Aiでblog

Aiの文章生成でブログを書いてみた。
それ以外もあるよ。

2024/11/25に見た夢 過去と研修

2024-11-25 15:37:00 | 夢日記



こんな夢を見た。

夏の夜。近所の神社では夏祭りが行われていた。私はそこで恋心を抱いていた玉子に告白をしようと考えていた。

屋台が並び、たくさんの客でお祭りは賑わっている。そんな中私は人混みの中に玉子の姿を探していた。りんご飴屋の前で玉子の姿を見つけた。ただ玉子は数人の友人たちと一緒にお祭りを守っており、私はなかなか声をかけることができなかった。玉子は薄い水色の浴衣を着ており、紫陽花の花の絵柄が入っていた。長い髪を後ろで結び、楽しそうに友人たちと話をしていた。私は玉子が1人になるタイミングを見かり、声をかけようとしているが、玉子が1人になる瞬間はやってこない。

時間だけが過ぎて行き、当時中学生だった私たちはそろそろ帰らねばならない時間になりつつあった。その時、玉子と視線があった。距離にして約40メートル位で、玉子はちょっと恥ずかしそうな顔をして、私のほうに小さく手を振っていた。結局私は玉子に告白することができないまま月日は流れた。あれから何年経っただろう。

玉子とはあれから疎遠になり、今はどうしているかわからない。

私は仕事の関係で、生まれ故郷から、遥か離れ、田舎に暮らしていた。

仕事の研修会があり、私はとある施設で研修を受けているのだが、自室で少し休んでいたところ、寝入ってしまい研修のカリキュラムに遅れてしまう。

会場に行くと、既にその時間のカリキュラムは終わりを迎えようとしていた。

教官に「お腹を下していて、トイレにこもっていた」と言う嘘の事情を話すと、次の1時間を私の時間に当ててくれると言う。

申し訳なく思いながら私は自分の席についた。

他の同僚たちは研修を終え、宿泊施設に戻って行っている。

研修が始まるまでの間、私は教官といろいろと話あった。

何でも研修ではビデオ見ると言う。

そのタイトルは、

「コミックモーニング版 青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見る」「娘の葬式」と言うアニメだった。

アニメなのに、どうしてコミックモーニング版などと思いながら、私は本当にお腹の調子が悪くなってきた。

そんな私に野球のユニフォームを着て、帽子をかぶり、顔がひげもじゃで、表情が読めない。同僚に、緑茶ソーダカテキン2倍2リットルのペットボトルを渡され、先に帰るけど頑張れよと言われた。

とりあえず私が研修に遅れ

たのはお腹を下していることなんだけどと思いながら、私はアニメが始まるのを待っている。


夢分析

1. 青春の記憶と未完の感情

夏祭りのエピソード

玉子への未告白という物語は、青春時代の甘酸っぱい感情や、行動を起こせなかった後悔を象徴しています。

「声をかけられなかった」:夢では、何度もタイミングをうかがいながらも行動に移せない状況が描かれています。これは、現実でも決断をためらう場面や、チャンスを逃したという記憶に繋がる可能性があります。

「紫陽花柄の浴衣」:紫陽花は移り変わりや変化を象徴する花です。玉子の浴衣に描かれていることから、過去の記憶とそれが現在に影響を与える様子が反映されているのかもしれません。

2. 現在の自己評価と責任感

研修に遅刻する描写

遅刻や嘘をつく場面は、現在の生活でのプレッシャーや自分への評価が低下していることを象徴している可能性があります。

3. 不条理な状況と自己批判


「ランドセルガール」:幼さや過去を表す象徴として捉えられます。

「葬式」:終わりや喪失感を指し、過去へのけじめや現実での区切りをつける必要性を示しているのかもしれません。

夢が伝えるメッセージ


1. 過去を受け入れ、行動する勇気を持つ


2. 現在の自分を許し、リセットする必要性


2024/11/23に見た夢 冬のオーロラ

2024-11-23 05:26:00 | 夢日記

こんな夢を見た。

ある寒い冬の夜。

父の運転で車を走らせていた。

後部座席には甥っ子が乗っている。

私は助手席に乗っており、夜空を見ると、緑色の何か揺らめくものが空に見えた。

「おいみろよ。オーロラだ」

私は父と甥っ子にそう言った。

3人で空に浮かぶ淡い緑から濃い緑に変わるオーロラを見ていた。

私は初初めて見るオーロラをとても美しいと思った。


以下は夢分析。


この夢には、いくつかの重要な象徴が含まれています。それぞれの要素を分解して解釈し、夢全体のテーマを探ります。


夢の要素と象徴

1. 「寒い冬の夜」

冬は静けさや内省、あるいは終わりと再生のサイクルを象徴します。

夜は未知や潜在意識、心の奥深くに隠れた感情を表すことがあります。

この「寒さ」は一時的な停滞や孤独感を示す場合もありますが、夢のトーンが穏やかであれば、むしろ静けさの中で何かを見つける過程を示している可能性があります。

2. 「父」

父親はしばしば権威、保護、ガイド役を象徴します。

父が運転しているのは、今のあなたの人生で、誰か信頼できる存在が舵を取っている、あるいは自分の選択を見守っている状況を示す可能性があります。

3. 「甥っ子」

甥っ子は未来や純粋さ、新しい世代を象徴します。また、家族とのつながりや伝承される価値観も示すでしょう。

4. 「助手席に座るあなた」

助手席にいるということは、現在の人生であなたが主導権を完全には握っていないが、重要な役割を果たしていることを表しているかもしれません。

父が運転し、甥っ子が後部座席にいる構図は、世代間の連続性や家族の中での自分の位置を考えさせる夢です。

5. 「オーロラ」

オーロラは夢の中で非常にポジティブなシンボルとされ、奇跡や希望、スピリチュアルな目覚めを象徴します。

緑色は癒し、成長、調和を示し、オーロラが変化する様子は、人生の美しさや一瞬一瞬の大切さを象徴している可能性があります。


感情と雰囲気


夢の中でオーロラを「初めて見る美しいもの」として感動していることから、あなたが人生の中で新しい視点や価値観を発見しつつあることがうかがえます。家族と一緒にその美しさを共有している点は、周囲の人々とのつながりや共感が重要なテーマであることを示唆しています。


夢全体の解釈


この夢は、あなたが人生の中で調和や新しい視点を探し求めていることを反映していると考えられます。同時に、家族との絆や世代を超えたつながりを意識しているか、無意識にそれを求めている可能性があります。


**「父が運転している」**のは、信頼や導きを象徴し、あなたが今安心して物事を進めている状況を示唆します。

**「甥っ子」**は未来への希望や可能性を示し、あなた自身が家族や他者に何かを伝えたり共有したい気持ちを表しているでしょう。

**「オーロラ」**は、これから訪れる奇跡的な出来事や、人生における新しい発見を象徴しています。


現実でのヒント


家族や大切な人との時間を大切にすること。夢が示すように、それが新しい視点や希望につながる可能性があります。

あなたの中で感じている「新しい視点」や「美しいもの」を見つけるため、少し立ち止まって周囲を観察してみるのも良いでしょう。

また、今何か大切な変化が起きているとすれば、それを受け入れ、周りと共有することが未来を明るくしてくれるかもしれません。


夢全体としては、非常にポジティブで心温まるメッセージを伝えているように感じます




ほぼ課長

2024-11-13 12:25:00 | Ai生成



こんにちは、押利鰤子(おしりぶりこ)です!28歳のエッセイストとして日々キラキラした生活を発信していますが、実は裏の顔もあります。


私、特別養護老人ホームで介護福祉士としても働いていて、ここでの日常には「ほぼ課長」としての私なりのプライドと葛藤があるのです。


今年の6月、入居者のケアやスタッフのサポートに励む中で、ユニットリーダーに昇進しました。

そして10月、あれよあれよという間に介護主任にも任命されました。

身に余る昇進に、正直「自分にこの肩書きがふさわしいのか」と心が追いつかないこともしばしば……。


突然の「ほぼ課長」指示


ある日、ユニットで職員が負傷するトラブルが起きました。夜勤明けの私がリーダーとして状況を整理し、夜勤明けなのに11時まで職場に残って対応。

ようやく帰宅したのです。

翌日は休みですが、朝から大腿骨転子部骨折で入院した母親の病院に父と医師の説明を受けるために行ってました。

医師、麻酔医、ソーシャルワーカーと話をして、終わったところに上司から電話がありました。




「時間に余裕ができたら電話して。お願いがあるから」


リーダーに昇進する時も、主任に昇進するときもお願いでした。


なんか前に同じ展開があった気がする‼︎


父を家に送り、全てが終わった時点で上司に電話。

不安しかありません。


上司は「主任の君には、ほぼ課長としての覚悟が必要だ」と切り出しました。

「課長として責任とリーダーシップを持ち、全体を見渡してほしい。同格の主任もいるけど、何度か注意したが響いていない。問題はいろいろあるが、まだ君には特に期待している」と言われ、課長に準ずる視点で動くことを求められたのです。

つまり、職場でのリーダーシップだけでなく、さらに広い視野で問題解決に挑む覚悟が必要だと感じました。


「イエスマン」としてのプライド


実は私は、上司の指示に従順なイエスマンです。「やれ」と言われたことには「はい」と答え、言った以上はやり遂げる。それが私のポリシー。職場で陰口もたたかれます。「イエスマンだけが昇進している」とか「ただ言われた通りにするだけ」など、厳しい声もありますが、私は自分の「イエスマンとしての誇り」を持っています。上司や周囲が期待してくれることに応えるため、あくまで「はい」と答えたら最後まで責任を持つ。私なりの誇りを持って、仕事に向き合っています。


役職者としての「嫌われる勇気」


もちろん、上司からの指示に従うだけではなく、主任としての自分の責任を持ち、時には嫌われる勇気も必要です。同僚や部下と向き合い、時には厳しい指導を行うのも私の役割ですし、「ほぼ課長」としての視点で、全体のバランスを考えて判断しなければならないと感じています。


今後は、ただ指示に従うだけでなく、イエスマンでありながらも「主任として自分の意見や信念を貫き、チームをまとめていくこと」が大切だと思っています。イエスマンであることを自覚しつつも、仕事に対して責任感とプライドを持って、少しでも入居者様や職員のサポートができるよう、全力を尽くしていくつもりです。


最後に


このブログを読んでくださっている皆さんの中にも、仕事で悩んでいる方、職場での役割にプレッシャーを感じている方がいるかもしれません。そんな時は、まず自分の仕事に対する責任感と誇りを信じて、少しずつ前に進んでみてください。


押利鰤子は「ほぼ課長」として、イエスマンであることを誇りに、介護現場で奮闘中です。皆さんもそれぞれの「誇り」を大切に、日々の仕事に向き合っていきましょう!


「迂回する鵜」

2024-11-11 14:11:00 | Ai生成



鵜。うっかり口にすると「ウカイ」と読まれる。うっかり漢字で書くと、「ああ、うなずきの“鵜”ね?」なんて返される。誰もが頭に浮かべる、あの黒くて首が細長い鳥。そのイメージが浮かび上がるだけに、話すたびにどこか妙な気分になる存在だ。鵜は、私の人生にとっても、ある種の「迂回」を象徴するような、そんな生き物でもある。


先日、仕事帰りの散歩道で、川のほとりに一羽の鵜がいるのを見かけた。珍しく街中の川辺にぽつんと佇んでいるのだ。首をかしげ、ちょっと立ち止まった。カラスの鳴き声が遠くで聞こえる中、私は思わず「何でこんな所に鵜が?」とつぶやいた。しかも、その鵜はなぜか少し不安げな顔をして、なぜかじっと私を見つめていた。


鵜って、川にいる生き物だというのに、その時の鵜は水に浸かっていなかった。水面をじっと見つめながら、何か迷っているようにも見えた。その姿が、ちょっとだけ自分に似ていると思った。私も人生の中で何度か「迂回」を繰り返してきた。とりわけ、この年齢になってからの「迷い」と「うろうろする日々」が、まるであの鵜のようにさまよい続けている。


迂回する日々


「鵜」という文字には「迂回」の「迂」が含まれている。その意味では、鵜はもともと「迂回するもの」なのかもしれない。私も何度か人生の迂回路を選んできた。52歳の実年齢で「鰤子」を名乗り、ネット上では自称28歳として振る舞っているのも、ある種の迂回だ。私の「迂回の道」には、目的地もゴールもない。ただ、どこかへ辿り着こうとして、まるで水辺に立ちすくむ鵜のようにただ迷い、うろうろするばかり。


ネットでの「28歳エッセイスト」としての自分は、まさに私の“迂回する鵜”そのものだ。52歳で介護福祉士をしている現実から少しだけ距離を置き、自分だけの世界を築くことができる。それは私にとっての「水面」だろうか。そこにひとたび足を浸ければ、重たい現実から少し解放される気がする。だが、同時にその「水」は冷たくもあり、深く足を踏み入れるほどに底知れぬ不安が襲ってくる。


川のほとりで


あの日、鵜と出会った場所は、私にとっても特別な場所だ。川沿いには小さなベンチがあり、そこに座ると、街の喧騒が少し遠のき、心が静まるような気がする。都会の隅っこにぽつんと残された小さな自然のスペース。ここで私は、日々の喧騒を忘れ、ネット上の「鰤子」と現実の自分を重ね合わせるようにぼんやりすることができる。


その日は少し肌寒く、風が強く吹いていた。鵜は、風を受けながらもじっとその場に留まっていた。遠くでカラスが啼くのが聞こえ、空には淡い夕焼けが広がり始めていた。鵜が私を見つめる目が、不思議と何かを訴えているように感じたのは、その雰囲気のせいだったかもしれない。


私も鵜のように、遠回りの道ばかり選んできたのかもしれない、とふと思った。そして、その「迂回する道」が、私をどこへ導くのか、未だに答えが見つからないままなのだ


母、転倒する

2024-11-11 13:57:00 | Ai生成



夕方、いつもと同じように過ごしていたはずなのに、突然の連絡が入った。父が台所で夕飯の準備をしている間、要介護5で認知症の母が、椅子から転倒したというのだ。電話越しに「右の股関節が痛いみたいだ」と聞いたとき、頭の中で「まさか骨折か?」という不安がよぎった。


母は骨粗鬆症もあるため、少しの衝撃でも骨が折れるリスクが高い。痛がる母の様子を見に行くと、どこまで痛みが本当なのか、または認知症の影響なのか判断が難しい。しかし、骨が弱っていることもあるし、やはり病院で診てもらったほうが安心だ。


とはいえ、母と父は生活保護を受けているため、何かあったときには役所の担当者に報告が必要だ。これは許可を得るためではなく、現状を把握してもらうための手続きだ。日常的なサポートが必要な家族だからこそ、行政との連携が大切であり、いざというときにはこうした連絡がかえって家族を支えるものになる。


担当者に連絡をして状況を伝え、病院へ行くことを報告した。ただ、ここでまた問題が発生。母のかかりつけの病院が今日は休診日だったのだ。母が転倒する日をかかりつけの開院日と合わせてくれるわけでもない。急いで近隣の整形外科を探し始めたところ、ふと私が以前手首を骨折したときのことを思い出した。近くの小さな整形外科で診てもらったのだが、そのときの医師が丁寧に対応してくれたのが印象に残っている。母もそこで診てもらおうと決め、予約の連絡を入れた。


これから病院に行くことを母に伝えると、何度も「どうして?」と聞かれる。認知症が進んでいる母には、状況を理解するのが難しいのかもしれない。私も何度か同じ説明を繰り返しながら、車に乗せて病院に向かう準備を進めた。


母が転倒したのは正直ショックだったが、同時に今後の生活をどうするか改めて考えさせられる機会にもなった。借家暮らしのため、家に手すりを取り付けたり改装することもできない。生活に合わせた環境を整えるのが難しいこともあり、実は以前から特別養護老人ホーム(特養)への入所を検討している。施設見学にも何度か足を運び、候補もいくつか挙がっているが、どうしても母を「施設に預ける」という選択に対して心の整理がつかないままでいた。けれど、母の安全や介護の質を考えると、より専門的なケアが必要な段階にきているのかもしれない。


病院へ向かう途中、車の中で母は時折外の景色を眺め、不思議そうにしている。何もない場所をじっと見つめているかと思えば、突然「今日はどこに行くの?」と聞いてくる。母のこうした問いかけに、その都度答える自分の中には複雑な気持ちが渦巻いていた。母を守りたい気持ちと、自分自身の負担を軽くしたい気持ち、両方が入り混じっているのを感じる。


私の現実は、ネット上で「28歳の売れっ子エッセイスト」として振る舞っている姿とは大きく違う。ネットでは若々しい自分であることが求められ、軽妙な文章を読んで笑顔になってくれる人たちがいる。それが私にとっても救いであり、読者の存在があるからこそ、少しでも前向きでいられる部分があるのだと思う。


病院に着き、母を診察室に案内する。診察前だが、私の心はすでに少し落ち着き始めている。どのような結果が出るにしても、今は母と一緒にいられる時間を大切にし、少しずつ最善の選択を考えたいと思う。母の転倒は小さな事件のようで、私たち家族にとっては大きな試練だ。