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もんく [とある南端港街の住人になった人]

子供たちが自らの人生を切り拓くために必要となる資質や能力・・・なんて誰も本気で考えてないね

昨日の続きのスピーカー作り。
今日は一昨日にパテを塗っておいたので全体をサンダー掛け。内部と下部にまだ埋めなければならないところを発見したのでそこも埋めた。

そして脚も作った。これは家の屋根修理の時の廃材。200と240ミリに切って荒くサンダーで仕上げた。釘穴にはパテ埋め。


そして脚をボディの横に置いてみて位置をどうしようかと考える。


こんな感じ。
左が割と好みなのだが、やはり右かなと思っている。



右にしたとして彩色するとこんな感じ。

悪くない。

彩色と脚の取り付けはラッキーバナナクラブ(活断層ハウス)に行ってからやろうと思う。さて、そして音作りだが、これは内部に先日買ってきたエアコンにカバーする綿状のものの位置と厚みを調整してやってみる。










「未来を担う子供たちの豊かな学びや成長を支えるためは、地域と学校がパートナーとして連携・協働することが重要です」なんてことを文部科学省が主導でやっていて、その対応として活断層ハウスのある自治体でも「コミュニティ・スクール制度」を導入するのだそうだ。

手っ取り早く言ってしまうと、親や地域の人が集まって学校の教育方針に対して意見を言ったり承認を与える、また教育委員会にも意見を言えるようにするということ。それを制度化してやる。

これ、制度上の問題と教育の中身の問題がある。

制度の問題というのは、意見を言う人が増えるだけで決定するという機能がどこにも無いこと。教育委員会はこれまで通りやろうとするだろうし、校長も自分の方針に沿ってやろうとする。そこに意見を言ったとき、その意見がどうとりあげられるのか、それによって話し合いが行われて方針修正がどうされるのかがどこにも書かれていない。言っても聞いてくれない、言うだけ無駄となるかもしれないし、そもそも誰が選ばれるのかも明示されない。仮に強い意見や意欲を持っている人が入ったらどうなるだろう?

というわけで、形骸化か炎上か?みたいなことになりかねない。

中身の問題もそこに関わってくる。FBページには・・・

「これからの社会を生き抜く子供たちが自らの人生を切り拓くために必要となる資質や能力を育むためには、学校だけではなく、地域の方々も一体となって子供たちの成長を支えていくことが必要です」となっている。

そこで「必要となる資質や能力」とは何だろう?

答えは「無し」どこにも書かれていない。

ここが最も大きな問題だろう。学校のHPの校長の教育方針を読んでみても、自治体の首長の教育に関する演説を読んでみても当たり障りのないことが書かれていて、どこに問題があってこれからどうするかという具体的な事項が無い。そのくせ教科毎の方式が一応開示されているが彼らの方針とどうリンクしているかは不明。つまり、文部科学省から学校の中までどこをとってもぼんやりしている。

子供の一生をどう考えるのか、何もない。例えば政府が戦争をすると言い出した時に進んで国のために戦う子供を育てるのか、それとも何があっても逃げおおせて生きる子供に育てるのか、額に汗水垂らして働いて納税する国民に育てるのか、逆に自分のやりたいこと優先で生きる人に育てるのか?極端な話のようだが、そういう部分は避けて通れないはずだが、何も触れられていない。そこを誰も決めないし、少なくとも議論しないで必要な資質や能力とは何ぞや?というわけ。

というわけで、地方自治体は文部科学省がそんなことを推進してその対価としてお金を配るのを受け取るってイージーなスタイルでいつも動いているのだろう。デジタル化なんかもそれで、既存の事項にデジタルをミックスするだけでやってるやってると文書だけ作っている。
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