こんにちは、押利鰤子です。今日は、私の初めてのエッセイ集「私の中の人」第126話に収録されている「私の中身」についてお話しします。読者の皆さんからも、なぜこの話を取り上げたのかとよく質問をいただきます。このエッセイは、自分自身と向き合うこと、そしてその内面をどう受け入れるかというテーマで書いたものです。
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#### 【内面との初めての対話】
きっかけは、とある何気ない日常の出来事でした。日々の忙しさに追われ、気づけば自分の感情や思考について深く考えることが減っていたことに気づいたのです。仕事に追われていると、ついつい「自分が何を感じているのか」なんてことに鈍感になってしまう。そんなこと、ありませんか?ある日、ふと「私の中身って何だろう?」という疑問が頭をよぎりました。
普段は明るく元気に振る舞っている私ですが、実は内側ではいろいろな感情が渦巻いています。常に笑顔でいなきゃいけない、他人に元気を与える存在でいなきゃいけない、そんなプレッシャーも感じつつ、実際の自分は違うかもしれないと思う瞬間がある。外に見せる姿と、内側で感じている自分とのギャップに違和感を抱き始めたのが、このエッセイを書くきっかけだったんです。
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#### 【揺れる感情、変わる「私の中身」】
私の中身って、本当にひとつのものなのか?考えれば考えるほど、ひとつの「正しい自分」なんて存在しないのかもしれないと思うようになりました。昨日の私は笑っていたけれど、今日は泣いているかもしれない。自信に満ちていたはずなのに、気づけば不安に押しつぶされていたりもします。そういう意味では、私の内面は、毎日少しずつ変わり続けているのだと感じました。
これは、ちょうど海の波に似ているかもしれません。波が大きく揺れ動くように、私たちの心も常に変動している。だから、ひとつの感情や価値観に縛られ続ける必要なんてない。むしろ、その時々の自分を柔軟に受け入れていく方が、ずっと楽に生きられるのかもしれない。そんな風に考えるようになってから、少し肩の力が抜けました。
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#### 【完璧じゃなくていい】
このエッセイを書いていた時、私の中には「完璧でいなきゃいけない」という意識が強くありました。人に見せる自分が、弱音を吐いたり、ネガティブな感情を見せるなんて恥ずかしいことだと思っていました。でも、その考え方に少しずつ変化が現れてきました。「完璧」なんてものは、ただの幻想でしかないということに気づいたんです。
私たちは弱くていいし、時には立ち止まることだって必要です。外側から見せる姿は強くても、中身は揺れ動いていて当然なんだと認めること。それが「私の中身」に辿り着いた結論のひとつです。自分の中の欠けている部分や、満たされていない感情も含めて、すべてが自分なんだと受け入れることができるようになりました。
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#### 【自分を愛することの大切さ】
最終的に、「私の中身」というタイトルの意味は、自分自身を愛することに繋がります。他人に期待される「完璧な自分」でいる必要はないし、他人にどう見られるかを気にして生きることがすべてじゃない。むしろ、自分がどんな風に感じているのか、その瞬間に何を思っているのかに素直に向き合うことこそが、自分を大切にする第一歩だと思います。
外から見た私は、「売れっ子エッセイスト」かもしれません。笑顔で、どんな仕事もこなして、常にポジティブでいようとする姿を見せているかもしれない。でも、本当の中身は、揺れ動くし、不安も感じるし、立ち止まることだってある。そんな自分でいいじゃないか、と思えるようになりました。
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#### 【結び】
このエッセイを通じて、私が伝えたいのは、自分の内面を認め、受け入れる大切さです。「私の中身」は、決してひとつの固定されたものではなく、変わり続けるものだということ。そして、それを無理に抑え込むのではなく、自然に受け入れることで自分をもっと大切にできるというメッセージを込めました。
読者の皆さんにも、ぜひ自分自身の「中身」を見つめ直してみてほしいと思います。完璧を目指すのではなく、今の自分をそのまま愛し、受け入れることの大切さを忘れないでください。私も、日々そんな自分と向き合いながら、これからも成長していきたいと思います。
次回のエッセイも、楽しみにしていてくださいね。
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