もんく [とある南端港街の住人になった人]

21世紀の車

先日運転していて気付いた。

そうだ、21世紀に作られた車を運転するのはこいつが初めてだ、と。21世紀などと書くとどうも昭和年代のオジサンには未来世紀のような語感があるが、もうそんなのは10年をとっくに過ぎているわけだから車にとってはもう十分、クタクタになる位に走らされているわけで、そこまで車に乗っていなかった、と言うか運転していなかったのはこっちの責任なのだ。

ちょっと前に他人をこの車に乗せた時に驚かれた。サイドミラーの向きを合わせるのが電動でなくて手動の小さなノブですると言う事に。こちらにしてみれば窓を開けて手でミラーのフチをもってグリグリ位置合わせをしなくて良いだけで進歩的な気がしていたのだが。それにキーにあるボタンで全部のドアがロックできる。エンジンだって電気で適当に制御するインジェクション、メーターにはそれぞれどう考えても無関係なオイルとかミッションとかエアバッグなんかを同時にモニターして使えるようだと知らせてくれる複雑な仕組みが組み込まれている。

これでも十分に21世紀の車なのだ。しかしこれ以上どんな便利なものが組み込まれていなければならないか、実はよくわからない。これだけ長く生きてきてしまうと、車も良くなっているのは想像できるし快適で速くも便利でもあり、そしてまた燃料も食わないだろうと簡単にわかる。しかしながらもう1つわかるのは、そう言う複雑さや便利さや高性能がそれ自体の、そして運転の魅力とは全然関係ないものだと言う事。

昔はいろいろ進歩的なちょっとした何かが付いていると言うだけですごいなあ、と思ったもにだけれども、そんなのは実際の物より良く見せようとする広告のマジックだったのだなあと。これだけ毎年新型車が出て来ているのだからそうそう素晴らしい新機構もアイデアもそうそうあるわけは無いのだ。単にこんなものとりつけてみたら、買って運転する人が実感できるかどうかわからないにしても、ちょっとはマシになったんじゃないかな?と言うに過ぎないのだった。

簡単に言うと、オジサンの目には30年前の車も今年発売の車もその中頃の中途半端な車も同列に並んでいるわけなのだ。選択肢が広いのは良い事だと思っている。
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