杏歌の独白

主にゲーム音楽の耳コピー話中心の予定ですが、美味しかった物や日頃思いついた事もつらつらと。

外国語の作品のこと

2015-07-27 | 日記・エッセイ・コラム
だれしも原作が外国語の和訳作品を読んだ事があると思います。

でもそれだけで本当の意味でその作品を「読んだ」と言えるかな?

あくまで原語で、しかも細かなニュアンスが ある程度わかるほどの理解力を持って読み通せなければ 堂々と「読んだ」と言ったらあかんような気がします。

英語の講義で「メアリー・ポピンズ」シリーズの1冊を途中まで読んだ事があります。
興味をひかれて後年和訳版を買って読んでみましたが「え、こんな感じ?やったっけ」とかなり違和感を覚えた。
(言うたらなんやけど、ジュリー・アンドリュース演じる映画版のポピンズも原作とかなり違いますよ。
原作はどうも可愛げが無い。
私は映画版の方が格段に好き)

授業での文章は、基本文法に則した堅い表現が多くて(講師の先生の配慮だと思う)ひっかかりの多い歯車を無理矢理 回してる感じ。

でも単行本として売られていた本は、立て板に水 というか「ここ、こんな表現か?」な箇所が多いように思いました。

midiで言えば「原曲重視」の耳コピーと思って聞いたらバリバリの「アレンジ」コピーだった気分。

外国語だけじゃないよ?
それと同じような事は古文にも言えるんじゃないですか?

違和感なく読めるための意訳は致し方ない、と思ってます。

でも「原作」ではない作品を読む際には訳者のテイスト(アレンジ)が必ず入っている事を念頭に置くようにしてます。

(付けたし)
私は御多分に漏れず「赤毛のアン」シリーズが好きなのですが、(以下ネタバレになるのでぼかします)何作目かでアンの昔馴染みの友人が、病気で亡くなります。
余命宣告を受け、まだハイティーンで死ぬことを嘆き怯える友人の見舞いの帰路
「自分はあわれな○○のようであってはならない。天国での生活はこの地上から始めねばならぬ」という様な記述がなされてた。
言うことは立派ですよ、確かに。
でも古くからの友人に関して「あわれな」と見下した言い方は何?と不快に感じまして、アンがちょっと嫌いになりました。
確か高校生位の頃。

でもその後英語でポピンズの訳を学んでから「あれはあれで訳者の解釈だったんだな」と思い、アン本人を嫌いになるのは ちゃんと原作に接してからにしようと思いました。

ちなみに原作はまだ購入できてません。
つかその後スタートレックの原語資料本をオークションで血迷って購入してしまった。
まずこれを読破………できずに宝の持ち腐れになる可能性大。



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