ブックオフでクーポン150円適用後2冊で345円(税込)で買えた。

まだ読み終えていない本があってこれを読めるのは先になるはずだが、メルカリで調べた値段よりかなり安いので良しとしよう。
「長崎市長への七千三百通の手紙」を半分程度まで読んだ。ストーリーではなくて掲載された300通の手紙を時系列でめくっていくといろいろな人がいろいろ書いていてなかなか興味深いものがある。その多くは(昭和)天皇に戦争責任が有ると考えているようだ。責任無し派は少ない。
責任有り派の中でちょっと驚いたのは、日本人の戦争被害者ばかりか周辺国被害者についての言及がいくつかあったことだ。一般の人でもそうしたことに心を痛めている人が何人もいるとは思っていなかった。良いことではある。
責任有り派のかなりの数の方々が身内に戦死者がいると書かれているので戦争をすることによる人々へのダメージを想像しやすい。そうなった大元は天皇の名を冠した各命令であったのは明白、そしてその命令に従わせるために強権的、暴力的な方法を国民に対して適用していたということが天皇責任追及論に繋がるのはよくわかる。
その場合、もし日本が戦争に勝っていたとしたら、この責任論はどうなっていたのだろう?と、ちょっと思う。仮の話なのでわからないが、責任論に加えて、「平和」という言葉の意味も相当に違っていたかもしれない。
責任無し派は、どれも天皇という存在に傷をつけたくないというのが底にあるようだ。そこから遡って「天皇は軍部に逆らえなかった」「天皇は国民のために良い最終判断をした」または「人柄」に言及している。
ところで、「国のために」という言葉が多く出てきていて、同じ言葉をsnsでもよく聞く(見る)。よくわからないのだけれど、日本国民の多く、またはある部分の人々は国のために生きているのだろうか?戦時中でなくて今現在の話だ。どうなのだろう?
天皇の戦争責任無しと言われる方々は、天皇は国を思い、国民は天皇の子のように書いているので天皇が国のために働いているのであれば当時子である国民も国のために何かしているのではなかろうかと考える。はて、そんな人はどこにいるのか?家の周りでどぶさらいでもやっているのか?必要とされる以上の税金を納めているだろうか?
ちょっとそのあたり、知りたい。
続く