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もんく [とある南端港街の住人になった人]

人間には共喰いする習性があるのか?

プリアンプは今日の昼過ぎに発送されたと通知が来た。遠方だけれど通常は夜中に長距離搬送で近くのターミナルに入り、明日朝ターミナル着荷が認識された後に配送されて午後に到着のパターンが多い。だから早ければ明日の夕方までには到着するかもしれない。



一昨日、家の表札を作った。いや、作ってもらった。近所に工作やワークショップをしている方がいてそこでPCでデータを作らせてもらい、3Dプリンタで出力してもらった。端のところにフリーのベクター画像の猫を入れた。

出来には満足だが、欲が出て次回はもう少し凝った形状にしようと考えている。3Dプリンタを自分で買おうか?



つい先日、あの都知事選を念頭にこんなことを書いた。その後にとんでもなく多くの記事が出て驚いた。自分は正しいことを言い、別の誰かは間違っているから闘うというのが全く正当なことと考えて行われるとしたら・・・世の中はどうなってしまうのか、なんてことは言わないよ。

それはもっとずっと先で良い。その前の前の前にだ、せっかく共通の言語を習得したというのに我々はそれをちゃんと使って話したり議論したりしないのか?と考える。それなら何のために我々は幼稚園、小学校、中学校、高校・・・と苦労して言葉を覚えたり漢字の書き方を習ったりしたというのか?

全く言葉の通じない共感もできない相手と闘うというのはこんな感じだ。
つまり、議論せずに正しさを主張するということは相手が宇宙人やサメや怪獣と同じだという認識に立つのと同じだ。どんな世界を望むとそういうことになるのだろう?常に自分の周囲に警戒線を張り、超えてくるものが無いかに気を配って生きる。自分も、そして相手も。ちょっとしたことで争いになり都度勝ち負けを決めようとする。

そんなことの何が楽しいというのだろう? それにそんな生き方を次の代、その次の代へと伝えていくとしたら、それは次世代に対してかなり罪深いこととは言えまいか? 狭い容器に虫やナマズを飼っていると共喰いしてしまうが、それと同じじゃないのか?
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