音楽と文学の間
この夏、姫路駅前のキャスパ・ホールでピアノ発表会があった。A先生に学んでいる弟子たちの演奏会である。
私も臆せず参加して、懐かしい文部省唱歌『早春賦』を弾いた。 上手下手は問うまでもない。私の年齢は、上から2人めであった。
A先生はヤマハの文化堂でレッスンを受け持っているほかにも、自宅へ通ってくる弟子を大勢もっている。そのお弟子さんたちに発表の機会を与える、というのが、このキャスパ・ホールの演奏会なのである。
A先生の特徴は、子供たちばかりでなく、高齢者を含めた成人にも門戸を開放していることである。
私も、若いころの情熱を思い出して、30年ぶりにレッスンを受け始めてから、もうまる4年になろうとしている。
その間、上達したか、と問われれば頭を垂れるしかないが、それなりに少しは前進しているのであろう。惜しむらくは、せっかく学んで弾けるようになった曲が、しばらく放置しておくと、たちまち弾けなくなってしまうことである。
それはともかく、私は自分の音楽好きについて考えてみることがある。
母が小学校の教師でオルガンを弾いていたから、ピアノに対する親近感、というよりも憧れは、子供時代からあった。
クラシックは、大学に行って夢中になった。
しかし私の音楽好きは、これらに限らない。戦前戦後に流行した懐メロについては、学生時代から暇さえあれば曲や詞を採集してきたから、自分でいうのも変だが、詳しいことは人後に落ちない。
学生時代にギターを習おうかと思ったのも、古賀メロディーを弾きたいからであった。バタやんこと田端義夫を愛して、浅草の国際劇場まで聴きに行ったこともある。
同時代では、少年のころに聴いた三橋美智也の美声が忘れられない。それに、あの時代特有の哀しみがまじっている。
島倉千代子がデビューしたのは、私の中学生のころであった。「からたち日記」が爆発的人気を呼んだのは、私の高校生のころである。勉強のあいまに、ラジオをつけてお千代さんを聴いた。「からたち日記」の曲の間にはいるせりふは、今でも覚えている。
やがてフォークソングの時代がくると、自分の年を忘れて熱中した。井上陽水やさだまさしに惚れこんだ10年間ほどは、自分でも異常であったなあ、と思う。
私の中には、これら、さまざまのジャンルの音楽が輻輳(ふくそう)していて、私の心を錯乱せしめているのである。
たとえば、夜、寝室に引き上げたら、はじめはクラシックを聴く。近所を気にしながら大音響で聴くのが好きである。これがすんで、いよいよ寝ようとする時間になると、懐メロに切り替える。
たとえば今私が毎晩聴いているのは、『SP原盤による昭和歌謡全集』という22曲入りのレコードである。通信販売で買った。
22曲を真剣に全部聴いていたら寝る時間がないから、だいたい7曲めあたりから、かける。「三百六十五夜」「青い山脈」「湯の町エレジー」とつづいて、「長崎の鐘」がよい。歌は悲劇的で詞は格調高い。それを藤山一郎が素直に歌っている。
ひばりの歌は2曲入っている。「東京キッド」と「リンゴ追分」である。どちらも、あどけない声ながら、天才を感じさせるうたいぶりである。特に「リンゴ追分」は、この時のものが絶唱であろう。
これにも、せりふが入る。ふつう私はせりふ入りを好まないのだが、この曲は別格だ。その口調、間の取り方が、絶品なのである。
それから楠木繁夫と久保幸江がコンビで歌う「トンコ節」がある。
男が「なぜにいえない、ひとことが口にだせない、打ちあけられない、馬鹿な顔してまた帰る、恋は苦しいおぼろ月、ねえ、トンコトンコ」と歌えば、
久保が実に芸者らしいいい声で「あなたのくれた帯留めの、達磨の模様がちと気にかかる、さんざ遊んで転がして、あとであっさり捨てる気か、ねえ、トンコトンコ」と答える。
この久保幸江は、若くて声に張りがあり、そしてなまめかしい。あとで出てくる「芸者ワルツ」の神楽坂はん子に負けないくらいだ。
それから、このレコードで特にいいのは、伊藤久男の「あざみの歌」と「山のけむり」が入っていることだ。どちらも、伊藤が東京音楽学校を出るか出ないかのころで、テノールが何ともいえず品があって美しい。それにこれらの歌詞の上品なこと。特に後者の「あとふりむけば……うしろかげ」などは、ああ、こういう女性が現実に存在するならば、もう1度、このような純な恋をしてみたい、と思わせるほどである。
終わりの方には、島倉千代子の「東京だョおっ母さん」が入っている。これがまた絶妙なのだ。田舎から出てきた母を、娘が東京見物に連れ出す。九段坂の靖国神社では、「兄さんが、いなかの話が聞きたいと、さぞかし待つだろ、おっ母さん」とある。ここで靖国問題を出すのは野暮というものだ。庶民の感情は素直に、自分の死んだ肉親がここに帰って休んでいると信じているのだ。で、この曲の島倉の歌いぶりが、まことにみごとである。感情の細かいところまで情をこめ、縷々と歌いあげる。
……こんなふうに1曲々々にあれこれ注文をつけるうちに途中で意識がすーっとなくなる、というのが私の幸福な眠り方である。
そして私は思うのである。これほどまでに音楽を愛好していながら、音楽に関して、私は100パーセント素人である。
片や文学の方はどうか。
文学の知識を切り売りして月給をもらってきた、という点からいえば、まあ、ずぶの素人とはいえないであろう。
しかし、小説やエッセイを書いて原稿料をもらうのがプロであるとするならば、原稿を書いただけ、原稿料をもらうかわりに掲載料を支払う我々同人雑誌作家は、どう考えてもプロとはいえない。
このあいだの合評会で、私が大学の現代文学会に入るところを読んだ千田草介さんが「吉野さんは、はじめから文学1筋だったんだなあ」と感想をもらしてくれたが、その割には文学から報いられること少なく、それでも下手の横好きで、手を切ってしまうことができないのが、私の文学である。
音楽と文学――この2つに生涯入れ込みながら、ついにむなしく生涯を終わるであろうと思うと、これは性根の悪い女性にひっかかった純情な男に似ているなあと、私はふと自分が不憫(ふびん)になるのである。
この夏、姫路駅前のキャスパ・ホールでピアノ発表会があった。A先生に学んでいる弟子たちの演奏会である。
私も臆せず参加して、懐かしい文部省唱歌『早春賦』を弾いた。 上手下手は問うまでもない。私の年齢は、上から2人めであった。
A先生はヤマハの文化堂でレッスンを受け持っているほかにも、自宅へ通ってくる弟子を大勢もっている。そのお弟子さんたちに発表の機会を与える、というのが、このキャスパ・ホールの演奏会なのである。
A先生の特徴は、子供たちばかりでなく、高齢者を含めた成人にも門戸を開放していることである。
私も、若いころの情熱を思い出して、30年ぶりにレッスンを受け始めてから、もうまる4年になろうとしている。
その間、上達したか、と問われれば頭を垂れるしかないが、それなりに少しは前進しているのであろう。惜しむらくは、せっかく学んで弾けるようになった曲が、しばらく放置しておくと、たちまち弾けなくなってしまうことである。
それはともかく、私は自分の音楽好きについて考えてみることがある。
母が小学校の教師でオルガンを弾いていたから、ピアノに対する親近感、というよりも憧れは、子供時代からあった。
クラシックは、大学に行って夢中になった。
しかし私の音楽好きは、これらに限らない。戦前戦後に流行した懐メロについては、学生時代から暇さえあれば曲や詞を採集してきたから、自分でいうのも変だが、詳しいことは人後に落ちない。
学生時代にギターを習おうかと思ったのも、古賀メロディーを弾きたいからであった。バタやんこと田端義夫を愛して、浅草の国際劇場まで聴きに行ったこともある。
同時代では、少年のころに聴いた三橋美智也の美声が忘れられない。それに、あの時代特有の哀しみがまじっている。
島倉千代子がデビューしたのは、私の中学生のころであった。「からたち日記」が爆発的人気を呼んだのは、私の高校生のころである。勉強のあいまに、ラジオをつけてお千代さんを聴いた。「からたち日記」の曲の間にはいるせりふは、今でも覚えている。
やがてフォークソングの時代がくると、自分の年を忘れて熱中した。井上陽水やさだまさしに惚れこんだ10年間ほどは、自分でも異常であったなあ、と思う。
私の中には、これら、さまざまのジャンルの音楽が輻輳(ふくそう)していて、私の心を錯乱せしめているのである。
たとえば、夜、寝室に引き上げたら、はじめはクラシックを聴く。近所を気にしながら大音響で聴くのが好きである。これがすんで、いよいよ寝ようとする時間になると、懐メロに切り替える。
たとえば今私が毎晩聴いているのは、『SP原盤による昭和歌謡全集』という22曲入りのレコードである。通信販売で買った。
22曲を真剣に全部聴いていたら寝る時間がないから、だいたい7曲めあたりから、かける。「三百六十五夜」「青い山脈」「湯の町エレジー」とつづいて、「長崎の鐘」がよい。歌は悲劇的で詞は格調高い。それを藤山一郎が素直に歌っている。
ひばりの歌は2曲入っている。「東京キッド」と「リンゴ追分」である。どちらも、あどけない声ながら、天才を感じさせるうたいぶりである。特に「リンゴ追分」は、この時のものが絶唱であろう。
これにも、せりふが入る。ふつう私はせりふ入りを好まないのだが、この曲は別格だ。その口調、間の取り方が、絶品なのである。
それから楠木繁夫と久保幸江がコンビで歌う「トンコ節」がある。
男が「なぜにいえない、ひとことが口にだせない、打ちあけられない、馬鹿な顔してまた帰る、恋は苦しいおぼろ月、ねえ、トンコトンコ」と歌えば、
久保が実に芸者らしいいい声で「あなたのくれた帯留めの、達磨の模様がちと気にかかる、さんざ遊んで転がして、あとであっさり捨てる気か、ねえ、トンコトンコ」と答える。
この久保幸江は、若くて声に張りがあり、そしてなまめかしい。あとで出てくる「芸者ワルツ」の神楽坂はん子に負けないくらいだ。
それから、このレコードで特にいいのは、伊藤久男の「あざみの歌」と「山のけむり」が入っていることだ。どちらも、伊藤が東京音楽学校を出るか出ないかのころで、テノールが何ともいえず品があって美しい。それにこれらの歌詞の上品なこと。特に後者の「あとふりむけば……うしろかげ」などは、ああ、こういう女性が現実に存在するならば、もう1度、このような純な恋をしてみたい、と思わせるほどである。
終わりの方には、島倉千代子の「東京だョおっ母さん」が入っている。これがまた絶妙なのだ。田舎から出てきた母を、娘が東京見物に連れ出す。九段坂の靖国神社では、「兄さんが、いなかの話が聞きたいと、さぞかし待つだろ、おっ母さん」とある。ここで靖国問題を出すのは野暮というものだ。庶民の感情は素直に、自分の死んだ肉親がここに帰って休んでいると信じているのだ。で、この曲の島倉の歌いぶりが、まことにみごとである。感情の細かいところまで情をこめ、縷々と歌いあげる。
……こんなふうに1曲々々にあれこれ注文をつけるうちに途中で意識がすーっとなくなる、というのが私の幸福な眠り方である。
そして私は思うのである。これほどまでに音楽を愛好していながら、音楽に関して、私は100パーセント素人である。
片や文学の方はどうか。
文学の知識を切り売りして月給をもらってきた、という点からいえば、まあ、ずぶの素人とはいえないであろう。
しかし、小説やエッセイを書いて原稿料をもらうのがプロであるとするならば、原稿を書いただけ、原稿料をもらうかわりに掲載料を支払う我々同人雑誌作家は、どう考えてもプロとはいえない。
このあいだの合評会で、私が大学の現代文学会に入るところを読んだ千田草介さんが「吉野さんは、はじめから文学1筋だったんだなあ」と感想をもらしてくれたが、その割には文学から報いられること少なく、それでも下手の横好きで、手を切ってしまうことができないのが、私の文学である。
音楽と文学――この2つに生涯入れ込みながら、ついにむなしく生涯を終わるであろうと思うと、これは性根の悪い女性にひっかかった純情な男に似ているなあと、私はふと自分が不憫(ふびん)になるのである。
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