今日でつぶあんが死んでからちょうど1年が経った。
早いものだと感じもするが、その間にもいろいろあって忙しかったとも感じる。特に目立ったのは人の生死に関わることだった。時代的なもの?それとも以前は気にしなかっただけなのか?
「夜と霧」のあと、これを読み始めている。
これに関してはまた、読み終わってから書くことにする。
そして今日届いたのは以下の2冊。
これはバタイユもフランクルもニーチェの影響を受けたということなので必然的に読まないわけにはいかない。ただ、ニーチェはいきなり読んでもわからないとのことなので定番の入門書を先に読んでおくことにした。こちらも徐々に、ということで。
ちょっと昨日の「夜と霧」の補足。
人には自由意思があって、自分が人生から何を問われているかを探すことができる。そしてそれを心の中に置くことによって、つまりそれを内的な未来に設定することが出来、それに向かっていれば今の苦悩や苦痛も意味を持つと考えられると書いた。
それは極論すれば「ああだから、こう」「○○のために今こうする」のような予定、計画を立てる思考だ。動物にはできなくて人にだけできる頭の使い方だ。
すると、生きている上での今現在の苦痛の原因はそのことではないのか?と逆に思えてきてしまう。将来のために今しなければならないことは何なのだ?成功するにはどうすれば良いのか?少なくとも食うに困らないようにするにはどうしたら?
うーん・・・
もうひとつ。もし自分が何か思いついてやり始めるとする。そのとき、心の中でもう一人の自分が言う。「そんなことして何になるんだ?」
これも「ああだから、こう」「○○のために・・・」と同じ思考方法だ。そこで、「いや、ただ楽しいんだ」と答えられる人は意外と少ないだろう。我々はその思考方法がとても自然に出るように訓練されてしまっているのだから。