本日(9月28日)、この写真を撮影に現地まで行かれたお方と対面し、写真など沢山の資料を頂戴してまいりました。
説明などは日を改めますが、写真をご本人様の了承の上掲載いたします。
みくに奉仕団発祥の地
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みくに奉仕団発祥の地
敗戦により、世を挙げて混迷虚脱の中を彷徨する、あたかも昭和二十年十二月八日
鈴木徳一、長谷川峻両氏の提唱に呼応して郡内各地より参集し、遥々みちのく栗原の
里から上京した青年六十余名こそ、第一回「みくに奉仕団」である。今や廃墟と化し
た皇居の中に汗と涙にまみれ、黙々として清掃に励む姿こそ、国家再建へののろしであ
った。
時の侍従次長木下道雄氏は、その著「名もなき民のこころ」に述べる。
「その朝、陛下から一同に会いたいとのお言葉、心ひそかに期待申していたことなの
で、陛下に作業現場におでましを願うことにした。
焼土の上に歩を進められるお靴の音は、まさに日本歴史大転換の歯車のきしる音に思
える。いまから数分後には遥々東北から手伝いに来てくれた青年たちにお会いになる。
こんなことが皇居内で行われることはいまだ嘗て先例のないことである」
かくて、思いもよらなかった御下問の光栄に浴した。陛下がお帰りになろうとした時、
突如、湧き起こった君が代の合唱こそ、戦後日本人が初めて陛下の前で奉唱下した国歌
であった。暫くして皇后陛下もおでましになり、お言葉をいただく光栄に浴した。
御製
戦いにやぶれしのちのいまもなほ
民のよりきてここに草とる
この日、皇居の奥深く展開された皇室と国民との一体の姿こそ、まさにわが国戦後史
の開幕であり、日本再建への力強い第一歩であった。この投ぜられた一石の波紋は全国
津々浦々に波及し、今や一大国民運動のさきがけをなしたことを思う時、まことに感慨
深いものがある。
ここに、みくに奉仕団結成四十周年に当たり、有志相寄り、発祥の地に記念碑を建立
して快挙を讃え、その由来を永く伝えんとするものである。
昭和六十年十二月八日 みくに奉仕団顕彰会
PS 管理人記載
石碑には 本文6行目に木下道夫氏は と明記されていますが木下道雄氏が、正規で有ると知らされました。
このような時、石碑はどうなるのでしょうか、気がかりです。