
5月27日(日)・28日(月)、東京板橋区の「きもの和美助」様展示会の
特別展示で、作品の展示・販売をさせていただきました。
きもの和美助の代表、神山洋さんは私の古い友人で、20.21歳の時、
東京でプロミュージシャンになる夢をみていた頃のバンドのベーシストです。
私は結局、才能が無くなれませんでしたが、メンバー4人中、
後にホーナーブルースハープ世界大会で優勝し、
現在も仙台で活動中のハーモニカ奏者「吉田ユーシン」氏と
当時、ドゥービーブラザース風の演奏でデビューした「マーブルヘッドメッセンジャー」
にドラムで加入した福井健蔵氏(このバンドは、日本青年館でセンチメンタルシティ
ロマンス、桑名 正博 と共演。)
が加入していた一番思い出のあるバンドです。
神山洋さんは、当時最先端のラリーグラハム風のチョッパーベースをマスターしていた
ので、チャカカーン&ルーファスのようなサウンドを目指して、
水道橋にあった日大法学部の地下リハーサル室を借りて、ほぼ毎日練習していました。
周りには、最高のリズム隊と言われて気分を良くしていた頃です。
そんな上手いベーシストだった神山さんは、現在は呉服屋さん。
先日、益子へ訪ねて来てくれて久しぶりに再会しました。
きもの展示会で、私の作品を展示したいというお話しをいただいて、
少量でしたが、展示させていただきました。
友人とは実にありがたいものです。
特別展示で、作品の展示・販売をさせていただきました。
きもの和美助の代表、神山洋さんは私の古い友人で、20.21歳の時、
東京でプロミュージシャンになる夢をみていた頃のバンドのベーシストです。
私は結局、才能が無くなれませんでしたが、メンバー4人中、
後にホーナーブルースハープ世界大会で優勝し、
現在も仙台で活動中のハーモニカ奏者「吉田ユーシン」氏と
当時、ドゥービーブラザース風の演奏でデビューした「マーブルヘッドメッセンジャー」
にドラムで加入した福井健蔵氏(このバンドは、日本青年館でセンチメンタルシティ
ロマンス、桑名 正博 と共演。)
が加入していた一番思い出のあるバンドです。
神山洋さんは、当時最先端のラリーグラハム風のチョッパーベースをマスターしていた
ので、チャカカーン&ルーファスのようなサウンドを目指して、
水道橋にあった日大法学部の地下リハーサル室を借りて、ほぼ毎日練習していました。
周りには、最高のリズム隊と言われて気分を良くしていた頃です。
そんな上手いベーシストだった神山さんは、現在は呉服屋さん。
先日、益子へ訪ねて来てくれて久しぶりに再会しました。
きもの展示会で、私の作品を展示したいというお話しをいただいて、
少量でしたが、展示させていただきました。
友人とは実にありがたいものです。
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