伊豆大島ジオパーク研究会 ブログ

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第14回 日本ジオパーク全国大会 下北大会参加報告

2024年09月14日 00時16分35秒 | 日記

  2024年8月30日(金)から9月1日(日)わたって開催された日本ジオパーク全国大会 下北大会とその前後に行われたツアーについて報告します.
本大会は下北ジオパークが担当ジオパーク(以下GP)となり,「ジオパークでつながる 海 大地 未来」をテーマに開催されました.青森県は奥羽山脈を境に日本海側の津軽地方と太平洋側の南部地方とに大別されます.かつては別藩で戊辰戦争の際には官軍側と幕府方に分かれて戦った厳しい歴史があります.下北GPは南部地方に属しますが,タクシー運転手さんによれば若い人は下北半島を南部地方とは別エリアととらえ,県内を三エリアとして認識する傾向があるとのことでした.

1. 恐山にて (8/28-29)
 大会の開催前に催行されるプレジオツアーについては恐山を中心としたメニューを申し込んだものの,後述する事情で中止となりました.よって自前計画による恐山体験となります.
下北駅前を恐山目指して出発してしばらく行くと左側に巨大な警戒管制レーダーを頂いた釜臥山(878 m )の特徴的なシルエットが見えてきます.釜臥山は恐山火山を構成する火山体の一峰であり,約80万年前の噴火で安山岩や火山灰を噴出して現在の形になったとされています.今大会のメイン会場となった「下北克雪ドーム」のシルエットは釜臥山に酷似しており確証はないものの山容を模したものではないかと思われました.

  釜臥山と下北克雪ドーム

  山頂に設置された空自の警戒管制レーダー

  恐山バス停の目前には式根島を小ぶりにしたほどの面積の火口湖である宇曽利山湖が静かな水面を湛えています.車外に出ると硫化水素の臭いが臭覚を刺激し,現在も活動中の火山地帯に来たことが実感されます.宿坊のチェックインを済ませ境内を散策すると溶岩地帯にはケルンに似た石積みが随所に見られます.辻々には石仏が立ち 供えられた沢山の風車のカラカラ回る音が静寂を際立たせて,そこに「あの世」が近くにあると感じられる空間が存在していました.これらの石積みや湖畔の立ち木に結ばれた死出の旅路の汗をぬぐう手ぬぐい,替え草履などは寺の指導ではなく,故人の面影を偲ぶ人々の中から自然に生まれた営為のようです.宿坊利用者の定めとして朝のお勤めに参加するのですが,読経後の法話でも恐山信仰は住民の自発的な思いから始まっているという主旨を語っておられました.
 多くの寺院には姓名に似た山号・寺号があり,例えば金龍山浅草寺は「浅草寺」のように.通常は寺号で呼ばれます.ところがここの境内はどこもかしこも「恐山」表記で「菩提寺」の寺号を知るのにちょっと手間取りました.9世紀に天台宗によって開山された際の山号は「釜臥山」と称したとのことです.冬季は閉鎖される寺院であり,むつ市内の円通寺(曹洞宗)が本坊です.菩提寺の惣領は住職ではなく院代を名乗り,現在はブラタモリ恐山の回で案内を担当した南直哉氏が就いています.お坊さんらしくない突き放した感じの語りが印象的な方で調べてみると多くの著書のある宗門のスポークスマン的論客のようです.直接拝聴した法話は短いながら引き込まれる内容でありました.

 菩提樹山門

 宇曽利山湖と石積

 

2. 下北半島東部(8/29)
 下北半島のほぼ中心部にある恐山から下山後,マサカリ形の半島の柄の先端にあたる尻屋崎灯台まで足を伸ばしました.何となく本州最北端に来たような気分になりますが地図で確認するとマグロ漁で有名な大間崎の方が北になります.残念ながら時折小雨の舞う曇天で北海道は見えませんでした.尻屋崎一帯で放牧されていた寒立馬(かんだちめ)は小柄ながら寒さと粗食に耐え,南部藩時代から軍用馬として品種改良されてきたそうです.パンフレットや写真展示はあるものの実物が見当たらないので付近の食堂の女将さんに問うたところ,観光客に噛みつく事故があり,現在はもう少し南方で隔離放牧しているとのことでした.動物との触れ合い観光では往々にして起こりうることであり,かつてリス村が椿花ガーデンに改変された経緯を思い起こさせるお話でした.

 尻屋崎灯台

 

 尻屋崎


 尻屋崎を後にして県道248号線を南下し太平洋岸のヒバ埋没林に向かいました.
「猿ヶ森ヒバ埋没林」は東通村の猿ヶ森地内に位置し,800~1000年前にヒバが直立したまま埋もれたといわれているエリアです.下北特産のヒバは腐敗しにくくシロアリに強い特徴を持ち,一部が露出した埋没ヒバは1000年前の木立とは思えない状態を保っていました.

  ヒバ埋没林  

 

3. 大会初日(8/30)
 下北大会が始まりました.各地からの参加者到着を待ってスタートは14時45分です. 900名ほどの参加予定人数だそうですが,台風10号によるキャンセルが多そうで,事務方では想定外のご苦労が発生していることが想像されました.
 開会式は「津軽海鳴り太鼓保存普及会」の方々の勇壮な演奏で幕が明けました.聞き入っていると時々大島でも聞いたことのあるリズムが奏でられ,本邦の太鼓文化の広がりが感じられました.冒頭あいさつは大会会長であるむつ市長,青森県知事,JGN役員,石破元地方創生大臣等複数あり,リモート参加もありましたが,もはや不自然を感じることも無く,コロナ禍のために随分と普及してきた感慨があります.


  開会式

・パネルディスカッション・大交流会
「わたしたちの海」をテーマに研究者,水産業者,海に親しむ活動の実践者の方々が現在取り組んでおられる事例を発表されました.大島の海も実際に浸かってみると子供のころに比べ随分と水温が上がっている実感があり,このままではとんでもないことになる予感があります.常々海にもっと関心を向ける必要を感じていたので,今回のテーマ設定は時宜を得たものであったと思います.
 当夜の大交流会では,マグロの解体ショーが披露され参加者のカメラの砲列が敷かれました.各地の知己の方と再会を喜びあったり,顔の見えない方の消息を尋ねたりと今年作成した伊豆大島ジオガイドの会お揃いの名刺を交換しながら歩き回りました.

  大交流会


4. 大会二日目(8/31)
・基調講演・防災シンポジウム・ガイド交流会
二日目は基調講演(プラザホテルむつ)・各種発表(下北克雪ドーム) と会場を移動しながら進行されました.基調講演は(株)モンベル創業者 辰野勇氏により 「夢と冒険 モンベル7つのミッション」の表題で行われました.氏はもともと日本屈指のアルピニストだったようで,ヨーロッパアルプス複数登頂の冒険譚から現在のモンベル社が行っているCSR活動の紹介まで広範なお話でした.印象的だったフレーズは.「若いころから登山を生業にする目標を持っていた」,「多くの仲間を山行で失ったことが他のアウトドアにも関心が向いたきっかけ」,「チンパンジーやゴリラは冒険しない.冒険はヒトの特性であり人類進化の原動力」です. 登山用品(靴)のメーカーにはキャラバンやメレルの様に実際の登山家が興した企業がいくつか存在し.ユーザーから高い信頼を得ている例があります.モンベルもその一つであることが理解できました.

 辰野勇氏はリモートで講演
  
 会場入り口では地元の児童たちがお出迎え

 基調講演終了後はシャトルバスで下北克雪ドームに移動しました.各種発表(一般の部)は二か所で並行して行われていたのですが,私はアポイ岳GPの水永優紀学芸員の低山であるアポイ岳になぜ高山植物が存在するのかをテーマとしたお話と.金沢大学の学生さん達による「白山手取川ジオパーク白峰地域における大学生による伝統継承の試み」と題する伝統文化もGPの重要な構成要素ととらえ,焼き畑農業の体験や法要儀式「報恩講」の再現に取り組んだ事例.の2テーマを拝聴しました.

 アポイ岳GPの水永優紀さんは少女の様な風貌ですが,博士号をお持ちです

 シンポジウムステージ

 発表者が入れ替わるタイミングを縫って同時進行中だった防災シンポジウムステージ前に移動し「ジオパークから災害を考える」を聞きに行きました.登壇者は三名で
雲仙岳災害記念館 杉本伸一館長
磐梯山噴火記念館 佐藤 公館長
専修大学文学部 鈴木比奈子助教
お三方のスライドを用いた鼎談形式によるお話でした.JGN災害対応方針,災害事例,地球の営みを止めることは人類にはできない,災害を語り継ぐことの大切さ,情報の共有・・・などが留意点として事例を含めて語られ,締めとして鈴木氏から災害を悲劇的にとらえるばかりでなく自然の営みの結果として冷静に捉える.ジオパークに関わる人は発災時専門家の解説を一般の方に通訳する役割を担う.といった心構えが示されました.質問者の中に自分が何をできるか考えた結果,その時に備えて重機の免許をとったという女性参加者がいて責任感の強さに圧倒されました.

 洞爺湖チームは自前の特設ブースで物販中収益は活動資金となるそうです.

・ガイド交流会
 当夜は希望者によるセクション別交流会が複数会場で開催され,私はガイド交流会に申し込みました.参加者118名が,ほぼ全員ガイドなので人見知りをする方は皆無.見ず知らずでも話しかけたり,かけられたり.会場となった「むつグランドホテル」のホールは終始賑やかでした.閉会間際に当地の盆踊りらしき曲が流れると,促されていないのに多くの参加者が勝手に踊り始めました.皆さん本当に陽気キャラ揃いです.

 

5. 大会3日目(9/1)
・分科会・閉会式・ポストジオツアー出発
「地質物品の保護と販売」分科会 に参加しました.世界GPの指針では貴石・レアアース等鉱物資源・一般的鉱物・化石の販売は自他産品問わず原則禁止だそうです.産業や学術的に貴重な物,量に限りがある物をGPが販売する行為が制限されるのは納得できますが例えば,しばしばの噴火で大量に供給される三原山のスコリアをお土産として観光客にガチャで少量廉価に提供する事もダメなの? ダメならその根拠は?・・という素朴な疑問が参加した理由です.
講師の「認定NPO法人テラ・ルネッサンス創設者 」鬼丸昌也氏からは,少年兵の実態,児童労働,坑道内の採掘作業は身体の小さい子供が効率的,レアアース,鉱物資源,争奪戦,内戦原因,軍事産業,戦争状態を維持しようとする人・国,どさくさに紛れて 安く入手,フェアトレード・・などのキーワードをもちいた世界的視野の講演がありました.一つ一つは聞いた事のある単語やセンテンスですが,実践活動を背景にしたお話しが進むにつれてそれらが立体的に組上がっていく印象があり,事前に抱いていた疑問に対して予想を遥かに上回る大所高所の知見をいただきました.この受講経験は本大会に参加した第一の意義と言える内容と感じました.

コーディネーターの小河原孝彦氏(糸魚川GP学芸員)からは
「地質物品の保護と販売の問題は、今回の分科会だけで解決できるような問題ではありません。ですが、今回の議論では、
・「ジオパークだから販売してはいけない」のではなく、なぜユネスコが地質物品の問題に取り組んでいるのか国際的な問題から考える
・世界の児童に関する問題(子ども兵・児童労働)について自分事として捉え考える
・販売事業者に対しては拒絶ではなく対話が必要である
といった重要なキーワードが出ました」 

という総括メールをいただいています.

 鬼丸氏
 分科会 グループディスカッション

  午後は「令和6年能登半島地震の記憶継承に関する共同声明」を採択し,閉会式での総括を経てジオサイト仏ヶ浦を目指しポストツアーに出発しました.

6. ポストジオツアー(9/1-9/2)
 日本ジオパーク全国大会は毎回会場となったGPエリアをより詳しく知るためのジオツアーがバンドルされています.ツアーには現地GPのエースクラスのジオガイドが添乗し,ガイドテクニックの披露の場ともなっています.
 私は閉会後に催行された複数のポストツアーの中から『 奇跡の造形美「仏ヶ浦」~下北半島誕生の秘密 』 に参加しました.参加者は14名で他に現地ジオガイドが二名.旅行会社の添乗員が1名というなかなか贅沢な構成のツアーです.
 閉会式後会場から50kmほど離れた佐井村の民宿に前泊しました.ここは,マグロ漁で高名な大間町の隣に立地しています.
 仏ヶ浦はマサカリ形の下北半島の刃の真中付近にあります.この地の凝灰岩は,約400万年前,水中での噴火によって形成されたものです.波浪や風雨による侵食によりみごとな自然造形美が見られるとともに,霊場恐山のほぼ真西に位置し,古くから恐山奥の院ともいわれ,信仰を集めてきた霊域だそうです.
 観光船で仏ヶ浦に着き見学後再び船とバスを乗り継いで下北駅に向かいます.16時半頃駅に到着しツアー解散となりました.他のツアーの参加者とともに17時5分発のJR大湊線で多くの地元ジオ関係者に見送られながら現地を離れ,後泊を経て9月3日大島に戻りました.

本ツアーでお世話になった下北GPの小島さん(左)と園山さん(右)

仏ヶ浦に林立する奇岩の数々

 
 帰路の洋上に浮かぶ鯛島

 

7. 結び
 全国大会を成功させるためには,主催者となるGPはツアー会社等と協力しながら各種セレモニー,分科会,交流会,ジオツアー・会計といった大量の業務を滞りなく捌くことが必要です.今回は台風10号の迷走が参加者の行動に大きく影響しました.西日本を中心にキャンセルがかなり出たようで当初の900名規模の参加予定数だったところ,閉会式総括で実働700名台だったとの発表がありました.各種会議等の欠員はもちろん,ホテル予約,ジオツアー参加人数の減等々,不測の事態の連発に担当された方々は対応にご苦労されたこと想像に難くありません.

さはさりながら,運営上疑問に感じたことを二点挙げておきます.
 ひとつはジオツアーの催行決定連絡の不備です.
私の選択した恐山周辺をめぐるプレジオツアーは応募者不足で不催行となりました.ところがその決定を直接応募者に知らせる手段が設けられていませんでした.私は8月下旬に大会HPに載った公式プログラム中にツアーメニューの掲載が無いことに気づき,本部に問い合わせたところ催行中止が判明しました.出発予定日寸前のことで指定席特急券は購入済,島内では予約事項変更ができません.前泊予定の宿舎の予約も変更が必要になります.不催行は7月上旬には決定されていたようです.催行の有無情報は7月12日に届いたツアー会社からのメールに指示されているマイページを参照しても見つけることができませんでした.
やむを得ず,当初の予定通り上京し(実際には台風接近のため一日繰り上げ離島)プレジオツアーで利用する予定だった恐山宿坊に直接連絡をとり宿泊先を確保しました.
本件については私のみではなく,不催行を知らされないままツアー集合日の8月28日に下北駅に降り立ち途方に暮れたと他GPの二名の方から直接実情を聞いています.同様の事態に直面した方が他にもいたことが想像されます.
 もう一点は台風による被災・交通機関停止によるキャンセルについてもう少し柔軟な返金対応ができなかったかということです.私自身は直接不利益を被っていませんが大会パンフレットに記載のキャンセル・返金ポリシーには災害が原因の特例が無いそうで,交流会やツアーの返金についてやるせない思いを抱いた方の声を何名かから聞いています.
 とはいうものの主催者側は日常業務とは異なる不慣れな作業が続いたわけで,台風による困難も加わった中.大会を成功に導いた地元GPをはじめ関係者の方々の努力を多とし最大の感謝をしたいと思います.

今回の大会で訪れたポイント

以上

伊豆大島ジオパーク研究会 田附克弘


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