川口芳樹尼遷化のご報告
当山先代立誡和尚のお庫裏、川口芳樹尼(旧姓・森川三樹子)が、去る令和5年9月10日に寿算100歳(満99歳)にて遷化いたしました。
ここに謹んでご報告申し上げますと共に、生前のご厚誼に心から感謝申し上げます。
先代住職と共に二人三脚にて往生院六萬寺の復興のために大変にご尽力なされました。
この度、10月27日の満中陰忌(大練忌)にあたり、追悼小誌「山雲海月之情」を発行させて頂きました。
生前に自らで寺史に書き記されておりました思い出のシリーズを改めてまとめさせて頂いておりますので、ご拝読賜りまして、芳樹尼をお偲び頂けましたら幸いに存じます。
寺務所にてお配りさせて頂いておりますので、お気軽にお声掛けくださいませ。
ご希望がございましたら郵送させて頂きますので、メール(oujyouinアットマークgmail.com)にて、住所、お名前、冊数をお知らせください。
合掌
満中陰忌にあたって
芳樹尼は、私が述べるのも誠におかしなことではございますが、希代なほどに「信心深く信念の強いお人」でございました。
その信心と信念は、いったいどこから来るものであったのか。
今となっては、祖母が生前に寺史に自らで記された「思い出」シリーズからであれば、多少なりともその一端を窺うことができるのではないかと思い、ここに改めてまとめさせて頂きました。
また、祖母には、厳しさと共に、どこか憎めないお茶目な一面もございました。思い出「境内の清掃」、「烏との日々を」からは、そんな祖母のお茶目な一面を垣間見ることができるのではないかと存じます。
とにかく、先代(川口立誡)と共に二人三脚、往生院六萬寺の復興、伽藍整備に精一杯に取り組まれました。
先代の亡くなられた後は、そのご遺訓をしっかりと守り、残された伽藍整備と共に、日々の行持(おつとめ)に真摯に取り組まれていました。
歳とともに足腰の弱りは多少あったものの、お歳の割にはかなりお元気で過ごされていました。筆まめなお方で、情のこもったお手紙をよく認められ、人との交流を大切になさっていました。
今でも山内におりんの鳴る音が「カーン」と響きますと、境内のどこかで祖母がお参されているのではないだろうかとの錯覚を覚えることがあります。
お経や真言も溌剌にいつも唱えておいででありました。塔婆書きも一文字一文字、心を込めて取り組まれ、晩年は、塔婆書きが生き甲斐の一つですとまでおっしゃられていたのを思い出します。
とにかく、今でも境内のそこかしこに薫習された祖母の功徳に与ることができており、心から感謝致すところでこざいます。
この度は、芳樹尼の満中陰忌にあわせまして、この小誌「山雲海月之情」を発行させて頂きました。
祖母を少しなりともお偲びして頂けることになりましたら、大変に有り難くに存じます。生前、祖母とご厚誼を賜りました皆様方には、誠に心から感謝申し上げます。
合掌
満中陰忌・追悼小誌「山雲海月之情」
当山先代立誡和尚のお庫裏、川口芳樹尼(旧姓・森川三樹子)が、去る令和5年9月10日に寿算100歳(満99歳)にて遷化いたしました。
ここに謹んでご報告申し上げますと共に、生前のご厚誼に心から感謝申し上げます。
先代住職と共に二人三脚にて往生院六萬寺の復興のために大変にご尽力なされました。
この度、10月27日の満中陰忌(大練忌)にあたり、追悼小誌「山雲海月之情」を発行させて頂きました。
生前に自らで寺史に書き記されておりました思い出のシリーズを改めてまとめさせて頂いておりますので、ご拝読賜りまして、芳樹尼をお偲び頂けましたら幸いに存じます。
寺務所にてお配りさせて頂いておりますので、お気軽にお声掛けくださいませ。
ご希望がございましたら郵送させて頂きますので、メール(oujyouinアットマークgmail.com)にて、住所、お名前、冊数をお知らせください。
合掌
満中陰忌にあたって
芳樹尼は、私が述べるのも誠におかしなことではございますが、希代なほどに「信心深く信念の強いお人」でございました。
その信心と信念は、いったいどこから来るものであったのか。
今となっては、祖母が生前に寺史に自らで記された「思い出」シリーズからであれば、多少なりともその一端を窺うことができるのではないかと思い、ここに改めてまとめさせて頂きました。
また、祖母には、厳しさと共に、どこか憎めないお茶目な一面もございました。思い出「境内の清掃」、「烏との日々を」からは、そんな祖母のお茶目な一面を垣間見ることができるのではないかと存じます。
とにかく、先代(川口立誡)と共に二人三脚、往生院六萬寺の復興、伽藍整備に精一杯に取り組まれました。
先代の亡くなられた後は、そのご遺訓をしっかりと守り、残された伽藍整備と共に、日々の行持(おつとめ)に真摯に取り組まれていました。
歳とともに足腰の弱りは多少あったものの、お歳の割にはかなりお元気で過ごされていました。筆まめなお方で、情のこもったお手紙をよく認められ、人との交流を大切になさっていました。
今でも山内におりんの鳴る音が「カーン」と響きますと、境内のどこかで祖母がお参されているのではないだろうかとの錯覚を覚えることがあります。
お経や真言も溌剌にいつも唱えておいででありました。塔婆書きも一文字一文字、心を込めて取り組まれ、晩年は、塔婆書きが生き甲斐の一つですとまでおっしゃられていたのを思い出します。
とにかく、今でも境内のそこかしこに薫習された祖母の功徳に与ることができており、心から感謝致すところでこざいます。
この度は、芳樹尼の満中陰忌にあわせまして、この小誌「山雲海月之情」を発行させて頂きました。
祖母を少しなりともお偲びして頂けることになりましたら、大変に有り難くに存じます。生前、祖母とご厚誼を賜りました皆様方には、誠に心から感謝申し上げます。
合掌
満中陰忌・追悼小誌「山雲海月之情」