「旅の重さ」が終わったので次はこれ。
ジョルジュ・バタイユがニーチェの思想に影響を受けていると聞いていたので遡ってみようと考えたから。しかしながら、いきなりニーチェの著作は読んでもわからないとどこかの方がアドバイスしていたのでその言葉に従って、まずは定番入門書となった。

まだ最初の方1/3ほどしか読めていないけれど、このあたりまででも自分たちに足りないものが少なくとも1つあるとわかる。
それは、「考える」ってこと。
例えば、「悲しい」って何か我々は普通考えない。そんなの当たり前でしょ。人間には感情があって悲しい時は悲しいんだよって、それで終わり。でも、悲しいって何?って考える人がこの世の中にはちゃんといる。ニーチェもその一人。それだけでも常人ではない。驚く。
そういうところ、ちょっとは踏み込んでおかないといけなかったのだろう。
我々は、生きている間の時間を少しのお金に換えてずっとやって、その他の時間は消費に回しちゃうけど、お金持っても特に満足度も上がらないし、消費なんて一時的なものに過ぎないわけで、そう思うと考える時間をもっと持つべきなのだ。
それは、「考える」ってこと。
例えば、「悲しい」って何か我々は普通考えない。そんなの当たり前でしょ。人間には感情があって悲しい時は悲しいんだよって、それで終わり。でも、悲しいって何?って考える人がこの世の中にはちゃんといる。ニーチェもその一人。それだけでも常人ではない。驚く。
そういうところ、ちょっとは踏み込んでおかないといけなかったのだろう。
我々は、生きている間の時間を少しのお金に換えてずっとやって、その他の時間は消費に回しちゃうけど、お金持っても特に満足度も上がらないし、消費なんて一時的なものに過ぎないわけで、そう思うと考える時間をもっと持つべきなのだ。
なぜなら、考えないから自分の在り方がわからないし、どちらかに向かって歩いているのかも知れない。そしてしていることと言えば石を投げられた犬のようにワンワンと反応しているだけだ。そんな我々にこれからの社会をどうしていこうかとか、次の世代に何を残そうとか、そのずっと手前に自分はこれからどう生きていこうというのも無いのだ。
つまりただのアホなのだ。
そういうわけで、この手の本を(薄くて安いので)一つ手にしておいて、本のためにちょっとした時間を割いてみたらどうかと思う。
スピーカーについていろいろ考えているが、ダイソーでフェルトを買ったからボディに貼ってみようと考えている。