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批評と現実
直接身近にいる人の中で、このブログを私が書いている問う事を知っているのは、同じ会社で働くI君がこんな事を言う。
「どうしてあなたが書く物語は、救いようのない破滅的な話ばかりなのですか!?現実が辛いのに、物語の仲間で悲劇で終わってどうするんですか?せめて物語の中くらいは楽しい話を読みたいと思うのが、人の心の中だと思うでしょう?心にどれだけ深い闇があるというのですか?」
「そんなに極端な話は書いてないだろう?主人公に取ってみれば、あるいみハッピーエンドに思えるものばかりじゃないだろうか」
「バッドエンドですよ!!会話文でおちゃらけて、楽しげな雰囲気ですけど、ラストはよくよく考えれば、何も解決していなくて悲劇です」
「日本人とイタリア人は悲劇が好きなのさ。だから一般的な人の好みを考えれば、悲劇な形で終わるのも、ありといえばありなんだよ」
ふと頭に浮かんだガンスリンガーガールという漫画の中で使われたセリフを引用して私は答えたのだった。
確かにI君の様に、漫画やアニメや映画や小説などの娯楽において、その中では現実というものから離れて楽しい話を読みたいという人はいるという事は知っている。
私もそう言うものは嫌いではなく、もちろん好きなのではあるけれど、それとは逆にの方向に針が振れた話も好きなのであったのだ。
「そんな話ばかり書いていると、闇に引きずられてしまいますよ?それで、あなたが某かの事件を起こしたら、犯人の心の中の闇を解き明かすとか言われて、みのもんたに朝ズバの中で、私にはわかりませんねぇ〜とか言われちゃうんですよ」
「それは嫌だな」
「それでまた規制ですよ。犯人に影響を与えたような作品は規制されちゃうんです」
「そんな時は朝ズバに影響されましたと言っておく」
「何の解決にもなってねぇ!!」
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