃の勢いのある作りで、見込みにも気合を感じます。
目跡が5つあるので、重ねて焼いたのでしょう。
よく焼けた茶碗もあったはずですが、これは焼き温度が低いので、
多分、登り窯の火裏に入れていたと思います。
若い頃、料亭の注文で100個、茶碗を焼いていた事もあったと話していましたが、
その話の茶碗とは違うタイプなので、どういう経緯で焼いたものなのか
聞いてみたかったです。
片身変わり一輪花入れ(1984年頃)
黄土掛けした素地にたっぷり糠白を掛けています。
裏面は、益子青磁釉(青磁ではなく、糠白に銅を5%ほど加えたもの。)を
流し掛けしています。
型おこしで作った厚手の皿。(1984年頃)まんじゅう皿と言ってたかもしれません。
素地に黄土を掛け、文様をロウ抜きして黒釉を掛けています。
素朴な文様ですが、モダンに見える時もあり人気作品の一つでした。
この2点は、窯出しで欲しくなりましたが、ツーやんは弟子が欲しいと言うと
お金を取りたがらないので、弟子の中で中心的な役割をしていた故矢口参平さんに相談して
奥さんの美佐子さんに、そっとお金を渡して譲ってもらました。
そんな風に、私の持っているツーやん作品のほとんどは頂いたものです。
ついでにこれもツーやんから当時の弟子たちがいただいたツーやんにはレアな
焼き締めの花入れです。(1984年頃)
なんの時だったか忘れましたが、削りなしの高台切りっぱなし素焼きなしで焼き締めを試しました。
益子の土ですが、素朴ないい味わいで焼き上がりました。
販売するつもりがなく、みんな弟子や訪ねて来た人に分けてしまいました。
たぶん一度しか制作していませんが、当時の弟子たちはみな所有していると思います。
茶花を活けるととても雅味のある、あまり知られていない逸品です。