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もんく [とある南端港街の住人になった人]

続けるには「やる気」以外のものが必要だ

ドアにカーテンを吊るして猫たちが通れるようにした。部屋の暖かい空気を逃がさないため。



そのうちに慣れるだろう。




今日も海の写真を撮っている。朝は雨模様で、午後から晴れ間が見えて夕日の頃にはすっかり腫れ上がった。しばらくの間、飽きるまでこれを続けるつもり。

萩本欽ちゃんの話。
欽ちゃんは美味しいと感じた食べ物があると飽きるまで毎日それを食べ続けるそうだ。極端ではある。普通の人にはなかなかできない。

けれど、そうした事が必要な場面は人生の中でけっこうある。受験勉強や資格試験はもちろんだし、プログラミングやいろいろなスキルを身に付けよとする場合もそうだろう。

先日、友人と話した時に「やる気」という事が話題に上がった。この年齢になれば若い人たちに何かを教える機会もあるが、その中で相手のやる気というものに疑問を持つ瞬間が確かにある。マネジメントの本などに部下のやる気を引き出すというようなものは多くあって、それは上司になった時の課題に一つとして認識されている。

が、果たしてそうだろうか?人生は毎日の生活を送る中での時々のテーマは仕事だけではない。各人には家族もペットもあり、身体やお金やいろいろな心配事がある。それは自然な事で、それ自身が人生の場面なのであって、仕事で何かを成し遂げる事だけに神経と時間を使っていると考える方がおかしいと言える。

そして「やる気」だけれど、誰がどう人のやる気を出させようと、やる気のある事を評価しようと、本来はそれは個人に属する問題であるし、上司と言えどもそこまで個人感情に入り込むのはどんなものだろうか?とも考える。

では毎日同じ物を食べ続けることができる欽ちゃんにはやる気があるのだろうか? 逆に、やる気を持ってやっているとしたら、そんなにずっと続ける事ができるものだろうか? そんなわけはないだろう。やる気など一瞬で消え失せる。

やる気以外のものがそこにあるはずだ。(あえて中途半端で終わりにします)
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