こんなに勉強したのは生まれて初めてだった。
2007年の3月の日記を読んでみると8日に願書を郵送していて、そこからこの2年間の全てが始まっていることがわかる。思えばその1年前の2006年にやってみようかと思っていたのだけれど、仕事が入ったことによって1年延びた。2006年の年末に仕事が片付いてきたと思ったので、2007年になってやっぱりやってみようと今度は説明会に参加。選べる大学はたった3つだったけれど、その中から一番自分に合いそうなところを選らんだ。
説明会で「どの程度2年間で卒業できるものか」と聞いたらあまり明確な答えは返ってこなくて「卒業できる割合は相当低いのだな」と感じたのを思い出す。何も知識が無いところから始めるのだから、もしかしたら全くダメかも知れないとも思ったあの日が昨日の事ようだ。
それでも何とか2年間で卒業できて、よく考えると不思議だ。
振り返ってみると、そこにはいくつかの幸運と支援があるなあ、と思う。
幸運は、それは制御できないタイミングだろうか。
入学していろいろな仲間と知り合って、通信だとそれはなかなかできないことだけれども、盛り上がって勉強できた。それに良い先生にめぐり合った。こんなに短くまとめられるものじゃないけれども、そう言ったことと思う。
支援は、第一にやはり仕事もせずに2年間も放っておいてくれた妻の存在が大きい。放っておくどころか、たまには切ったり貼ったり塗ったり持って行ったりといろいろ手伝ってくれた。それ無しにはやはりできなかったろう。
オリンピックに出る選手でもWBCに出ているイチローは本人の才能、実力や努力がクローズアップされるが、やっぱり家族の支援がなければああはならないだろう。野球で食っていくなど確率的にはほとんど無理な世界なのに、その将来どうなるかわからないことをやろうとしている事に対して、親が”がんばれ”とか”やってみろ”と言えたのはやはり大きな力になったのじゃないかと感じる。
自分の場合はそこまで大それた事ができたわけではないけれども、妻の存在がなければできなかった事に違いは無い。ありがとう。
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ちゅら
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けせら
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