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伊豆大島ジオパーク研究会 ブログ

ジオ研の活動記録および資料提供のためのブログです.コメント投稿の画面反映には時間がかかる場合があります.

第14回 日本ジオパーク全国大会 下北大会参加報告

2024年09月14日 00時16分35秒 | 日記

  2024年8月30日(金)から9月1日(日)わたって開催された日本ジオパーク全国大会 下北大会とその前後に行われたツアーについて報告します.
本大会は下北ジオパークが担当ジオパーク(以下GP)となり,「ジオパークでつながる 海 大地 未来」をテーマに開催されました.青森県は奥羽山脈を境に日本海側の津軽地方と太平洋側の南部地方とに大別されます.かつては別藩で戊辰戦争の際には官軍側と幕府方に分かれて戦った厳しい歴史があります.下北GPは南部地方に属しますが,タクシー運転手さんによれば若い人は下北半島を南部地方とは別エリアととらえ,県内を三エリアとして認識する傾向があるとのことでした.

1. 恐山にて (8/28-29)
 大会の開催前に催行されるプレジオツアーについては恐山を中心としたメニューを申し込んだものの,後述する事情で中止となりました.よって自前計画による恐山体験となります.
下北駅前を恐山目指して出発してしばらく行くと左側に巨大な警戒管制レーダーを頂いた釜臥山(878 m )の特徴的なシルエットが見えてきます.釜臥山は恐山火山を構成する火山体の一峰であり,約80万年前の噴火で安山岩や火山灰を噴出して現在の形になったとされています.今大会のメイン会場となった「下北克雪ドーム」のシルエットは釜臥山に酷似しており確証はないものの山容を模したものではないかと思われました.

  釜臥山と下北克雪ドーム

  山頂に設置された空自の警戒管制レーダー

  恐山バス停の目前には式根島を小ぶりにしたほどの面積の火口湖である宇曽利山湖が静かな水面を湛えています.車外に出ると硫化水素の臭いが臭覚を刺激し,現在も活動中の火山地帯に来たことが実感されます.宿坊のチェックインを済ませ境内を散策すると溶岩地帯にはケルンに似た石積みが随所に見られます.辻々には石仏が立ち 供えられた沢山の風車のカラカラ回る音が静寂を際立たせて,そこに「あの世」が近くにあると感じられる空間が存在していました.これらの石積みや湖畔の立ち木に結ばれた死出の旅路の汗をぬぐう手ぬぐい,替え草履などは寺の指導ではなく,故人の面影を偲ぶ人々の中から自然に生まれた営為のようです.宿坊利用者の定めとして朝のお勤めに参加するのですが,読経後の法話でも恐山信仰は住民の自発的な思いから始まっているという主旨を語っておられました.
 多くの寺院には姓名に似た山号・寺号があり,例えば金龍山浅草寺は「浅草寺」のように.通常は寺号で呼ばれます.ところがここの境内はどこもかしこも「恐山」表記で「菩提寺」の寺号を知るのにちょっと手間取りました.9世紀に天台宗によって開山された際の山号は「釜臥山」と称したとのことです.冬季は閉鎖される寺院であり,むつ市内の円通寺(曹洞宗)が本坊です.菩提寺の惣領は住職ではなく院代を名乗り,現在はブラタモリ恐山の回で案内を担当した南直哉氏が就いています.お坊さんらしくない突き放した感じの語りが印象的な方で調べてみると多くの著書のある宗門のスポークスマン的論客のようです.直接拝聴した法話は短いながら引き込まれる内容でありました.

 菩提樹山門

 宇曽利山湖と石積

 

2. 下北半島東部(8/29)
 下北半島のほぼ中心部にある恐山から下山後,マサカリ形の半島の柄の先端にあたる尻屋崎灯台まで足を伸ばしました.何となく本州最北端に来たような気分になりますが地図で確認するとマグロ漁で有名な大間崎の方が北になります.残念ながら時折小雨の舞う曇天で北海道は見えませんでした.尻屋崎一帯で放牧されていた寒立馬(かんだちめ)は小柄ながら寒さと粗食に耐え,南部藩時代から軍用馬として品種改良されてきたそうです.パンフレットや写真展示はあるものの実物が見当たらないので付近の食堂の女将さんに問うたところ,観光客に噛みつく事故があり,現在はもう少し南方で隔離放牧しているとのことでした.動物との触れ合い観光では往々にして起こりうることであり,かつてリス村が椿花ガーデンに改変された経緯を思い起こさせるお話でした.

 尻屋崎灯台

 

 尻屋崎


 尻屋崎を後にして県道248号線を南下し太平洋岸のヒバ埋没林に向かいました.
「猿ヶ森ヒバ埋没林」は東通村の猿ヶ森地内に位置し,800~1000年前にヒバが直立したまま埋もれたといわれているエリアです.下北特産のヒバは腐敗しにくくシロアリに強い特徴を持ち,一部が露出した埋没ヒバは1000年前の木立とは思えない状態を保っていました.

  ヒバ埋没林  

 

3. 大会初日(8/30)
 下北大会が始まりました.各地からの参加者到着を待ってスタートは14時45分です. 900名ほどの参加予定人数だそうですが,台風10号によるキャンセルが多そうで,事務方では想定外のご苦労が発生していることが想像されました.
 開会式は「津軽海鳴り太鼓保存普及会」の方々の勇壮な演奏で幕が明けました.聞き入っていると時々大島でも聞いたことのあるリズムが奏でられ,本邦の太鼓文化の広がりが感じられました.冒頭あいさつは大会会長であるむつ市長,青森県知事,JGN役員,石破元地方創生大臣等複数あり,リモート参加もありましたが,もはや不自然を感じることも無く,コロナ禍のために随分と普及してきた感慨があります.


  開会式

・パネルディスカッション・大交流会
「わたしたちの海」をテーマに研究者,水産業者,海に親しむ活動の実践者の方々が現在取り組んでおられる事例を発表されました.大島の海も実際に浸かってみると子供のころに比べ随分と水温が上がっている実感があり,このままではとんでもないことになる予感があります.常々海にもっと関心を向ける必要を感じていたので,今回のテーマ設定は時宜を得たものであったと思います.
 当夜の大交流会では,マグロの解体ショーが披露され参加者のカメラの砲列が敷かれました.各地の知己の方と再会を喜びあったり,顔の見えない方の消息を尋ねたりと今年作成した伊豆大島ジオガイドの会お揃いの名刺を交換しながら歩き回りました.

  大交流会


4. 大会二日目(8/31)
・基調講演・防災シンポジウム・ガイド交流会
二日目は基調講演(プラザホテルむつ)・各種発表(下北克雪ドーム) と会場を移動しながら進行されました.基調講演は(株)モンベル創業者 辰野勇氏により 「夢と冒険 モンベル7つのミッション」の表題で行われました.氏はもともと日本屈指のアルピニストだったようで,ヨーロッパアルプス複数登頂の冒険譚から現在のモンベル社が行っているCSR活動の紹介まで広範なお話でした.印象的だったフレーズは.「若いころから登山を生業にする目標を持っていた」,「多くの仲間を山行で失ったことが他のアウトドアにも関心が向いたきっかけ」,「チンパンジーやゴリラは冒険しない.冒険はヒトの特性であり人類進化の原動力」です. 登山用品(靴)のメーカーにはキャラバンやメレルの様に実際の登山家が興した企業がいくつか存在し.ユーザーから高い信頼を得ている例があります.モンベルもその一つであることが理解できました.

 辰野勇氏はリモートで講演
  
 会場入り口では地元の児童たちがお出迎え

 基調講演終了後はシャトルバスで下北克雪ドームに移動しました.各種発表(一般の部)は二か所で並行して行われていたのですが,私はアポイ岳GPの水永優紀学芸員の低山であるアポイ岳になぜ高山植物が存在するのかをテーマとしたお話と.金沢大学の学生さん達による「白山手取川ジオパーク白峰地域における大学生による伝統継承の試み」と題する伝統文化もGPの重要な構成要素ととらえ,焼き畑農業の体験や法要儀式「報恩講」の再現に取り組んだ事例.の2テーマを拝聴しました.

 アポイ岳GPの水永優紀さんは少女の様な風貌ですが,博士号をお持ちです

 シンポジウムステージ

 発表者が入れ替わるタイミングを縫って同時進行中だった防災シンポジウムステージ前に移動し「ジオパークから災害を考える」を聞きに行きました.登壇者は三名で
雲仙岳災害記念館 杉本伸一館長
磐梯山噴火記念館 佐藤 公館長
専修大学文学部 鈴木比奈子助教
お三方のスライドを用いた鼎談形式によるお話でした.JGN災害対応方針,災害事例,地球の営みを止めることは人類にはできない,災害を語り継ぐことの大切さ,情報の共有・・・などが留意点として事例を含めて語られ,締めとして鈴木氏から災害を悲劇的にとらえるばかりでなく自然の営みの結果として冷静に捉える.ジオパークに関わる人は発災時専門家の解説を一般の方に通訳する役割を担う.といった心構えが示されました.質問者の中に自分が何をできるか考えた結果,その時に備えて重機の免許をとったという女性参加者がいて責任感の強さに圧倒されました.

 洞爺湖チームは自前の特設ブースで物販中収益は活動資金となるそうです.

・ガイド交流会
 当夜は希望者によるセクション別交流会が複数会場で開催され,私はガイド交流会に申し込みました.参加者118名が,ほぼ全員ガイドなので人見知りをする方は皆無.見ず知らずでも話しかけたり,かけられたり.会場となった「むつグランドホテル」のホールは終始賑やかでした.閉会間際に当地の盆踊りらしき曲が流れると,促されていないのに多くの参加者が勝手に踊り始めました.皆さん本当に陽気キャラ揃いです.

 

5. 大会3日目(9/1)
・分科会・閉会式・ポストジオツアー出発
「地質物品の保護と販売」分科会 に参加しました.世界GPの指針では貴石・レアアース等鉱物資源・一般的鉱物・化石の販売は自他産品問わず原則禁止だそうです.産業や学術的に貴重な物,量に限りがある物をGPが販売する行為が制限されるのは納得できますが例えば,しばしばの噴火で大量に供給される三原山のスコリアをお土産として観光客にガチャで少量廉価に提供する事もダメなの? ダメならその根拠は?・・という素朴な疑問が参加した理由です.
講師の「認定NPO法人テラ・ルネッサンス創設者 」鬼丸昌也氏からは,少年兵の実態,児童労働,坑道内の採掘作業は身体の小さい子供が効率的,レアアース,鉱物資源,争奪戦,内戦原因,軍事産業,戦争状態を維持しようとする人・国,どさくさに紛れて 安く入手,フェアトレード・・などのキーワードをもちいた世界的視野の講演がありました.一つ一つは聞いた事のある単語やセンテンスですが,実践活動を背景にしたお話しが進むにつれてそれらが立体的に組上がっていく印象があり,事前に抱いていた疑問に対して予想を遥かに上回る大所高所の知見をいただきました.この受講経験は本大会に参加した第一の意義と言える内容と感じました.

コーディネーターの小河原孝彦氏(糸魚川GP学芸員)からは
「地質物品の保護と販売の問題は、今回の分科会だけで解決できるような問題ではありません。ですが、今回の議論では、
・「ジオパークだから販売してはいけない」のではなく、なぜユネスコが地質物品の問題に取り組んでいるのか国際的な問題から考える
・世界の児童に関する問題(子ども兵・児童労働)について自分事として捉え考える
・販売事業者に対しては拒絶ではなく対話が必要である
といった重要なキーワードが出ました」 

という総括メールをいただいています.

 鬼丸氏
 分科会 グループディスカッション

  午後は「令和6年能登半島地震の記憶継承に関する共同声明」を採択し,閉会式での総括を経てジオサイト仏ヶ浦を目指しポストツアーに出発しました.

6. ポストジオツアー(9/1-9/2)
 日本ジオパーク全国大会は毎回会場となったGPエリアをより詳しく知るためのジオツアーがバンドルされています.ツアーには現地GPのエースクラスのジオガイドが添乗し,ガイドテクニックの披露の場ともなっています.
 私は閉会後に催行された複数のポストツアーの中から『 奇跡の造形美「仏ヶ浦」~下北半島誕生の秘密 』 に参加しました.参加者は14名で他に現地ジオガイドが二名.旅行会社の添乗員が1名というなかなか贅沢な構成のツアーです.
 閉会式後会場から50kmほど離れた佐井村の民宿に前泊しました.ここは,マグロ漁で高名な大間町の隣に立地しています.
 仏ヶ浦はマサカリ形の下北半島の刃の真中付近にあります.この地の凝灰岩は,約400万年前,水中での噴火によって形成されたものです.波浪や風雨による侵食によりみごとな自然造形美が見られるとともに,霊場恐山のほぼ真西に位置し,古くから恐山奥の院ともいわれ,信仰を集めてきた霊域だそうです.
 観光船で仏ヶ浦に着き見学後再び船とバスを乗り継いで下北駅に向かいます.16時半頃駅に到着しツアー解散となりました.他のツアーの参加者とともに17時5分発のJR大湊線で多くの地元ジオ関係者に見送られながら現地を離れ,後泊を経て9月3日大島に戻りました.

本ツアーでお世話になった下北GPの小島さん(左)と園山さん(右)

仏ヶ浦に林立する奇岩の数々

 
 帰路の洋上に浮かぶ鯛島

 

7. 結び
 全国大会を成功させるためには,主催者となるGPはツアー会社等と協力しながら各種セレモニー,分科会,交流会,ジオツアー・会計といった大量の業務を滞りなく捌くことが必要です.今回は台風10号の迷走が参加者の行動に大きく影響しました.西日本を中心にキャンセルがかなり出たようで当初の900名規模の参加予定数だったところ,閉会式総括で実働700名台だったとの発表がありました.各種会議等の欠員はもちろん,ホテル予約,ジオツアー参加人数の減等々,不測の事態の連発に担当された方々は対応にご苦労されたこと想像に難くありません.

さはさりながら,運営上疑問に感じたことを二点挙げておきます.
 ひとつはジオツアーの催行決定連絡の不備です.
私の選択した恐山周辺をめぐるプレジオツアーは応募者不足で不催行となりました.ところがその決定を直接応募者に知らせる手段が設けられていませんでした.私は8月下旬に大会HPに載った公式プログラム中にツアーメニューの掲載が無いことに気づき,本部に問い合わせたところ催行中止が判明しました.出発予定日寸前のことで指定席特急券は購入済,島内では予約事項変更ができません.前泊予定の宿舎の予約も変更が必要になります.不催行は7月上旬には決定されていたようです.催行の有無情報は7月12日に届いたツアー会社からのメールに指示されているマイページを参照しても見つけることができませんでした.
やむを得ず,当初の予定通り上京し(実際には台風接近のため一日繰り上げ離島)プレジオツアーで利用する予定だった恐山宿坊に直接連絡をとり宿泊先を確保しました.
本件については私のみではなく,不催行を知らされないままツアー集合日の8月28日に下北駅に降り立ち途方に暮れたと他GPの二名の方から直接実情を聞いています.同様の事態に直面した方が他にもいたことが想像されます.
 もう一点は台風による被災・交通機関停止によるキャンセルについてもう少し柔軟な返金対応ができなかったかということです.私自身は直接不利益を被っていませんが大会パンフレットに記載のキャンセル・返金ポリシーには災害が原因の特例が無いそうで,交流会やツアーの返金についてやるせない思いを抱いた方の声を何名かから聞いています.
 とはいうものの主催者側は日常業務とは異なる不慣れな作業が続いたわけで,台風による困難も加わった中.大会を成功に導いた地元GPをはじめ関係者の方々の努力を多とし最大の感謝をしたいと思います.

今回の大会で訪れたポイント

以上

伊豆大島ジオパーク研究会 田附克弘


『2023年 第13回日本ジオパーク全国大会in関東』 参加報告(後編)

2023年11月04日 12時23分00秒 | 日記

『2023年 第13回日本ジオパーク全国大会in関東』 参加報告(前編) より続きます.


〇10/27 特別座談会「ジオパーク秩父と私」林家たい平 他2名

 開会式前日の夕方に一般市民も聴講できる催しとして秩父

会場で行われました.

人気落語家さんがGPをどのように捉えているのか興味があり,

ツアー解散直後でちょっと疲ていましたが,参加してみました.

冒頭のつかみはなんと,楽屋に大島のクサヤが届いたという話

題でした.大島には何回か渡島したそうで,裏砂漠や地層大切

断面の感想も披露してくれました.その後ブラタモリ浜松編を取

り上げ,稲作に向かない風土と織物の関係,織機(しょっき)職人

と舶来オルガンの修理というエポック,木工技術の発展,木製プ

ロペラ製造,金属中空プロペラの製造,金管楽器の製造・・

と土地の成り立ちと気候風土が産業発達に結びつくことをGPと

絡めて解りやすく語り,最後に二度の大震災後の復興には秩父

のセメントも役立っていること,夜祭屋台の豪華さはそのセメント

や絹織物(秩父銘仙)が生みだした富による,と地元聴衆に秩父

GPの素晴らしさを再発見することを促しました.付け焼き刃

のGP知識を披露するだけかもしれないと思っていたのですが,

あにはからんや楽しくて見事なGP概念の普及啓発座談会でした.

(撮影禁止のため画像はありません)

 


〇10/28 開会式  (一部オンライン)

 今回は分散開催の為か,全国大会では恒例だった開催GP

周辺の郷土芸能の披露がないことがちょっと残念でした.日本

GPの関係者・首長さんや政治家さんの挨拶・祝辞が続きまし

たが,多元中継のノウハウ不足によるものなのか,銚子会場や

リモート発言者の映像の不鮮明さと音声の聞き取りにくい事が

とても気になりました.素材が多元接続状態での視聴技術は,

だいぶ前に完成していますが運営側では会場全体の俯瞰映

像とPA音声のみの採取伝送で安易に済まそうとしたための

不具合だったと想像しています.当初は関東全GPによる分散

開催が予定されていたそうですが,この程度のオンライン会合

ノウハウのままで,もしも開催していたら大混乱必至だったと思

います.

 

[秩父会場となった秩父宮記念市民会館]

 

[映像・音声の共有に難のあった2元会場接続]

 

[開会前の秩父会場内]

 

〇10/28 基調講演 「チバニアアンと地質遺産」 (オンライン聴講)(要旨メモ)

講師 日本地質学会会長 岡田誠氏

 冒頭,チバニアンは何が凄いのかは現地に行ってもわから

ない.また房総半島の地質の凄さは専門家にはよく知られて

いるが,一般人にはわからない.という実例から説き起こし,

チバニアンを軸に地質に関するあれこれをお話して下さいま

した.以下は講演のメモです.

 地質遺産は後世に残す価値あるものであるが,専門家にしか

価値がわからない場所がある.一方でGPは地質遺産を含まな

ければならず,自治体は地質遺産で地域振興をしたい.観光

地や地域資源として成り立ちにくいものがある.地質遺産は専

門家にしか判断できない.

玄武洞は壮大な奇観により地磁気逆転発見前から観光地.

地磁気逆転は一部に見られるだけ.

チバニアンは地磁気の逆転の経過が逐一記録されていること

にタイムマシン的な価値があり,日本でははじめて地層年代の

境目(GSSP) となった.天然記念物にもなったが景観が理由で

はない.見学者来るが泥岩地帯でシマシマも無く地味.

GSSP:(国際境界模式層断面のポイント)地球史は地層に残され

た化石の種類の変化や,地層に刻まれた気候の変化などをも

とに 116の階に区分され.その内81の名称が決定している.

なお,地磁気で年代決定はできない.チバニアン階/期は77.4

~12.9万年前.現地の花粉の研究から,地磁気の逆転と生物

の相関関係は見いだされていない.

(撮影禁止のため画像はありません)

 


〇10/28 基調提言 「ジオパークは誰のためのもの?」 (オンライン聴講)(要旨メモ)

講師 糸魚川市観光協会事務局長(元日本ジオパークネットワーク事務局)  齋藤清一氏

 日本ジオパークの創生から関わっているが最近のGP活動

は元気が無くなってきた感がある.成熟期・高齢化・4年ごとの

審査の大変さ等が原因か.

世界GPによって規制されている鉱物資源の販売について,

糸魚川GPではヒスイ商組合を組織して規制に沿うよう対応して

きたが,糸魚川GPとの調整不調で組合は解散した.

GP活動には地質遺産の保全と継承に重きがあるが現世代に

実質利益を求める希望は当然ある.

GPをしっかりと知る.情報交換・学び・ゴールの共有が進んで

いない.個人企業・構成員レベルで具体的目標を設定行動

するところに至っていない.自分たちは何をしたいのか常に

考える必要.

地質物品の売買禁止についてヒスイを売りたい.GPやめて

もらいたいとの声もある.

認定審査はパスしないと行けないものなのか? 

行政の無誤謬性からパスが目的化しているのではないか.

GP—社会—地域

の三つが相互連携して発展するのが理想だがGPと地域の間

に現在の人々の為になる物がないと活動の継続性が確保しずらい.

本音の疑問・主張・納得が必要.今回地元で「世界の石展」が

開催されるがGPも出展を決めた.販売促進の現場でブレーキ

をかけ営業妨害をするような事になるかもしれない.

 

・・等々,糸魚川GPでは地質資源である地元産ヒスイの販売に

ついて深刻な状況が生じているようでした.この問題は秩父GP

にもあり,武甲山は古くから漆喰やセメントの材料として石灰岩

の採石が行われており,秩父一帯の繁栄の礎となっています.

一時閉山の計画があったそうですが,折から東日本大震災が

発生し大量のセメント需要が発生した為,採石停止とはならな

かったそうです.

(撮影禁止のため画像はありません)

 

〇10/28 分科会⑪『ジオ・エコ・ヒト―なぜジオパークで生態学?』

コーディネーター 平田 和彦

[JGN生態学WGリーダー、千葉県立中央博物館分館海の博物館 研究員]

分科会は両会場合計で11,秩父会場ではその内4分科会が

開催されました.

私は表題のものに参加しましたが,各地のGPで生態観察や

研究を行っている若い研究者の取り組みの事例発表をたくさん

聞くことができました.

なお,座談会には 伊藤 舜専門員も参加しています.

コーディネーターの 平田 和彦氏 は当日早朝に転倒したとの

ことで顔面負傷した痛々しいお姿でしたが,地質主体のGP運

動の中にあっては傍系である生態学の意義について冒頭の

趣旨説明で熱く語っておられました.

[コーディネーターの平田氏]

[分科会会場]

[伊豆大島GPの伊藤専門員も発表者]


〇10/28 交流会

 コロナ禍中の大会では交流会の中止や会場分散・めいめい膳

利用など制約の多かった交流会ですが,久しぶりに参加者が一

堂に会しての交流会となりました.おなじ円卓に着席した方たちと

の名刺交換は恒例です.今回は森内・牧野(立山黒部),図師(霧島),

石川(山陰海岸),肥沼(秩父),水永(アポイ)[敬称略]など.森内さん

には黒部ダムの構造を解説していただき,図師さんとは新燃岳の状

況やGP関係者必読の小説「死都日本」が話題になりました.

おひらきの寸前に来年の開催予定地の下北GPの方々が壇上から

参加を呼びかけ,会場からはエールが飛ぶという賑やかさの内に

散会しました.

なお,来年の全国大会は2024年8月30日開会とのことです.

[同テーブルとなった方々]

 

[恒例の次期開催予定地の決意表明 来年は下北GP開催で今回の大会に10名を送り込んできました]

以上を本大会の参加報告とします.


『2023年 第13回日本ジオパーク全国大会in関東』 参加報告(前編)

2023年11月04日 10時54分41秒 | 日記

『2023年 第13回日本ジオパーク全国大会in関東』

 今大会は銚子ジオパークと秩父ジオパークの二か所および

リモート参加を利用した分散形式で開催されました.私はジオ

ツアーの希望エリアに沿って秩父会場に参加しました.

(以下ジオパークをGPと略記します)

 

秩父会場参加プログラム 

10/26-10/27 プレジオツアー

10/27 特別座談会 「ジオパーク秩父と私」林家たい平 他2

10/28 開会式  (一部オンライン)

10/28 基調講演 「チバニアアンと地質遺産」 (オンライン聴講)

10/28 基調提言 「ジオパークは誰のためのもの?」 (オンライン聴講)

10/28 分科会⑪『ジオ・エコ・ヒト―なぜジオパークで生態学?』

10/28 交流会

 

 これ以外にもポスター発表と10/29の小中高生の部をはじめと

した各種口頭発表が設定されていましたが,日程の都合がつか

ず参加できませんでした.

 

10/26-10/27 プレジオツアー

 秩父側のプレジオツアーは二つのプログラムが設定されまし

たが 『バスで巡る日本地質学発祥の地ツアー』を選択しました.

 最初に訪れたジオサイトは札所28番橋立堂という武甲山の西

端岩壁の麓に建つお堂でした.

二億年の昔,海洋プレート上で活動を停止した火山島の上に

生じたサンゴ礁が石灰岩に変じ,いったんプレート境界で付加

体となったのちに,その後方から沈み込んできた海嶺等で地殻

上まで押し上げられた山体が秩父のシンボルである武甲山です.

(なぜ持ち上がったのかガイドさんの説明はありませんでした.

海嶺による押し上げは推測です)

ここでは当時の火山島の名残りの玄武岩溶岩の露頭と,その

上に形成された石灰岩の山体の両方が見られます.堂の左側

には見学コースだけでも30mを超える落差の縦長構造の鍾乳

洞があり,石灰岩の山体を内部から体感できました.その後も

長瀞・秩父付近がかつて地底・海底であった事を示す多くの

イントや大型哺乳類の化石が発見された1500万年前の堆積

層を見学し,この地が「日本地質学発祥の地」と呼ばれる場所

であることを得心しました.

[秩父のシンボル武甲山]

 

 

[橋立堂]

 

 

[堂の裏にある玄武岩の露頭と表面の石灰岩]

 

秩父GPは日本列島がユーラシア大陸から分離し始めた2

万年前をはるかにさかのぼる2億年前から6500万年前にかけ

ての地層が各所に露出してしています.ここは関東山地の南

東部にあたります.糸魚川GPの解説パネルの表現を借りれば,

関東山地は日本列島が大陸より分離し,南西部と北東部に割

れた際にフォッサマグナ内に生じた「かけら」とされていますが,

武甲山一帯は海洋プレート上の山体がプレート境界に達した

後に,なんらかの原因で浮き上がって来た物とされていますの

で,もともとは大陸由来の陸地ではありません.加えて付近には

マントル内のカンラン岩から生じた蛇紋岩まで存在しているので,

列島創生の物語は単純ではなく,多彩な現象が含まれることが

想像されます.

[カニ・貝の化石を含む「ようばけ」 この地が海底であったことを示す]

 

[法性寺のタフォニ風化跡 岩盤表面からの水分蒸発に伴う. 塩類による風化跡]

 

[長瀞 この地が高圧力状態の地底にあった事を示す景観]

 

後編に続く

 


※※※ 学校教員および旅行事業者の皆様へ ※※※

2022年12月31日 03時19分16秒 | 日記

※※※ 学校教員および旅行事業者の皆様へ ※※※

教育旅行 無料モニターツアー 参加者募集! 【1/20締切】

伊豆大島ジオパークでは、児童・生徒に、伊豆大島ジオパークでの体験活動を通じて、地球の営みと自然環境、生態系、人の暮らしや産業の関わり等について学ぶ教育旅行をご提供しております。 そこで、学校教員および旅行事業者の皆様に、伊豆大島ジオパークをフィールドとした教育旅行企画をご体験いただき、当ジオパークが有する地域資源の教材活用の可能性をご理解いただくとともに、皆様のご意見をもとにプログラムの充実化を図ることを目的とした 無料モニターツアー を実施いたします。

詳細は以下のリンクへ

▼伊豆大島ジオパークWebサイト https://izuoshima-geo.org/news/news-265.html

▼Facebook https://www.facebook.com/izuoshimageopark/posts/pfbid02ZQ2re5iFjyyASZPHfzM3mrcQj4Z8k4pfrBGpMLgnj37LeywBEyjRsAxGDCbxB2rNl

▼Twitter https://twitter.com/izuoshimaGP/status/1607996481147129858


「第 12 回日本ジオパーク全国大会 白山手取川大会」 参加報告

2022年11月03日 02時29分08秒 | 日記

「第 12 回日本ジオパーク全国大会 白山手取川大会」 参加報告


 10月20日(木)集合・出発のプレジオツアーをかわきりに10月24日帰島まで「第 12 回日本ジオパーク全国大会 白山手取川大会」 に参加しましたので,時間を追って概要と感想を報告させていただきます.

〇プレジオツアー10月20日~21日

本大会のプレジオツアーは
「①地球と旅するジオツアーここが東西日本の境界線!~糸魚川 静岡構造線をブラリ旅~ 」,
「②高低差4 000 mロマン 富山の中の地球へ行こう。 」(立山黒部GP),
「③恐竜ほって、芋ほって、勝山深堀り満喫ツアー 」 
の3コースが設定されていましたが,私は以前から糸魚川-静岡構造線に直接触れてみたいと思っていたので今回は迷わず①を選びました.ツアーエリアは糸魚川世界GPを擁する糸魚川市が中心となります.

ツアーのはじめに訪れたフォッサマグナミュージアム (石の博物館) に展示されていた岩石・化石標本は種類・量ともに圧巻でこの分野では国内最高峰である産総研つくばセンターの地質標本館に迫る展示内容だと思います.糸魚川市周辺は観光資源が乏しい土地柄だったことからヒスイやフォッサマグナなどの特異性のある地域資源に着目しGPの概念が生まれる前の1987年に世界に先駆けて地質見学地を ”ジオパーク” と命名したそうです.この博物館は昭和の終わりに「ふるさと創生事業 」で全自治体に一律交付された一億円の大半を岩石・化石標本の購入に費やして中核展示物を確保し,後に県・国からの拠出金も得て総工費14億円で建設されたとのことでした.


フォッサマグナミュージアム 内部 (展示物)

       


約2000万年前に沿岸部分が大陸から分離して現在の日本列島に至る過程で生じた巨大な割れ目をフォッサマグナと呼びます.その北西端となった糸魚川市周辺の古い大陸地質と割れ目を埋める形で堆積・隆起した日本アルプスを含む陸地との境界面はそのままユーラシアプレートと北米プレートの ”さかい” となりました.見学コースとなっている断層破砕帯 (糸魚川-静岡構造線) では明瞭な地質の差異を目と手触りで感じることができます. ブラタモリで2021年11月20日に放映 された東西両地質上に井戸を持つ渡辺家 (渡辺酒造) では当主のご厚意でふだん入れない屋内の水路見学や東西井戸水の飲み比べをさせていただきました.味覚音痴の私にも硬水・軟水の風味の差異は感じることが出来ました.醸造にはユーラシアプレート (西) 側井戸の軟水を使用するそうです.

日本列島の誕生過程(一部) 

       

 

糸魚川市の海岸,糸-静線上から見た山並み

左(東) 北米プレート(フッサマグナ)上の北アルプス,右(西) ユーラシアプーレート上の古い山々

  

断層見学公園 (フォッサマグナパーク) 

 



渡辺酒造と糸-静線をまたぐ渡辺酒造当主

 


糸魚川市のフォッサマグナではプレート・地殻の活動が活発であったことから火成岩はもとより,蛇紋岩中に生成されるヒスイの原石を含む変成岩に加えて石灰岩・砂岩などの堆積岩も豊富に存在します.ヒスイ海岸と呼ばれる姫川河口附近では色とりどりの砂利が見られ,1m四方で手あたり次第に集めただけでもちょっとした岩石標本セットができるのではないかと思われる程でした.なお糸魚川市内を流れる一級河川は姫川であり  ”糸魚川” という名前の川は存在しないとのことでした.

ヒスイ海岸 (青海)で拾った石を採集セットに納める (石の博物館で購入)

   


ジオツアーは一泊二日の日程でしたが初日に集合場所である糸魚川駅に着いた際に印象的だったのは新幹線の止まる駅の前にもかかわらず路上に通行人がほとんど見られないことでした.この点だけは私の住む泉津集落の様子とあまり変わりません.駅前メインストリートにもかかわらず横断歩道に信号機がないのはこれが常態であることを物語っていると思われます.
周辺には 「糸魚川ユネスコ世界ジオパーク」 ののぼり旗やヒスイロードの表示が目立ちました.飲食店ではおすすめメニューに 「ジオ丼」 「ヒスイ餃子」 等が並び,駅前一等地に建つホテルはその名も 「ホテルジオパーク」 で地域振興にGPをフル活用している様子がうかがえました.

糸魚川駅構内の展示



人気のない糸魚川駅北口




ジオ丼のぼり旗 駅前に建つ「ホテルジオパーク」

 

〇全国大会10月22日(~23日) 

本大会のテーマは 「地球と旅する~白山手取川の地から地球と人の未来を考える~」 です.
22日は,松任文化会館ピーノ (白山市古城町) で開会セレモニーに続き,国立科学博物館副館長の真鍋誠氏による「恐竜化石から過去,現在と未来の地球を考える」と題した基調講演を受講しました.真鍋氏は,白山取手川ジオパークの地質遺産・桑島化石壁について,「一億3000万年前の世界が蘇ってくる素晴らしい場所」と評価した上で,地球上の生物は,大量絶滅を繰り返してきたが,現代は人間の存在によって,過去の大量絶滅よりも,絶滅率が高くなっていると語り 「約100万種の動植物が数十年で絶滅する危機を迎えている」と危機感を表明しました.

講演後は, 「地球と旅する」 をテーマに真鍋さんの他に,写真家の谷口京さん,気象予報士の座間妙子さんら5名のパネルディスカッションが行われました.谷口さんは 白山手取川地域の魅力について,「火口から白山麓まで,車で一時間ほどで行けて,ドラマチックな地形の変化を体感できる」 と語りました,座間さんは,8月に小松市などを襲った豪雨被害に触れ,局地的豪雨で雨の降り方が変り,災害が少ないとされてきた白山周辺でも注意する必要が出てきたと指摘し「大雨被害は,ひとごとではないと感じてほしい」と注意喚起しました.

会場周辺は歩行者天国が設定されて,「いいとこ白山フェア」と題して伝統工芸の体験や各地のジオパーク特産品が購入できるブースが設けられていました.環境省,防災科研,国土交通省,県地質調査業協会もブースを設置しジオにかかわるテーマの展示や物販を行っていました.環境省ブースの担当者は大島事務所の歴代レインジャーの後輩にあたるとの事でよろしく伝言を承りました.

プログラムでは午後,大会参加者は分科会に各々分散します.私は 「自然災害伝承碑の取り組みと利活用」 にエントリーし宮城学院女子大学の宮原郁子教授の司会によるパネルディスカッションで各地のパネラーの報告を拝聴しました.全国各地に設置されている津波,洪水,火山災害,土砂災害などの自然災害伝承碑が 「自然災害は繰り返す」 ことを知らしめる警鐘の役割を担っていることが高く評価されていること.その存在が国 (国土地理院) によりデータベース化されていることを初めて知りました. 大島では2013年の土石流災害の慰霊碑がそれにあたります.

オープニング「かんこ踊り」・「御酒」

  

 

真鍋誠氏の基調講演 と パネルディスカッション

 

       

各団体の模擬店と国立公園を紹介する環境省ブースのレインジャー

  

防災科研 (旧科学技術庁) の海底地震計・津波センサー(津波の感知は重み=水圧の変化による)配置図

    

国土交通省ブースの砂防ダム解説

ポスターセッション (一部)

   

分科会「自然災害伝承碑の取り組みと利活用」会場

 

 

〇ポストジオツアー(自前企画) 10月23日

生業に戻る日程都合があったため最終日は閉会セレモニーを早退しプレジオツアーのみのメニューだった立山黒部GPを自前プランで1日体験することにしました.大会会場の松任駅から富山 ・立山駅を経てケーブルカー,ロープウェイ,トロリーバス,電気バス等10回の乗り換えで長野県に至る黒部ダム経由,立山黒部アルペンルートをガイド無しの一気通貫で通り抜けました.コース中の車内には本格的な装備の登山客とパンプスを履いたカジュアルな姿の女性客が混在し不思議な雰囲気を醸し出していました.工事のために敷設された資材運搬・メンテナンスルートを活用し国内屈指の登山・観光ルートに変貌させた事業は,ダム建設という巨大プロジェクトながらレガシーの活用について柔軟な発想があったればこそであり,また途上には観光利用のアイデアを生むに足る北アルプスの雄大な景観が存在することをミクリガ池周辺の景観やダムの天端歩行をしながら実感してきました.

室堂平(立山) のミクリガ池 (火口湖)

           

黒部ダム

  

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本大会はコロナ禍の完全収束を待たずに開催されたため,分科会定員・交流会のあり方等,多くの事項が早い段階では決定できず,加えて開会日寸前に国の全国旅行支援事業の適用業務が開始される等,関係者のご苦労はいかばかりであったか節々に察するに余る状況を感じました.交流会は決定寸前に某筋からの強い意向により分散形式となった旨仄聞しました.このような通常の大会運営とは異なる困難を乗り越えて3年ぶりの現地開催にこぎつけた実行委員会や旅行会社の担当者のご苦労を多とし感謝したいと思います.
来年の全国大会は関東エリアにて分散開催と聞いております.具体的にどのような形態で開催されるのかイメージ出来ていませんが,伊豆大島GPも無関係ではいられない予感がします.伊豆大島ジオガイドの会の一員としてかかわれることを楽しみに情報を待ちたいと思います. 


本会場から10km以上離れた交流会第二会場

     

めいめい膳で供されたオードブル類
 
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以上です.

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         文責 田附克弘