【1】日の丸のお話(2/3) 平成25年3月9日 てけてけのアサイチ日記・ 編集
No.639 日の丸のお話(2/3) 【日本の心を伝える会】 より転載
【転送歓迎】
日本の心をつたえる会です。
※昨日からの続き
普仏戦争というのは、は、第二帝政期のフランスとプロイセン王国(後のドイツ帝国)の間で行われた戦争で、プロイセンの勝利に終わっています。
このたいへんな時代の最中に、フランスから公式に要請があったわけです。
要は、フランスはそれほどまでに日の丸に惚れ込んだ、というわけです。
明治3年といえば、当時の日本の国家予算の年額が2千万円くらいだった時代です。
要するに国家予算の4分の1という大金で、日の丸のデザインを買いたいと言ってきたわけです。
まだできたばかりの明治政府は、まだこの時期、戊辰戦争の戦費の償還やら、兵士達への保障金など、財政はまさに火の車、この時期の明治政府にとって500万円は大金中の大金です。
(いまでいったら10兆円くらいのお金)
政府内部でも大激論が起こるのだけれど、結局明治政府は、「国旗を売り渡す事は、国家を売り渡す事」として、この申し出を断っています。
当時、500万円という大金の誘惑を断ち切ってまで、明治の元勲達は「日の丸」の歴史と伝統と誇りを守り通したのです。
実に素晴らしいことと思います。
せっかくここまで書きましたので、戦時中のこともひとつ書いておこうと思います。
それは硫黄島の戦い(昭和20(1945)年2月16日~同年3月26日)のことです。
この戦いで日本軍は、20,933名の守備兵力のうち20,129名までが戦死しています。
一方米軍は、28,686名が死傷しています。
大東亜戦争における日米の島嶼での戦いで、米軍の地上部隊の損害が日本を上回ったこれが唯一の戦いです。
それだけ壮絶な戦いでもあったわけで、このため第二次世界大戦における欧州と太平洋の米海兵隊に与えられた名誉勲章の、実に4分の1以上が、硫黄島侵攻部隊のために与えられています。
そして大戦後に制定された米軍の海兵隊記念日は、硫黄島の戦いで米軍がすり鉢山に星条旗を立てた日でもあります。
米国立アーリントン墓地にある米国の戦争記念碑は、硫黄島の戦いで掲げられた星条旗をかたどったものとなっています。
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けれど実は、米軍がすり鉢山に立てたこの旗は、その日の夜に摺鉢山守備隊の日本兵がこれを奪還し、そこに日章旗を掲げていたのです。
米軍は、この日章旗を引きずり下ろし、火炎放射器で焼きました。
そして、再びそこに星条旗を掲げています。
けれど、その二度目の星条旗も、日本側の守備隊は奪い取り、今度は、やや赤茶けた色の日の丸の旗を、そこに掲げました。
この旗も、三度、星条旗に変わり、その後、日章旗に戻ることはありませんでした。
このときの様子を、当時17歳の通信兵だった秋草鶴次さんが手記に記しています。(「17歳の硫黄島」秋草鶴次著)
米軍がすり鉢山に星条旗を立てた翌日の早朝、秋草通信兵は、すり鉢山の頂上に日章旗がへんぽんと翻っているのを見たのだそうです。
そして「守備隊は頑張ってるな」と、思わず感涙にむせんだ。
栗林中将も、報告を聞いて、その場に出てきて、山頂の日の丸を見ています。
そしてその日の丸が降ろされ、また星条旗に。
そして翌日、やや赤茶けて、白地のところがやや黄ばんだ日章旗が、そこに翻っていた。
ひとめみて、その日の丸が、守備隊員たちの血で書かれたものだと気がついたそうです。
私達の父祖は、そこまでして、日の丸を守ろうと戦ってくれたのです。
そしてその日の丸に象徴されているのは、祖国日本です。
では、何のためにそこまでして硫黄島で戦ったのかといえば、硫黄島を米軍に落されたら、米軍はそこを基点とて、B29で本土空襲をすることがわかっていたからです。
空襲されるところは、東京であり、横浜であり、名古屋であり、大阪であり、広島、福岡、長崎、仙台であり、そして太平洋に面している都市全てです。
ですから硫黄島で、守備隊が、一日でも長く踏みとどまって、米軍の占領を遅らせること。
遅らせれば遅らせるほど、ひとりでも多くの都市部の日本人が、田舎に疎開し、空襲を逃れることができるのです。
あるいは都市部に残るとしても、それだけ深く、たくさんの防空壕を掘って、命を長らえることができるのです。
そしてそのおかげで、戦後、私達が生まれ、いま生きています。
ということは、私達がいま生きているのは、誰のおかげなのでしょう。
辛い、苦しい戦いで、命さえも失ってまで戦い抜いてくださった若き日の父祖がいるから、いま私達は、この世で息をしていられるのです。
そのことに、感謝はないのでしょうか。
人として、ありがたいことと思う心はないのでしょうか。
それこそ人間として、あたりまえの心なのではないでしょうか。
その心を失い、感謝の念すら抱かず、歴史や史実さえも無視して、ただやみくもに日の丸は軍国主義の象徴だとか主張するというのは、いったいどこの国の人なのでしょうか。
そのような発言をする人に、人の心はあるのでしょうか。
日の丸のデザインは、赤丸が太陽を象徴しています。
太陽は四界を照らし、光は一直線に進みます。
赤は赤心といって、嘘偽りのない誠実な心(=真心)を意味します。
ですから私達は、真心の民なのです。
赤丸は、四方を照らす明るい太陽のもと、まっすぐな心、誠実な心、真心で、ひたむきに一直線に進もうとする心をあらわしています。
真っ直ぐな心です。
そして丸は、輪=和をあらわします。
日本の別名は「大和」です。
大和は、「大きな和」です。
つまり日の丸の丸は、大きな和、大和の心です。
そして背景となっている白字は、汚れなき心、至誠、私心なき心、純粋、純白です。
「穢れのない真っ直ぐで純真な真心で、和をもって四方を照らす」
それが日本の国旗に込められた意味であり、日本人の心です。
ちなみに、日の丸は、その寸法が詳しく決められており、図にすると次のようになっています。
日章旗の制式
http://blog-imgs-53-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/2012091022295897d.jpeg
要するに、国旗の縦横は2:3
赤丸は中央に。そして赤丸の大きさは縦軸の5分の3と決められています。
そもそも、国旗というものは、「自国、他国のものに関わらず敬意を表わす」というのが世界の常識です。
なぜかというと、これが大事なのですが、「国旗はその国の所有物と見做される」からです。
つまり、我々がどこかの国の国旗を侮辱したり、踏みつけたり、焼いたり、引き裂いたりするようなことをするということは、我々がその国の所有物を勝手に処分したというふうに看做されるのです。
ですから例えば、我々が外国の国旗を焼いたり破いたりすれば、それは自分が東急ハンズで買ってきた、あるいは自分で染めて作った外国旗であったとしても、その国の所有物を毀損した、とみなされることになるのです。
さらに日本では、刑法第92条で、外国国旗損壊罪が規定され、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金を課せられるだけでなく、当該国から賠償責任を追及される可能性すらあるのです。
国旗と言うものは、それほどまでに尊厳が保障されているものなのです。
ですから、昨今どこぞの国で公然と日本の国旗を焼いたり引き裂いたりしているケースが報道されていますが、これに対しては、まずはその国が、実行犯を逮捕しなければならない。
なぜなら、他国の財産を勝手に処分し侮辱を加えているからです。
そしてその国が、実行犯を逮捕処罰しないならば、それは当該国に対する、国家としての宣戦布告を意味することになる。
明確な犯罪を犯し、これを放置している国家は、世界のルールを守れない蛮族です。
蛮族なら、その蛮族が人類としてのルールを守れるようになるか、すくなくとも守ると約束するまで、殲滅殺戮されても異議はない。それが本来の国際ルールです。
甘くはないのです。勘違いしちゃいけない。
※明日のメルマガに続く