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夕暮れ時というのは、どこかしら切なく、そして美しい時間だ。昼間の喧騒が徐々に静まり、夜の静寂へと移り変わる、その一瞬の儚さに心を奪われる。何気ない日常の中で、ふとその時間に立ち止まると、頭の中に浮かぶのは様々な思い出や感情。時には懐かしい匂い、遠い日の記憶がふわりとよみがえることもある。
その日の夕暮れも、そんな一瞬だった。
私はいつものように近所の公園を散歩していた。日が傾き、木々の影が長く伸びる。黄色く染まった空が、じわじわと橙色に変わっていく。その空の下、子どもたちの笑い声が徐々に遠のき、大人たちも帰路につく。そんな時間帯、私は静かに歩を進め、心地よい風に包まれていた。
ふと、視界の隅で何かが動いた。思わず足を止め、その方向に目をやる。小さな生き物の影が、木の枝の間をすり抜け、空を舞っていた。暗くて何なのかはよく見えなかったが、しばらく見つめていると、それがどうやらスズメバチだとわかった。
スズメバチは、夕暮れ時でも活動的なものだ。その鋭い羽音は、まるで小さなプロペラ機のように周囲の空気を切り裂く。普通なら、スズメバチを見た時点で即座に身を引くのが賢明だ。だが、その日は何故か、私はその場に立ち尽くしていた。
どうしてだろう。特に理由もなく、そのハチの姿に見とれていたのだ。周囲はますます静かになり、まるでスズメバチと私だけが夕暮れの世界に取り残されているような錯覚に陥った。彼の存在感が強烈で、その鋭い動きが異様なまでに目を引くのだ。
スズメバチというと、どうしても危険で厄介な存在というイメージがつきまとう。刺されたら大変だ、という恐怖心ももちろんある。しかし、その日の私は、何故かそのハチに対して恐怖心を抱かなかった。むしろ、その存在にある種の美しささえ感じていた。
スズメバチは、ただひたすらに自分の道を進んでいる。その鋭い針や強い顎で自分のテリトリーを守り、生きるために必死に飛び回る。夕暮れの柔らかな光の中で、そのハチの動きは、まるで何か目的を持っているように見えた。どこかへ向かっているのだろうか。家族が待つ巣に帰る途中なのか、それとも食料を探しているのか。
そんなことを考えているうちに、スズメバチはふっと姿を消した。夕暮れの光に溶け込むように、静かにその場を去ったのだ。
残された私は、再び歩き始めた。すっかり夜が迫っている。ふと、自分が先ほど何を感じていたのかを振り返ってみる。スズメバチに対する恐怖や敵対心が全く湧かなかったことが、不思議で仕方なかった。自然の一部として、ただそこにいるだけの存在だと感じていたのだ。
人間は、時に物事を過剰に恐れたり、避けたりする。スズメバチもその一例だろう。もちろん、危険な生き物であることは間違いない。だが、私たちはその危険さだけを見て、彼らの生き方や存在自体を見失ってしまうことがあるのかもしれない。
夕暮れ時に感じた、あの一瞬の静けさと同じように、スズメバチもまた、ただの一つの生命だ。私たちが何を感じるかは、すべてその瞬間の状況や心の持ちようによって変わる。
公園を出た私は、なんとなくすっきりとした気分で家に帰った。その日は、なんでもない一日だったはずだが、スズメバチとの遭遇が心に深く残っていた。日常の中でふと立ち止まることで、思わぬ発見や気づきがある。それは、生きる上で大切なことかもしれない。
夜、窓の外を見ると、星が輝き始めていた。昼間の暑さはすっかり消え、涼しい風が部屋の中に入り込む。スズメバチと夕暮れの記憶がふと頭をよぎり、私は静かに微笑んだ。自然の中で感じる小さな出会いは、時に私たちの心を豊かにしてくれる。
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